京都国立博物館
文化財保護法に規定する有形文化財を収集し、保管して皆様にご覧いただき、あわせてこれに関連する調査研究及び事業を行うことにより、貴重な国民的財産である文化財の保存及び活用を図ることを目的としています。
明治22年(1889)5月 図書寮附属博物館を廃し、帝国博物館、帝国京都博物館、帝国奈良博物館を設置する官制が定められる。
明治23年(1890)10月 七条御料(旧恭明宮址)に敷地が決定され、仮事務所が置かれる。
明治25年(1892)6月 片山東熊博士の設計による陳列館(本館)の建築に着工する。
明治28年(1895)10月 陳列館の建築が竣工する。
明治30年(1897)5月 開館式が挙行される(公開展示のはじめ)。
養源院
豊臣秀吉の側室 淀殿が父 浅井長政の追善の為、長政の二十一回忌に建立される開山は長政の従弟で比叡山の高僧であった成伯法印、長政の院号を以って寺号としたのは文禄三年五月(1594年)である
養源院の寺院名は浅井長政公の戒名そのものである その後程なくして火災にあい焼失するも、元和七年(1621年)に淀殿の妹で二代将軍徳川秀忠公正室、お江により伏見城の遺構を用いて再建される 以来、徳川家の菩提所となり歴代将軍の位牌をまつる寺院となる 現在の本堂(客殿)は再建時のものとなる
平成二十八年二月に本堂(客殿)、護摩堂、中門、鐘楼堂等が国の重要文化財に指定された (引用:https://yougenin.jp/)
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建された。養源院とは浅井長政の院号であり、浅井氏の菩提寺である。開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印(伝・長政弟)で、秀吉が寺領300石を寄進している。この後、毘沙門堂の脇門跡となっている。元和2年(1616年)5月7日、江戸幕府第2代将軍徳川秀忠正室の崇源院(江、淀殿の妹)によって、昨年の慶長20年(1615年)5月に大坂夏の陣で自害した淀殿とその子・豊臣秀頼の菩提が弔われている。元和5年(1619年)、落雷により焼失したが、元和7年(1621年)に崇源院の願により再興された。以後、徳川氏の菩提所ともなった。廊下の天井は、伏見城落城の際、自刃した武将たちの血のりのしみた板を使った「血天井」として有名である。本堂の襖12面、杉戸8面の絵(重要文化財)は俵屋宗達の作品である。第11世住職等順は、東叡山寛永寺護国院第13世から信濃国善光寺別当大勧進第80世に就いた時に、天明3年(1783年)の浅間山大噴火や天明の大飢饉において民衆救済に尽力したことで知られ、お血脈、善光寺本堂での御開帳の由来である。寛政9年(1797年)11月7日には光格天皇に三帰戒及び十念を授け奉り、養源院住職時代は皇族に尽くした名僧である。元々は天台宗であったが、第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)に浄土真宗遣迎院派に改宗した。
本堂(重要文化財) – 元和5年(1619年)に破却された豊臣秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされる。特に「牡丹の間」は秀吉の学問所であったという。本堂左右と正面の廊下の天井は血天井として知られる。また、秀吉が伏見城に祀っていた大聖歓喜天を安置している。
血天井 – 関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下2,000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたといわれ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある。
鶯張廊下 – 日光東照宮の眠り猫で有名な江戸時代初期の大工・彫刻師である左甚五郎が作ったものと伝わる。
襖絵と杉戸絵 – 俵屋宗達作の重要文化財があり、これも伏見城で自刃した将兵の霊を供養するために描かれたものと伝えられており、杉戸の象や唐獅子や麒麟などを図案化した構図は、表現の奇抜さでも知られている。2010年(平成22年)、この唐獅子図の隣りに、江戸時代よりたった一軒続いてきた唐紙屋となる唐長の唐紙師・トトアキヒコによる「星に願いを」が奉納された。また同氏は、俵屋宗達の重要文化財である金地着色松図の唐紙修復も手がけている。(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E6%BA%90%E9%99%A2)
【資料集】飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ資料集(中)
