沖縄の歴史上人物 百十踏揚/百十踏揚の墓お知らせ, デジタルアーカイブ, 沖縄地域文化資源デジタルアーカイブ沖縄の歴史上人物 百十踏揚/百十踏揚の墓 百十踏揚(ももとふみあがり、生没年未詳)は、琉球王国第一尚氏王統の尚泰久王(在位1454〜1460)の王女です。彼女は王命により勝連按司の阿麻和利に嫁ぎ、政治的な婚姻の一環を担いました。その後、阿麻和利が謀反を企てたとして討たれると、大城賢勇(鬼大城;越来 賢雄。15世紀琉球王国の武将で、鬼大城の名で知られる。越来は後に越来間切の総地頭となって以降のものであり以前は大城賢雄であった)に降嫁したと伝えられています。 『おもろさうし』には〈百ぢやらの主てだ、成りよわちへ〉と詠まれており、王女として華やかな地位にあったことや、神女として霊力を持ち活躍していた姿をうかがうことができます。百十踏揚は「神女名」としても知られており、政治権力の中枢において宗教的な役割を果たした女性でもありました。 しかし、彼女の生涯は権力闘争に翻弄されました。二人の夫─阿麻和利と大城賢勇─はいずれも非業の死を遂げ、百十踏揚は政略結婚の犠牲者として不幸な運命を辿ったといえます。特に賢勇の死については「尚泰久王の命による誅殺説」と「第二尚氏による攻伐説」があり、真相は定かではありませんが、いずれも政治的対立の中で命を落としたと考えられています。 参考1:らしいね南城市|沖縄県南城市観光ポータルサイト,https://www.kankou-nanjo.okinawa/,[アクセス2022/12/03] 参考2:辺戸名朝有「百度踏揚」沖縄大百科事典刊行事務局『沖縄大百科事典』下巻 沖縄タイムス社 p.677. 資料(メタデータ) 沖縄の歴史上人物_百度踏揚 2025年12月27日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2025/12/23circd074v-0032.jpg 850 1280 真由美加藤 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg 真由美加藤2025-12-27 18:01:462025-12-27 18:01:46沖縄の歴史上人物 百十踏揚/百十踏揚の墓