飛騨の木製飛行機
飛騨の木製飛行機
飛 騨 の 木 製 飛 行 機 キ106
■陸軍四式戦闘機「疾風」(キ84)
昭和16年12月 高性能万能戦闘機の開発指示
17年4月 設計開始
11月 設計完了
18年3月 試作1号機完成
4月 初飛行。以後7号機まで試作機製作=量産型の性能追求
19年4月 四式戦闘機として正式採用 量産開始
19年10月 報道関係者に初公開
終戦までに約3,500機が生産された。
■木製飛行機(キ106)製作の足跡
陸軍四式戦闘機「疾風」を原型に製作した木製飛行機(キ106)
昭和17年夏頃より 浜松の河合楽器の指導にて、飛騨木工㈱で木製落下タンク(2型200㍑45㎝ 1.68㍍)の製造開始
以降、19年から4型、20年7月からは6型を製作)
18年10月 木製飛行機生産の内命
18年 全国科学者連盟本部を飛騨木工㈱内に移設(木材強化技術研究会発足)
19年1月 東京飛行機製作所に技術取得派遣
19年3月 陸軍航空本部より木製飛行機製作の指示
19年5月 高山航空工業株式会社設立
(飛騨木工㈱、高山航空機材㈱、飛騨航空工業㈱、㈱飛騨製油所、丸大木材工業所の5社を統合し戦闘機の製作開始。)
同5月 岐阜県立高山航空工業学校開校(現岐阜県立高山工業高校の前身)
19年暮れ頃 キ106試作1号機が東京まで空輸された。
※テストパイロットの三原氏(郡上八幡出身)は、真っすぐ飛べるだけで、なかなか高度が上がらない、旋回やとんぼ返しが思うようにできない。「木の翼は、操縦桿を倒した二、三秒後に機体が動くと思うほど反応が鈍く敏捷性に欠けて扱いにくかった」と語っている。
20年6月 生産設備一切を上枝小学校体育館に疎開。このまま終戦を迎える。
※終戦までに十二機分の胴体と翼を作り上げて富山の組み立て工場に送っているが、実践配備されることなく終戦を迎えた。