千人塚(大和町)岐阜県私立大学地方創生推進事業, 郡上白山文化遺産デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ千人塚(大和町) 天文9(1540)年8月25日、朝倉義景が越前から美濃国郡上郡に攻め込んできた際、篠脇城にあった東下野守常慶は篠脇城へ籠城して頑強に抵抗。越前との国境に当たる白山長瀧寺に本陣を置いた朝倉勢は、篠脇城まで軍勢を派遣して猛攻を続けたが、城は落ちなかった。おそらく遠藤新兵衛胤縁・遠藤六郎左衛門尉盛数の兄弟も活躍をしたのだろう。 9月23日、朝倉勢の残党も追い討ちによって壊滅し、東勢によって討たれた朝倉勢の遺体で、越前への道が三日間にわたって不通になったという。この道を「三日坂」といい、討たれた朝倉勢の首塚が「千人塚」として残されている(『荘厳講記録』『郡上藩家中記録』)。 2023年6月2日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/06/023A0995_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2023-06-02 15:16:042023-06-02 15:16:04千人塚(大和町)