泉福寺左甚五郎遺産デジタルアーカイブ, 岐阜県私立大学地方創生推進事業, 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ泉福寺 泉福寺(せんぷくじ)は、埼玉県桶川市にある天台宗の寺院である。山号は東叡山。院号は勅願院。房号は円頓房。本尊は阿弥陀如来および地蔵菩薩。 泉福寺の正門にある竜の彫刻は左甚五郎の作といわれております。むかしこの村は非常な旱魃(ひでり)にあって、田畑の作物が枯死寸前となり、村人たちは困ってしまいました。すると村の長老が、「長いこと門に閉じこめられていて、さぞ退屈だったろう、どうじゃ寺の池にでも出して泳がせてみるとしたら」と、言いましたので、どんな雨乞いもきかなかったときのことだけに、村人たちもそろって賛成し、さっそく竜を門からおろして、池にはなしてやりました。 彫刻の竜は、雨乞いの村人たちの目の前で、まるで生きもののように泳ぎ出しました。雨乞いの祈りも忘れて、目を見張る村人たちの頭上が、にわかに曇って、その黒雲の流れの早いこと、見る間にあたりはうす暗く、風雨も強くなりました。 雷鳴がとどろき、大暴風雨となり、池はあふれ、たちまちのうちに荒川もいっぱいになり、とうとう大洪水となってしまいました。 あまりのことに驚いた村人たちは、雨乞いもやたらと出来ないと語り合い、あの竜をどうしたものかと相談することになりました。 竜を放そうと言った長老が、「この先、あばれすぎて、何が起こるか知れん。すぐにでもあの竜を動けないようにしなくてはならない」と、言いました。 それには、どうしたらよいかとみんなで知恵をしぼって考えました。村人たちが総出で、竜の爪を切りおとして、今まで納まっていた寺の門へ、かねのくさりで、しっかりとしばりつけることになりました。 それからは、村に大洪水はなくなったということです。 本掲載内容は、桶川市史「第11章 口頭伝承・民俗知識」の一部 泉福寺の正門の竜の彫刻は左甚五郎の作という。昔、大変な旱魃があり、田畑の作物は枯死寸前となった。すると村の長老が「長いこと門に閉じこめられていて、さぞ退屈だったろう、どうじゃ寺の池にでも出して泳がせてみるとしたら」といった。 どんな雨乞いも効果がなかったので、村人たちは皆賛成し、早速竜を門から下ろして、池に放った。彫刻の竜は皆の前でまるで生き物のように泳ぎ出し、村人たちは雨乞いも忘れて目を見張っていた。そうしているうちに黒雲が流れ出し、雷鳴が轟き、大暴風雨となった。 たちまち荒川があふれ、大洪水になってしまった。あまりのことに驚いた村人たちは、やたらと雨乞いはできないと語り合い、竜の爪を切り落し、寺の門へ鎖でしっかりと縛りつけることにした。それからは村に洪水はなくなったという。 『桶川市史 第六巻 民俗編』より要約 泉福寺の正門の竜の彫刻は左甚五郎の作という。昔、大変な旱魃があり、田畑の作物は枯死寸前となった。すると村の長老が「長いこと門に閉じこめられていて、さぞ退屈だったろう、どうじゃ寺の池にでも出して泳がせてみるとしたら」といった。 どんな雨乞いも効果がなかったので、村人たちは皆賛成し、早速竜を門から下ろして、池に放った。彫刻の竜は皆の前でまるで生き物のように泳ぎ出し、村人たちは雨乞いも忘れて目を見張っていた。そうしているうちに黒雲が流れ出し、雷鳴が轟き、大暴風雨となった。 たちまち荒川があふれ、大洪水になってしまった。あまりのことに驚いた村人たちは、やたらと雨乞いはできないと語り合い、竜の爪を切り落し、寺の門へ鎖でしっかりと縛りつけることにした。それからは村に洪水はなくなったという。 『桶川市史 第六巻 民俗編』より要約 2022年8月24日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_4291_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2022-08-24 11:01:092022-08-24 11:02:00泉福寺