城郭-3 畑佐城
城郭-3 畑佐城
高山市新宮町狐洞
畑佐城は新宮神社裏手の標高670mの山頂に立地し、上枝地区や、山田城を眺望できる見晴らしの良いところにある。地元では立(たて)壁城(かべのしろ)とも呼称される。
古くから文献などに記載が見られ、『飛州志』では「往古山田紀伊守其後川上縫殿介居之川上ハ天正十壬午年小島合戦ノ時戦死」、また『飛騨国中案内』では「是は城主三木氏城郭なれども其説山田紀伊守在城すと云う」とある。これらから戦国期に山田紀伊守、川上縫殿介が居城したと推測されるが、両者の詳細については明らかではない。一説には、川上縫殿介は江馬氏の家臣といわれている。
南西側から尾根を登る道が大手で、途中に2ヵ所の堀切と②曲輪が認められ、山頂の①-1主郭(本丸)に至る。①-1から北へ尾根上に①-2主郭(二之丸)が広がり、北側外郭に半月状の曲輪、東側には腰曲輪などが見られる。
①-2主郭(二之丸)から南東へ下る「旧赤坂道」と呼ばれる道があり、また、①-2から北方山麓鬼ヶ洞へ下る道が搦手道と考えられる。搦手道途中に「首切り場」と呼ばれる平地があり、「山田紀伊守」一族の処刑場跡との伝承が残る。
畑佐城跡は、中世の山城の性格を十分に備えた城郭であり、遺構の保存状態も良く、飛騨や、高山市の中世史を考える上で重要な城郭である。城跡は地元の新宮文化遺産保存会により大手、搦手などが維持、整備され、文化財めぐりウォークラリーのコースとしても市民に活用されている。
山田城はこの城から1.4㎞離れた場所にあり、標高630m、麓との比高40mで、頂上に小規模の平坦面がある。山田城城主の山田紀伊守は、白山三馬場の一つ、郡上長滝寺の代官だったと伝えられる。
平成9年5月21日 高山市指定史跡 約500×300mの範囲
尾根道、山腹古道 本丸周辺及び腰曲輪
二之丸周辺及び腰曲輪 堀切周辺及び帯曲輪
標高670m、比高70m