東山道・草津宿
東山道・草津宿
東海道と中山道が合流する草津宿
東海道は、中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中を加えた五街道の中でも江戸と京を結ぶ江戸時代随一の幹線路であった。
その里程は、江戸日本橋から相模小田原宿を経由、箱根の関・大井川を越え、遠州灘沿いに西進し、伊勢桑名宿を経て、鈴鹿峠から近江に至り、土山・水口・石部・草津の各宿を経由、勢田橋を渡り、大津宿を経て京三条大橋に至るもので、東海道五十三次と称された。
草津では、小柿から大路井に入ると、すぐ砂川(旧草津川)を渡り、11町53間半(約1.3㎞)の草津宿を経て、矢倉・野路・南笠を通過し、勢田に至った。
草津宿には、本陣・脇本陣などが設けられ、常善寺・立木大明神(立木神社)ほかの多数の社寺が立ち並び、70軒を超える旅籠をはじめ500軒以上の町家があった。
また、矢倉には光伝寺・姥ヶ餅屋・矢倉道標、野路には一里塚・教善寺・新宮大明神(新宮神社)・野路の玉川跡などの社寺名所があり、矢倉野路間、野路南笠間の街道沿いには松並木が続いていた。
草津市教育委員会
*説明版より