平安京・船岡山・建勲神社
平安京・船岡山・建勲神社
船(ふな)岡(おか)山(やま)(全山史跡、風致地区)
船岡山は標高45m、周囲1,300m、面積25,000坪の優美な小山であり、その東南側は建勲神社境内で特にうっそうとした森に被われている。豊臣秀吉の頃より信長公の霊地として自然がそのまま残され、京都盆地特有の樹相がよく保たれている。樹種が極めて多く、帰化植物がほとんど入り込んでいない京都市内で数少ない貴重な森とされている。
船岡山は聖徳太子の文献にもその名が出ており、また、京都に都が定められた時、北の基点となり、船岡山の真南が大極殿、朱雀大路となった。平安朝の昔には清少納言が枕草子で「丘は船岡…」と讃え、また、大宮人の清遊の地として多くの和歌が残されている。
船岡の若菜つみつつ君がため 子の日の松の千代をおくらむ(清原元輔)
戦国時代の応仁の大乱の際、この船岡山が西軍の陣地となり、以来船岡山周辺一帯は西陣の名で呼ばれている。
*説明版より
建(たけ)勲(いさお)神(じん)社(じゃ)(通称 けんくんじんじゃ)
御祭神 織(お)田(だ)信(のぶ)長(なが)公
織田信長公は戦国の世を統一して民衆を疲弊絶望から救い、伝統文化に躍動の美を与え、西洋を動かす力の源を追求して新秩序を確立し、日本の歴史を中世の混乱から近代の黎明へと導かれた。そのため、信長公は行き詰った旧来の政治、社会秩序、腐敗した宗教等を果敢に打破し、日本国民全体の日本を追求された。
明治天皇より特に建勲の神号を賜い、別格官幣社に列せられ、ここ船岡山に大生の神として奉斎されている。
*説明版より
別格官幣社 建(たけ)勲(いさお)神(じん)社(じゃ)(通称 けんくんじんじゃ)
御祭神 織(お)田(だ)信(のぶ)長(なが)
御社殿 明治43年本殿拝殿以下社殿10棟すべて山頂へ移設。
旧本殿、真の御柱跡には現在神石「大平和敬神」が建つ。
本殿社務所まで 80メートル、石段約100段。
見どころ 1、拝殿に掲げられている信長公功臣肖像画(木下藤吉郎、柴田勝家、
(参拝自由) 森蘭丸、平手政秀等18功臣)
1、境内一帯は国の史跡、風致地区であり、桜、赤松、紅葉の木々に囲まれた社殿のたたずまいは、おごそかで別天地の感が深い。また、拝殿前から眺める比叡山、妙意ケ嶽(大文字山)、東山36峰はまさに絶景。
*説明版より
末社 義(よし)照(てる)稲(い)荷(なり)社及び命(みょう)婦(ぶ)元(もと)宮(みや)
御祭神 宇(う)迦(かの)御(み)霊(たまの)大(おお)神(かみ)、国(くに)床(とこ)立(たちの)大(おお)神(かみ)、猿(さる)田(た)彦(ひこの)大(おお)神(かみ)
命婦元宮は稲荷大神のご眷(けん)族(ぞく)を祭り伏見稲荷大社の命婦社の親神という由緒あるお宮である。
このご眷族の神通力により稲荷大神のご利(り)益(やく)は、ますますあらたかとなる。
ご利益 商売繁昌、病魔退散、災難消除の不可思議なご利益により、古来よりの信仰が絶えない。
*説明版より