津野滄洲墓 市指定史跡飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ津野滄洲墓 市指定史跡 津野滄洲は享保3年(1718)の生まれ、現在の高山市上二之町に居住し、名を義見、字を有隣、通称を福島屋五右衛門と称した。また蒲公英主、金華主人、金華三愛主などと号し、詩歌、俳諧、書画などをたしなんだ。 当時全国的に石器、奇石の収集家として知られていた近江の木内石亭と交流があり、飛騨においても二木長嘯や森桃林らに影響を与えた。 家業は酒造業、糸問屋を営んでおり、特に蚕業の振興には私財を投じて尽力し、その功により名字帯刀を許されている。 寛政2年(1790)没。法名は勇見了義。ここは一族の墓域で墓に向かって右から2番目が滄洲の墓である。 平成15年3月 高山市教育委員会 説明板より 〈市指定〉昭和30年8月25日 〈所有者〉雲龍寺 〈所在地〉若達町1丁目89番地 雲龍寺裏の墓地 〈時代〉江戸時代(18世紀) 〈員数〉1基 棹石 高さ70㎝ 幅33.8㎝ 台石二重 高さ61㎝ 東山雲龍寺の墓地内にあり、棹石の正面に「故処士滄洲之墓」と刻んである。 滄洲は名義見、通称五右衛門、金花主人・蒲公英主などと号した。詩文・和歌・俳諧・奇石等を好み、山水を愛し、交友天下にあまねく、この人の勧めで学問を志す者が多かった。また蚕糸業の発展に尽力し、大いに国産の増益をはかったので、幕府はその功を賞して苗字帯刀を許した。寛政2年(1790)7月23日没、享年73、法号勇見了義。 「金花三愛集」「飛州燕石録」「橋梁図纂」「俳歌廻文詠」「産物狂歌詠」等の著作がある。 参考文献 『高山の文化財』196頁 高山市教育委員会発行 平成6年3月31日 関連資料 1-3-8-1 津野滄洲墓・概要 1-3-8-2 市指定・津野滄洲墓 資料集 043_252_津野滄州墓 2020年7月17日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2020/07/DSCN7041_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2020-07-17 10:15:282022-06-18 15:18:50津野滄洲墓 市指定史跡