平成 29 年度に文部科学省の私立大学研究ブランディング事業の「地域資源デジタルアーカイブによる知の拠点形成のための基盤整備事業」で採択され、3年間にわたりこれまでに本学独自で育んできたデジタルアーカイブ研究を活用し、地域資源のデジタルアーカイブ化とその展開によって、伝統文化産業の活性化などの地域課題の実践的な解決や新しい文化を創造できる人材育成を行い、地域の知の拠点となる大学を目指し事業を展開してきた。
その中でも「飛騨高山の匠の技デジタルアーカイブ」は、以下の点に注力して研究を進めてきた。
①伝統文化産業(飛騨春慶・一位一刀彫等)を多視点でデジタルアーカイブし、歴史的な視点を総合的にまとめ、匠の “こころ”をオーラルヒストリー等により「知の増殖型サイクル」を構成し、これらの一部を海外へ発信することにより伝統文化産業の振興を図る。
②伝統文化産業における匠の技とその歴史的な背景をまとめてデジタルアーカイブ化することで、伝統文化産業の理解と継承が容易になる。さらに、継承の過程で生まれた新しい知見を「知の増殖型サイクル」で取り込み、その利活用によって地域社会の振興を支援できる。
③フィールドにおける効果検証をするためのデジタルアーカイブ研究として捉え、解の見えない地域課題の解決をするための地域資源デジタルアーカイブとそのメソッドを確立する。
これらにより、地域の知が適切に循環・増殖することで新たな価値の創造と、これらを実践できる高度な専門的な知識を持つ人材の養成による雇用の創出を促進し、その結果として「知の増殖型サイクル」としてデジタルアーカイブの効果が認められ、さらにデジタルアーカイブの新たな展開が期待できる。また、これにより大学は地域に開かれた「知の拠点」となりうる。
この「飛騨高山の匠の技デジタルアーカイブ資料」は、本学が展開しているデジタルアーカイブの最新成果であり、これらの研究の拠点となるデジタルアーカイブ研究所では、大学が大学としてのアイデンティティを確立するためにも、「知」の拠点としての地域資源デジタルアーカイブを含めた総合的な大学デジタルアーカイブを構築することを支援している。今後は継続してデジタルアーカイブ研究に取り組むとともに新たな養成カリキュラムを構築することが本学として社会的な責務と捉えている。
2022年1月 デジタルアーカイブ研究所長
はじめに
目次
国指定・国分寺大イチョウ ……………………… 1
国指定・飛騨国分寺塔心礎 ……………………… 5
国指定・松本家 …………………………………… 7
国指定・田中家 …………………………………… 14
国指定・照蓮寺 …………………………………… 19
国指定・高山陣屋 ………………………………… 23
国指定・重要文化財 荒川家住宅(母屋・土蔵) …31
史跡 堂之上遺跡 ………………………………… 38
国指定・吉真家 …………………………………… 42
国指定・若山家 …………………………………… 44
国指定・田口家 …………………………………… 49
指定天然記念物 治郎兵衛のイチイ …………… 55
旧大戸家住宅 ……………………………………… 61
史跡江馬氏館跡公園 国史跡江馬氏城館跡 下館跡 67
国指定・荻町(白川村) ………………………… 72
県指定・新井家 …………………………………… 75
県指定・中薮家 …………………………………… 80
県指定・西岡家 …………………………………… 84
県指定・野首家 …………………………………… 87
県指定・セイロ倉 ………………………………… 91
県指定・前田家 …………………………………… 95
県指定・富田家 …………………………………… 99
県指定・加藤歩簫墓 ……………………………… 105
県指定・赤田臥牛墓 ……………………………… 107
県指定・東山神明神社絵馬殿 …………………… 109
県指定・法華寺本堂 ……………………………… 113
県指定・大雄寺鍾堂 ……………………………… 117
荏野文庫土蔵 ……………………………………… 119
県指定・田中大秀墓 ……………………………… 122
県指定・飛騨東照宮 ……………………………… 125
県指定・三重塔 …………………………………… 129
旧三島家住宅 ……………………………………… 132
重要文化財 円空作仏像(聖・千手・龍頭) …… 140
県指定・荘川桜、御母衣ダム …………………… 143
県指定・赤保木遺跡 ……………………………… 155
高山市指定文化財(建造物)宗猷寺本堂 ………… 158
高山市指定文化財(建造物)宗猷寺鐘堂 ………… 167
雲龍寺鐘楼門(市指定文化財) …………………… 170
大雄寺山門(県指定重要文化財) ………………… 174
法華寺番神堂(市指定文化財) …………………… 178
