県指定民俗文化財勝山左義長
県指定民俗文化財 勝山左義長 勝山左義長が史料に見られるのは延享4年(1747)である、その文言からはそれ以前から左義長が行われていたことがうかがえる。50年近く領主不在の勝山三町にとって左義長は町民の紐帯としての役割を […]
文部科学省 私立大学研究ブランディング事業
県指定民俗文化財 勝山左義長 勝山左義長が史料に見られるのは延享4年(1747)である、その文言からはそれ以前から左義長が行われていたことがうかがえる。50年近く領主不在の勝山三町にとって左義長は町民の紐帯としての役割を […]
七里壁と旧勝山三町の景観 七里壁は大野市の西勝原から永平寺町鳴鹿まで続く河岸段丘で、九頭龍川に沿って七里(28キロ)にわたっている。最も顕著なかたちで出現しているのが勝山町で、近世城下町を描いた絵図には七里壁上部には家臣 […]
平泉寺にかかわる堂舎・石碑・史資料 平泉寺にかかわる諸史資料は町内・町外を問わず非常に恵まれている。町内には関連する堂舎や石碑が多く平泉寺町町づくり委員会により建てられた59の石碑は、余すところなく平泉寺の名所・旧跡地を […]
白山禅定道と河上御前の御開帳 白山と泰澄 泰澄の一生を記したものに『泰澄和尚伝記』がある。これは天徳元年(957)ころ、天台宗の僧淨蔵が語った泰澄についての事項を、その弟子神興が書き留めたものといわれている。それによると […]
史跡白山平泉寺旧境内と平泉寺墓地 古代末から中世の白山・平泉寺 山岳寺院として出発した平泉寺は、比叡山延暦寺末となることで越前国内での地位を不動のものとし、中央にも知られるようになった。在地有力武士団である斉藤氏、さらに […]
九頭龍川 源は油坂峠あたりで大野市を流れ勝山市下荒井附近で真名川と合流し下流の三国で日本海に注ぐ。ここでは勝山市域内を流れる九頭龍川を紹介する。平泉寺町壁倉区・大渡区・遅羽町下荒井当たりを上流、勝山橋附近を中流、荒鹿橋・ […]
九頭龍川に流れ込む河川 ここで紹介しているのは九頭龍川右岸の白山山系から流れ込む河川を紹介している。すべての河川を取り上げているわけではない。また町ごとになっているが複数の町を流れるため大まかな区分になっている。あわせ […]
勝山市の伝統行事・祭礼 走りやんこ その起源は火消勢揃駆出と考えられる。近世の19世紀中頃から3月20日下河原で股引をはき火事装束で勢揃駆出しが行われるようになる。 近代に入り『大野郡誌』に「やんこ」として紹介されている […]
勝山市の神社 白山への越前側の登山口(馬場)をひかえる平泉寺町は、地元であるだけに村社の4分3が白山神社である。しかし市内全体での割合はほぼ5割である。数の上では白山神社は48社、次いで八幡神社が11社、神明神社が6社と […]
勝山市 明治22年(1889)の市制・町村制の施行で現勝山市域(大野郡北部)は、平泉寺・猪野瀬・村岡・野向・北谷・荒土・北郷(以上九頭竜川右岸7村)、鹿谷・遅羽(九頭竜川左岸2村)の9村と勝山町の1町9村体制となった。し […]
法輪寺・聖徳太子の御子山背大兄王が建立 法輪寺は斑鳩の里でも北方にあり、三井(みい)という土地の名によって三井寺とも呼ばれています。 三井の地名は古く、聖徳太子が飛鳥の里より三つの井戸をこの地にお移しになったところから起 […]
近江神宮 天智天皇6年(667年)に同天皇が当地に近江大津宮を営み、飛鳥から遷都した由緒に因み、紀元2600年の佳節にあたる1940年(昭和15年)の11月7日、天智天皇を祭神として創祀された。 太平洋戦争の終戦後である […]
飛騨匠の史跡 飛騨国分寺、飛鳥~奈良時代の史跡 国指定重要文化財(建造物)国分寺本堂 単層入母屋造、銅板葺 四方廻縁 桁行12.4メートル 梁間8.66メートル 向拝3.33メートル 奈良時代当時、七重搭、金堂、仁王門な […]
田中大秀翁 田中大秀翁は、安永6年(1777)8月、高山一之町の薬種商に生まれた。現在、下一之町鍋島茶舗になっている場所である。 幼少より学問に長じ、25歳の時、伊勢松阪の本居宣長に入門し国学を研究した。国学とは、江戸中 […]
