比楽駅
比楽駅
比楽駅(ひらかえき)は、平安時代前期に見える古代の駅であり実態、場所は不詳である。「三代実録」には貞観11年2月23日の条に「加賀国比楽河置半輸渡子廿五人」と書かれ、古代の平楽河を渡河するために25人の人夫を置いていたことがわかっている。また、延喜式には、湊として名称が出てきており越前国(加賀国の誤記カ)の国津として出てくる。現在、比定地は不詳であるが、白山市美川地区平加(ひらか)町の安産神社(やすまろじんじゃ)から白山市立美川図書館のあたりが有力である。ここは、砂丘地の先にあり、古代の比楽河が東側に面していたと推定される。古代の比楽河は、平安時代の手取川の本流であり、平楽駅、湊が平安時代において北陸道沿いの重要な交通起点であったと想定される。
特色
古代駅の推定地として有力な地勢であり、将来的に発掘調査等で確認されることが期待される。
平楽駅推定地
メタデータ
比楽駅
資料集
082_086_比楽駅