飛騨の史跡 ~ 名馬大黒と駒ケ鼻峠 ~
文武天皇の時代、大宝2年(702)に空を飛ぶように走る素晴らしい黒馬を斐陀の国から朝廷に献上した。朝廷では瑞祥(ずいしょう=良いこと)の印だといって国をあげてのお祝いとなった。この黒い馬の出現を記念して和銅6年(713)、斐陀の国名を飛ぶ馬の意味である「飛騨」に改めたと地元に伝わる。
黒馬の産地は、高山市上宝町在家駒ケ鼻だとして二つの石碑が駒ケ鼻に建てられ、産地の伝承がされている。「名馬大黒之碑」と、もう一つの碑には、万葉集巻第十六から引用された「烏羽玉之斐太乃大黒毎見巨勢小黒之所念可聞」とあり「かくよめる斐太のおおぐろといえる馬は昔このあたりより出しゆえ ここを駒ケ原とは名づけしとぞ」と説明している。
金森氏上山への国替え道中記「北浜偶嘯」の現地を訪ねる ~ 赤湯(山形県)~上山城 ~
金森家臣団は10月27日(新暦では12月4日)は道中最後の宿泊地赤湯に泊まっている。翌日の10月28日(新暦では12月5日)、赤湯を出発して川樋(山形県南陽市)、小岩沢(山形県南陽市)、中山(山形県南陽市)、川口(山形県上山市)を通って上山に到着している。金森家臣団が到着した上山では、その年に城が取り壊されていた。現在の上山城は模擬城(1982年建)である。
この北浜偶嘯という記録本は、金森家臣団の中で最後に出発したと思われる班が10月11日に古川(飛騨市古川町)を出発して10月28日に上山に到着するまでの実質18日間(今町で2泊を含む)に及ぶ道中記である。新暦では11月18日~12月5日にあたり、晩秋、初冬の厳しい気候の旅であった。海沿いはこの時期寒風、波しぶきが吹き荒れ、難儀の道中であったことが記されている。