匠の道・蟹満寺
匠の道・蟹満寺
飛騨匠が通った山科から奈良までの途中にある古い寺院。
蟹満寺 [銅造釈迦如来坐像(国宝・白鳳時代 昭和28年指定)木造如来形坐像 (町有形文化財 奈良時代 平成 6年指定)]
蟹満寺は現在真言宗智山派の寺院であるが、その創建は古く7世紀後半(白鳳時代)にさかのぼる。“蟹の恩返し”で有名な蟹満寺縁起は、『今昔物語集』などに収録されており、かつて「蟹(かに)満(ま)多(た)寺(でら)」「紙(かみ)幡(はた)寺(でら)」などと記されている。これは、この地が相楽郡蟹(かむ)幡(はた)(加無波多)郷に属していることに由来しており、蟹満寺もこの郷名を冠した寺院であったと考えられている。
古代にさかのぼる蟹満寺の寺域は広大で、現在の境内背後を流れる天神川を越えて200m四方にもおよぶことが予想されます。境内で発見された大規模な瓦(かわら)積(づみ)基(き)壇(だん)建(たて)物(もの)跡(あと)はかつての金堂跡と考えられ、そのほぼ中央に現在安置される国宝仏は、今から約1,300年もの間、その位置を動いていない。
*説明版より
資料集
127_135_匠の道・蟹満寺