山岡鉄舟(静岡の史跡) 補陀洛山鉄舟禅寺 鉄舟寺はもと久能寺といい、今の久能山にあって、およそ1,300年の昔、推古天皇の時、国主久能忠仁公によって創立せられ、奈良朝の初期行基菩薩が中興せられた。当時坊中360、衆徒1, […]
高山祭屋台の彫刻の原点・立川和四郎彫刻 <立川和四郎の「五台山」の獅子彫刻> 春の高山祭の屋台「五台山」の獅子彫刻は、長野県諏訪(下諏訪町、諏訪市)の立川和四郎(たてかわわしろう)が彫った。天保8(1837)年、与鹿16 […]
高山祭屋台の祖型となった山車 <田安門をくぐった江戸の屋台> 江戸の神田祭、山王祭は、かつて屋台が江戸城内に入って天覧の栄を受けた。その経路が分かっていて(次ページ図)、伸縮の仕組みがある屋台であった。この構造が高山の屋 […]
古川祭屋台 古川祭は毎年4月19日、20日に開催される気多若宮神社の例祭。「神輿行列」、「屋台行列」、「起し太鼓」という、“静”と“動”の3つの行事からなる。「古川祭の起し太鼓・屋台行事」の名称で国の重要無形民俗文化財に […]
笠ヶ岳 <生い立ちを秘める山体の縞模様> 高山市街地から北アルプス方面を眺めると、乗鞍岳の左側に蓑傘を伏せたような三角形をした山がみえる。これが山頂を他県と共有しない岐阜県の最高峰、笠ヶ岳(標高2,898ⅿ)である。 笠 […]
御嶽山 <山容が語る生い立ち> 御嶽山は、信仰の山として知られ、昭和54年(1979)10月28日未明には突然長い眠りからさめて水蒸気爆発を起こし、有史以来の活動として多くの人を驚かせた火山である。 御嶽火山の活動は30 […]
乗鞍山麓 五色ヶ原の森 高山市乗鞍山麓五色ヶ原の森は、北アルプス乗鞍岳の北西山麓に広がる、中部山岳国立公園の南端にある約3,000㏊の広大な森林地帯で、山地帯から亜高山帯にわたる植生は、ブナ・ミズナラ・サワグルミなどの広 […]
乗鞍岳 <雄大な火山地形をみせる複成火山> 標高2,700ⅿ付近まで自動車で登れる乗鞍岳は、三つの火山体が重なりあってできている山の総称で、23個にもなる標高2,500ⅿを越える高峰が南北に延々数㎞も連なっている。 乗鞍 […]
江戸街道 飛騨から野麦峠を越えて江戸へ通ずるこの街道は、江戸まで43次85里(約337キロメートル)で、山口は最初の宿場になっていた。このうち山口町森下から水呑洞までの約6キロメートルは古い街道の姿をよく残し、史跡に指定 […]
郡上白川街道 向牧戸城跡 向牧戸城は、寛正の初め(1460)、将軍足利義政の命を奉じた内ヶ島上野介為氏が、信濃国松代から白川郷に入り、当地に城を築き、白川郷はもとより川上郷、小鳥郷、さらには越中国砺波までを領する勢力の拠 […]
岐阜、尾張、京都街道、東海道 ① 尾張街道の概要 尾張街道は、その名の通り尾張方面へ行く道で、金森時代になって整備されたが、時代によって、また、古絵図、地図によって街道名が違っている。高山が所属する郡は大野郡であったが、 […]
平湯~高原道、中尾峠、安房峠 平湯街道 ① 平湯街道の概要 江戸時代における飛騨国の国境は、標高が三千メートルもある山脈の屋根上にある。厳しい山脈に四方を囲われている飛騨だが、東の江戸へ、南の尾張へ、西の越前へ、北の越中 […]
飛騨鰤 越中からのブリ 1,ぶりで年取りをする行事 高山では毎年、12月31日の大みそかの夜に「年取り」という行事をする。12月31日に一つ年を取るということを祝う行事である。昭和30年代までは、「数え年」で年齢を数え、 […]
桐生町万人講 桐生町1,456番地 昭和30年11月7日 高山市指定文化財 延宝3年(1675)、数万の餓死者をここに埋めたもので、万人坑と呼び、後万人講と書くようになった。元和元年(1681)、盲人色都が餓死者の供養塔 […]
金閣寺・夕佳亭(宗和の茶室) 金閣寺 鹿苑寺は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録された。このこ […]
武野紹鴎から千利休、宗和へとつながる遺構 武野紹鷗 文亀2年(1502)~弘治元年(1555) 大和出身の茶人・豪商。のちに堺に移り住んだ。上洛して三条西実隆に和歌を十四屋宗陳・宗悟らに茶の湯を学ぶ。堺に帰ってからは北向 […]