金森時代-3 金森氏の転封先・上山城と武家屋敷岐阜県私立大学地方創生推進事業, 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ金森時代-3 金森氏の転封先・上山城と武家屋敷 飛騨国主第6代金森頼旹は元禄2年(1689)4月、江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の奥詰衆(将軍のそばに仕える重要な役)に、同年5月には「側用人」(将軍と老中を取り次ぐ重役)に任じられ、出世した。しかし、翌3年4月、綱吉の考えに合わず免職、翌4年6月には、なぜか江戸(東京)での屋敷替えを命じられた。 そして元禄5年(1692)7月28日、出羽上山(山形県上山市)への転封(国替え)を命じられ、高山城下町は上を下への大騒ぎになった。これにより金森氏6代による飛騨国の統治は終わった。 金森氏転封(国替え)の理由は、頼旹の素行(日頃の行ない)が原因、幕府の財政困難、幕府が飛騨の山林資源や鉱山資源に目をつけたのでは、などと考えられている。 上山へ移動した金森氏武士団一行は家族を含めて4~5千人といわれる。元禄5年(1692)10月2日出発、120里(約480㎞)の行程を18日間で上山に到着している。1日あたり6時間半歩き続けるという困難な日程であった。 金森家の藩主はもとより、家臣団の居館を準備するのは大変で、1ヵ月前に派遣された先発隊の別所氏、馬場氏が領地請取の手続きを完了し、受け入れ準備を急いだ。 城跡から少し下がったところの沼のそばに重臣の屋敷が設けられ、周囲に家臣団の屋敷がつくられた。しかし第6代頼旹は江戸から遠く離れた上山へ参勤交代に行かず、江戸の屋敷にずっといたという。 資料 ①金森時代-3 金森氏の転封先・上山城と武家屋敷 2023年1月20日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/01/DSC_9255_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2023-01-20 15:56:042023-01-20 16:14:16金森時代-3 金森氏の転封先・上山城と武家屋敷