塔の腰廃寺
塔の腰廃寺
飛騨の古代寺院・塔の腰廃寺
塔の腰廃寺 とうのこしはいじ
所在地 岐阜県吉城郡古川町上町セリ田 よしきぐんふるかわちょうかんまちせりだ
岐阜県吉城郡国府町広瀬町塔の本、塔の前 よしきぐんこくふちょうひろせまちとうのもと、とうのまえ
立地環境 古川盆地の南東、宮川と荒城川との間の、少し微高地になった平地に立地。
発見遺構 この寺の心礎と推定される礎石が、古川町円光寺に残されている。
発見遺物 単弁九弁蓮華文軒丸瓦(1)、単弁十弁蓮華文軒丸瓦(2)、三重圏縁単弁十弁蓮華文軒丸瓦(3)、四重弧文軒平瓦(4)。昭和30年の土地改良時に多くの瓦が出土した。
年代 7世紀後半
遺跡の概要 古くからこの地に瓦が出土し、国分尼寺とする言い伝えもある。塔の前、塔の本の小字が以前はあった。現在は区有地120坪が残り、大坪東平の名作大日如来をまつって、「大日の森」と呼ばれている。
<引用文献>
国際古代史シンポジウム実行委員会編集『国際古代史シンポジウム・イン・矢吹「東アジアにおける古代国家成立期の諸問題」飛鳥・白鳳時代の諸問題Ⅱ』151頁 国際古代史シンポジウム実行委員会発行 平成8年
東海埋蔵文化財研究会『古代仏教東へ ― 寺と窯』寺院 第9回東海埋蔵文化財研究会岐阜大会1992
大日の森(塔の腰廃寺)
国府町と古川町の境界付近に位置するこの一帯は、俗に大日平(だいら)らと称する飛騨を代表する穀倉地帯である。現在の敷地は、広瀬町の区有地で120坪(約396平方メートル)あり、お堂には大日如来像が安置されており、この像は国府町宮地に住んでいた名佛士「大坪東(とう)平(べい)」の名作である。
この地は、少し微高地になっており、往古には荒城川が北南に横断し宮川にそそいでいたものと考えられる。昭和の初めに用水路工事中に発見された有孔石器(ヒスイ)や、縄文土器は岡村利平翁によって東京国立博物館に寄贈され、飛騨を代表する出土遺物として大切に保管されている。他にも多くの縄文土器等が出土している。
この大日の森(塔の腰廃寺)は、飛騨を代表する大伽藍で、塔の礎石といわれる巨石は五重の塔の礎石と推定されている。昭和30年代の土地改良の時に塔の本・塔の前の小字から多量の平瓦や軒丸瓦が出土しており、国府資料館に保管されている。
慶応4年、梅村知事の急進的な改田施策により、その時に心礎が古川町の円光寺に移されたものと考えられる。今は史跡として広瀬町区が保存管理を行ない、毎年旧盆の8月に安国寺住職を招き法要を行なっている。
国府町広瀬町第10組説明文より