高山市指定文化財(史跡)山岡鉄舟父母の墓お知らせ, 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ高山市指定文化財(史跡)山岡鉄舟父母の墓 鉄舟の父小野朝右衛門高(たか)福(よし)は、弘化2年(1845)に江戸御蔵奉行から転じて飛騨郡代となった。嘉永5年(1852)閏2月2日、時勢を鑑み上野平で陣立を行なった。同月27日没、享年78。 鉄舟の母磯(いそ)女(め)は、夫に先立ち嘉永4年(1851)9月25日病没した。 碑面の法号は、2基とも鉄舟の筆跡である。 昭和30年8月25日指定 高山市教育委員会 説明板より 〈市指定〉昭和30年8月25日 〈所有者〉宗猷寺 〈所在地〉宗猷寺町218番地 〈時代〉江戸時代(19世紀) 〈員数〉2基ほか 父墓 棹石 高さ110.3㎝、厚さ43.6㎝、幅43.5㎝ 台石三重 高さ91.8㎝ 母墓 棹石 高さ100㎝、厚さ30.3㎝、幅36.6㎝ 台石三重 高さ77.3㎝ 東山宗猷寺本堂前に2基並んでいる。父の墓は棹石正面に「徳照院殿雄道堅達大居士」とあり、周囲に石柵をめぐらし、柵前に元締斎藤弘道・進野保寿・岩田幸通奉納の石燈籠1対がある。母の墓は棹石正面に「喬松院雪操貞顕大姉」とあり、周囲に石柵をめぐらし、柵前に小野高堅・塚原直昌・加藤師父造立の石燈籠1対、燈籠前に喬松院菩提のために設けた六道石がある。 鉄舟の父小野高福(たかよし)は通称を朝右衛門といい、幕府旗本の士で禄600石を受けた。弘化2年(1845)江戸御蔵奉行から飛騨郡代に転じた。外国船渡来の形勢にかんがみ、城山で狼煙(のろし)の実演をしたり、上野で陣立を行なったりした。嘉永5年(1852)2月28日高山で没、享年78。 鉄舟の母磯女は鹿島神宮の神官塚原石見の娘で、天保6年(1835)朝右衛門に嫁し、6男を生んだ。嘉永4年(1851)9月25日高山で没、享年41。 碑面の法号は、2基とも鉄舟の筆跡である。 参考文献 『高山の文化財』195~196頁 高山市教育委員会発行 平成6年3月31日 関連資料 1-3-6-1 高山市指定文化財 山岡鉄舟父母の墓・概要 1-3-6-2 市指定・山岡鉄舟父母の墓 資料集 041_250_山岡鉄舟父母の墓 2020年7月16日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2020/07/DSCN5547_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2020-07-16 19:12:032022-06-22 13:21:17高山市指定文化財(史跡)山岡鉄舟父母の墓