深妙寺
深妙寺
感応山深妙寺は、平安時代、権現山のふもと小殿寺に権現信仰(真言宗)の寺院として開創されたと言われます。その後、山寺垣外に移りました。
伊那春近領に工藤犬房丸祐時(曽我物語)が流罪になり当山の密教に帰依し、本堂を再建されたと伝えられています。これは、当山開基 三位公 池上弥次郎入道 が伊那春近領で活躍される数十年前の出来事です。 ≪工藤犬房丸の伝承≫ 参照
この、伊那春近領を鎌倉幕府 政所重臣 三位公 池上弥次郎入道(日蓮聖人孫弟子・六老僧日朗上人直弟子・常法院日遊上人・藤原氏、工藤氏と同族)が治めら れました。三位公入道は伊那春近領の政所長官(地頭を指揮監督する役職)をなさ れました。小出(小井弖)には鎌倉幕府の出張所である政所があったといわれてい ます。
政所役人 三位公入道が統括した伊那春近領は現在の伊那市から下伊那郡松川町 に及ぶ天竜川沿いの広大かつ肥沃の地でした。ここには三位公入道に仕える、小出 氏(工藤氏)・赤須氏・飯島氏・田島氏・片桐氏・名子氏などの地頭がいました。
入道は幕政に参画されるとともに、弘安8年(1285)伊那春近領で起きた洪 水の災害復旧を成就され北条政権に信頼されました。当山はこの三位公入道により 鎌倉時代正安元年・1299年(正応元年・1288年説もある)日蓮宗に改宗さ れました。
慶長5年(1600)現在地に移り、実に700年の永きにわたり法華経の教えを弘める道場として栄えて来ました。