金森氏の飛騨攻め
金森氏の飛騨攻め
天正13年(1585)、長近は豊臣秀吉の命令で飛騨の三木氏を攻め滅ぼした。翌年、長近は飛騨国3万8千石の国主となっている。
7月下旬、秀吉から飛騨攻略の命を受けた金森長近の軍勢は、越前大野城を出発した。 石徹白村において、軍勢は二手に分かれ、一隊は長近自身が率いて、石徹白長澄を先導とし、白川郷尾上郷村から中野・岩瀬を経て牧戸に向かい、他の一隊は、長近の養子可重が率い、美濃郡上郡長瀧を経て野々俣村へ進み、内ヶ嶋氏の属城たる牧戸城を挾撃する態勢をとった。
8月6日には岩瀬橋において尾上((神))備前守氏綱と戦い、金森方は苦戦に陥ったが、郡上の両遠藤氏の援兵を得て、ようやく8月10日に牧戸城を攻め落した。
牧戸の旧城主であった川尻備中守氏信は、内ヶ嶋氏に背いて、越前に逃れ、金森氏の部下に加わっており、同様に江馬・鍋山・牛丸など没落した飛騨の名家の人々が、金森氏に属して、道案内の役を勤めていた。