雲龍寺鐘楼門(市指定文化財)飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ雲龍寺鐘楼門(市指定文化財) 所在地 高山市若達町1丁目86番地 所有者 雲龍寺 指定年月日 昭和44年2月19日 構造形式 重(じゅう)層(そう)四(し)注(ちゅう)造(つくり) 銅(どう)平(ひら)板(いた)葺(ぶき) 高山城破却の際、城内の「黄雲閣」という建物を当寺へ下げ渡されたと伝えられる雲龍寺鐘楼門は、天正10年(1582)本能寺の変に際し二条城において19歳で戦死した金森長近の長子忠郎長則の菩提寺として長近が修営した。 屋根はゆるやかな曲線をもち、頂部に露(ろ)盤(ばん)と宝(ほう)珠(じゅ)をのせる。初層中央通路の両側にふところを設け、南東側に階段がある。上層外廻りに戸溝があり、中央通路の両側が入り込みとなっていることなどから、元は寺院の鐘楼門ではなかったことが分かる。 慶長6年(1601)、金森長近より「黄雲閣」という建物を賜り、のち鐘楼門となったと『高山市寺院由緒記』には記される。享保14年(1729)の大火にも、羽(は)目(め)板(いた)の一部に焼痕をとどめただけで焼け残った。 東山白山神社は、雲龍寺の鎮守として祀られてきた。塔頭(たっちゅう)(境内にある小寺)に栄鏡院、久昌寺がある。 説明板より 〈市指定〉昭和44年2月19日 〈所有者〉雲龍寺 〈所在地〉若達町1丁目86番地 〈時代〉安土桃山時代(16世紀) 〈員数〉1棟 鐘楼門(1棟)桁行4.15m、梁行3.7m、重層4注造、銅平板葺 当寺の草創は古く、古代に白山社(現在の東山白山神社)の別堂妙観寺という寺があった。のち、天台宗に属していたが、応永2年(1395)頃、堂宇を再建して曹洞宗に改めた。能登の総(そう)持(ぢ)寺(じ)前住「了堂真覚」をもって開山して海蔵山雲龍寺と改称し、応永30年(1423)6月7日に遷化したとある。真覚は高僧で、宮村の大幢寺も開いている。(『高山市史』)境内山上の白山権現(現東山白山神社)は、雲龍寺の鎮守として祀られてきた。塔(たっ)頭(ちゅう)(境内にある小寺)に栄鏡院、久昌寺がある。 金森入国後、天正10年(1582)本能寺の変に際し、二条城において19歳で戦死した金森長近の長子忠次郎長則の菩提寺として長近が修営した。 建物の外観は、緩やかな曲線を持つ屋根の頂部に、露盤と宝珠をのせる。初層中央通路の両側にふところを設け、南東側に階段がある。上層外廻りに戸溝があり、中央通路の両側が入り込みとなっていることなどから、寺院の鐘楼門として建てられたものではない。慶長6年(1601)、金森長近より「黄雲閣」という建物を賜わり、のち鐘楼門になったと『高山市寺院由緒記』には記される。享保14年(1729)の大火にも、羽目板の一部に焼痕を留めただけで焼け残った。 参考文献 『高山の文化財』49~50頁 高山市教育委員会発行 平成6年 関連資料 1-3-3-1 雲龍寺鐘楼門・概要 1-3-3-2 市指定・雲龍寺鐘楼門 資料集 038_247_雲龍寺鐘楼門 2020年7月16日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2020/07/DSCN6939_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2020-07-16 18:22:122022-06-18 15:11:52雲龍寺鐘楼門(市指定文化財)