木地師の集団墓地飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ木地師の集団墓地 〈市指定〉昭和35年8月29日 〈所有者〉宗猷寺墓地 〈所在地〉宗猷寺町宗猷寺裏山 〈時代〉江戸時代(18世紀) 〈員数〉1カ所 轆(ろく)轤(ろ)を使い、木材から椀・鉢・合子などの日用器物を造る手工芸者を木地師という。原材を山間に求めて漂泊した。伝承では、弟に立太子を先んじられ近江小(お)椋(ぐら)郷に隠棲した、文徳天皇の第1皇子惟喬(これたか)親王を業祖とする。 木地師の墓は山間の住居近くに残すのが普通であるが、宗猷寺には93基の墓が1集団をなしている。禅宗帰依(きえ)の木地師の寺請を宗猷寺(臨済)が扱っていたためである。宝永8年(1711)6月在銘の墓が最も古い。 高山市教育委員会『高山の文化財』平成6年発行より 関連資料 1-3-12 市指定・木地師の集団墓地 資料集 047_256_木地師の集団墓地 2020年7月17日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2020/07/DSC_9972_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2020-07-17 10:43:142022-06-18 15:36:23木地師の集団墓地