鷲見城址
鷲見城址
■所在地 岐阜県郡上市高鷲町大鷲 ■遺構 郭・堀・石垣 ■城のタイプ 山城 ■築城者 鷲見頼保
■概要
鷲見城(すみじょう)は、向鷲見城ともいい、永暦元年(1160)、鷲見頼保が築城しました。承久6年(1221)、承久の乱で、頼保の孫、家保は幕府軍に従って、その恩賞で鷲見郷の地頭職を任ぜられました。その後、鷲見氏は、室町時代は、郡上一帯に勢力をもつ東氏に傘下に入り、阿千葉城に入りました。しかし鷲見貞保は、謀反の疑いを掛けられて篠脇城の東常慶に攻められ自害しました。その後、鷲見氏は東氏と和陸しますが、東氏が滅ぶと、遠藤盛数、慶隆に仕えて郡上八幡城下の屋敷に住み、鷲見城は家臣・松下五左衛門が在城しました。廃城時期は、慶長5年(1600)頃、関が原の戦いの前後くらいのようです。
■私見
現地案内板には、「飛騨の金森五郎八入道の越前攻略の時に、攻撃を受け、城主・鷲見保光が戦死、落城した。」と記載されていますが、金森長近は、越前攻略の際にも、この道を通っていないので、現地案内板には、疑問が残る。また遠藤氏の傘下のため、遠藤氏の親族の金森長近が鷲見城を攻める理由がわからない。城の遺構は、かなり広域による城域で、遺構も曲輪が良く残っており楽しめる城址です。また本丸の模擬大手門周辺の虎口は、小さなながらも枡形虎口で、その桝形にはわずかながらに石積も確認できます。本丸以外の曲輪で「東の丸」や「矢場」は、後世の改変も著しく遺構が明瞭ではありませんが、本丸と鷲見神社がある西の丸は、よく残っています個人的は、柳出丸、中出丸、卯の井戸など森の中点在する曲輪が雰囲気がよくて気に入りました。
■アクセスアクセス 東海北陸自動車道の「高鷲IC」~国道156号線~県道452号線。目標物、浄勝寺