縄文時代の木工技術
縄文時代の木工技術
寺東遺跡の石斧
寺東遺跡は高山市の郊外、岩井町地内にあって、昭和62年に発掘調査がなされた。岩井町公民館の前に小区画の水田があり、その地区の水田区画整理事業に先立って発掘調査がなされたが、調査前は地形を見る限り低湿地の印象があって遺存在を確信することができなかった。
しかし、表土を除去し、検出を進めると予想外に大量の土器片と石斧、大きめの住居址が検出された。縄文時代中期の住居址6基が発見され、、埋甕施設が各住居址に設けてあった。
特に一つの住居址が数回にわたって建て替えがなされ、そのたびに住居址入口の埋甕が設備し直され、角度を90度変えていた。建て替えをするたびに竪穴を深くし、住居の規模を大きくしていった痕跡が見られた。それは、埋甕の切り合いによって確認され、完形の埋甕土器が一番新しく、当初の埋甕は底部から少しのみのものもあった。寺東遺跡の住居址群は、岩井町地区の平地の狭さにより、建替えを同じ場所にせざるを得なかったと思われる。
また、出土遺物は大量の磨製石斧、硬玉製大珠、石棒、石冠などが出土している。
*「高山市教育委員会 高山市埋蔵文化財調査報告書 第13号『寺東遺跡、西保木(対岸)遺跡発掘調査報告書』昭和63年3月 発行」より
垣内遺跡の石斧
上野町の垣内遺跡からも大量の磨製石斧が見つかっており、しかもノミの機能を果たした小型の磨製石斧も見つかっており、ほぞ穴の建物が4000年前からあったことがわかる。関西方面の同時期の遺跡には無い傾向である。