長良川鵜飼
鵜飼のあらまし
鵜飼とは、鵜を巧みに操って川にいる魚を獲る漁法のことです。
日本での鵜飼の起源は、稲作とともに中国から伝承したとする説、日本と中国で別個に発生したとする説があり、定かではありません。各地の古墳から鵜飼を表現しているとみられる埴輪が出土しているため、少なくとも古墳時代には鵜飼が行われていた可能性があります。文献では、7世紀初めに中国で成立した『隋書』「東夷伝倭国条」や、8世紀に日本国内で成立した『古事記』『日本書紀』などに、鵜飼に関する記述が見られます。
長良川鵜飼のはじまり
美濃国(現在の岐阜県)では、7世紀頃から鵜飼が行われていたと言われています。正倉院に納められている文書の内、美濃国と伝えられる702(大宝2)年の戸籍に、「鵜養部目都良売(うかいべのめづらめ)」という記述があります。この人物は、鵜飼を生業としていた集団の出身と推定されており、長良川鵜飼が1300年以上の歴史を持つとする由来となっています。
室町時代になると、将軍足利義教が墨股川(長良川)で鵜飼を観覧したという記録や、前関白太政大臣の一条兼良が現在の岐阜市鏡島の江口付近で鵜飼を観覧したという記録が見られます。
(https://www.ukai-gifucity.jp/Ukai/history.htmlより引用)
吹田市博物館
吹田市教育委員会では、昭和44年から埋蔵文化財の発掘調査を開始し、 以後、民俗資料の収集も順次進めるとともに、 市史編纂事業の終了を受けて、その関係史料も引き継ぎました。このような収蔵資料の増大によって、資料を良好な状態で保管し、調査研究して、広く市民に公開するための専用施設の建設が必要となってきました。
そこで、学識経験者などによる建設準備委員会が発足し、具体的な建築構想の検討を進め、1992年に開館しました。
吹田市博物館の使命は以下のとおりです。
(1)地域の文化を継承し、発信拠点となること
地域の文化に関する歴史資料等を調査研究し、市民の共有財産として次世代に継承します。このような情報を展示、普及活動等により発信することで市民の生涯学習活動を支援し、地域の文化を発見、見直し、創造していきます。
(2)市民が参加し、市民文化の向上に寄与すること
市民の視点に立ち、市民が集い、多様な体験を活かしながら博物館活動へ主体的に参加できる博物館とします。また、ボランティアをはじめとする博物館サポーターにより、学校教育や地域住民等との連携を深め市民生活を豊かな潤いのあるものにします。
ここでは、博物館所蔵資料のデジタルアーカイブと提示の方法について研究し、報告する。