高山市指定文化財(建造物)宗猷寺本堂飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ高山市指定文化財(建造物)宗猷寺本堂 木造入母屋造銅平板葺 桁行18メートル 梁間15.9メートル 基壇上に建ち、前面三方吹抜け、敷石床となった禅宗様式の強いこの本堂は、文政7年(1824)8月26日落成され、大工棟梁は坂野半三郎であった。 高山地域唯一の臨済宗寺院の建物で、量感ある外観を持ち、仏殿や法堂の基本形である敷石床を前面に、内部を畳敷きとしたことは、その古い形式をよく表している。 五山の仏殿や法堂にならって外観を二重にするとともに、和様や大仏様の手法も取り入れている。 昭和50年7月10日指定 高山市教育委員会 説明板より 〈市指定〉昭和50年7月10日 〈所有者〉宗猷寺 〈所在地〉宗猷寺町218番地 〈時代〉文政7年(1824) 〈員数〉1棟 本堂(1棟)桁行18m、梁間15.9m、木造入母屋造、銅平板葺 宗猷寺は、高山市内で唯一の臨済宗妙心寺派の寺院である。開基は金森3代目の重頼、重勝(左京)の兄弟が、父可重の菩提を弔うため寛永9年(1632)、妙心寺前住の南叟宗安和尚を迎えて開山した。初め新安国寺といったが、重頼の法号真龍院殿と重勝の法号徽(き)雲宗猷居士から、山号を真龍山、寺号を宗猷寺と改めた。 南叟宗安は、永禄6年(1563)の兵火で荒れ果てた国府町の安国寺を復興したが、重頼の願いにより宗猷寺の開山として兼任をしたのである。 本堂は基壇上に建ち、前面3方吹抜け、敷石床となった禅宗様式の強いこの本堂は、文政7年(1824)8月26日落成され、大工棟梁は坂野半三郎であった。 量感ある外観を持ち、仏殿や法堂(はっとう)(講堂にあたる)の基本形である敷石・床を前面に、内部を畳敷きとしたことは、その古い形式をよく表わしている。 五山の仏殿や法堂にならって外観を二重にするとともに、和様や大仏様の手法も取り入れている。 参考文献 『高山の文化財』57~58頁 高山市教育委員会発行 平成6年 関連資料 1-3-1-1 宗猷寺本堂・概要 1-3-1-2 市指定・宗猷寺本堂 資料集 036_245_宗猷寺本堂 2020年7月16日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2020/07/DSCN5516_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2020-07-16 18:06:582022-06-18 14:49:36高山市指定文化財(建造物)宗猷寺本堂