高山市指定文化財(史跡)山岡鉄舟父母の墓 …… 181
素玄寺本堂(市指定文化財) ……………………… 183
津野滄洲墓 市指定史跡 ………………………… 187
市指定・加藤光正墓 ……………………………… 189
森宗弘墓 市指定史跡 ………………………… … 192
川上別邸史跡公園 高山市指定文化財 ……… … 194
木地師の集団墓地 ………………………………… 198
東照宮境内遺構 …………………………………… 200
市指定・東照宮本地堂 …………………………… 205
市指定・国分寺鐘楼門 …………………………… 208
国分寺表門 ………………………………………… 210
わらび粉小屋 ……………………………………… 213
旧八月一日家住宅 ………………………………… 216
木挽小屋・杣小屋 ………………………………… 219
立保神社拝殿舞台 ………………………………… 224
市指定・松倉観音 ………………………………… 227
市指定・天然記念物 法正寺の枝垂桜 ……… … 233
田上家住宅(市指定文化財) ……………………… 236
旗鉾伊太祁曽神社 ………………………………… 241
高山市指定文化財 千鳥格子御堂 …………… … 246
江馬輝盛の墓 高山市指定文化財 …………… … 249
下呂市天然記念物 位山八幡神社の社叢 ……… 253
旧山岸写真館 ……………………………………… 256
飛騨民俗村山岳資料館 …………………………… 258
山桜神社火の見櫓 ………………………………… 263
天狗総本店 ………………………………………… 269
お美津稲荷 ………………………………………… 273
棲霞山 歓喜寺 …………………………………… 277
大桑城 ……………………………………………… 280
美濃土岐氏、多治見の大畑時代 ………………… 291
名古屋城 …………………………………………… 297
飛騨高山の城主 金森長近 ……………………… 306
岐阜城 ……………………………………………… 312
越前大野城跡 ……………………………………… 323
金森左京家 ………………………………………… 336
安土城下の金森屋敷跡 …………………………… 342
本能寺跡 …………………………………………… 348
松倉城 ……………………………………………… 350
高山城 ……………………………………………… 357
照蓮寺本堂(国指定重要文化財) ………………… 367
伏見城 ……………………………………………… 374
小田原合戦 ………………………………………… 383
肥前名護屋城(佐賀県唐津市)の金森氏布陣場所 393
関ケ原の合戦場・金森氏の布陣場所 …………… 404
大坂の陣・金森氏の配置場所 …………………… 416
駿府城下の金森屋敷 ……………………………… 433
金森氏第 4 代頼直の菩提寺・大隆寺 ………… 443
金森長近を祀る高山市の金龍神社祭礼 ………447
飛騨から山形へ国替え …………………………… 453
金森家累代供養塔-金森家殉死者の墓 ……… … 458
金森長近の美濃市城下町 ………………………… 461
金森氏 6 代頼旹、第 7 代頼錦の郡上八幡城下 471
金森氏第 6 代頼旹、第 7 代頼錦の菩提寺 … … 485
岩手県盛岡の金森氏遺構(第 7 代頼錦の菩提寺) 491
金森氏改易後の金森左京・武生市白崎支配 …… 505
守山市の矢嶋町などの史跡と琵琶湖 …………… 510
江戸・桜田門通りの金森屋敷跡 ………………… 522
江戸・芝の金森屋敷跡 …………………………… 537
日光東照宮ほか 2 件の金森寄進の灯篭 … …… 547
京都の金森氏菩提寺(大徳寺の塔頭龍源院) …… 556
京都天寧寺(金森宗和の菩提寺) ……………562
武野紹鴎から千利休、宗和へとつながる遺構 … 565
金閣寺・夕佳亭宗和の茶室 ……………………… 576
越中街道 ……………………………………… 583
飛騨鰤 …………………………………………… 597
平湯~高原道、中尾峠、安房峠 ………………… 607
岐阜、尾張、京都街道、東海道 ………………… 622
郡上白川街道 …………………………………… 643
江戸街道 … ……………………………………… 654
乗鞍岳 … ………………………………………… 677
乗鞍山麓-五色ヶ原の森 ………………………… 687
御嶽山 …………………………………………… 692
笠ヶ岳 …………………………………………… 702
古川祭屋台 ……………………………………… 712
高山祭屋台の祖型となった山車 ……………… 719
高山祭屋台の彫刻の原点・立川和四郎彫刻 … 735
山岡鉄舟(静岡の史跡) ………………………… 745
田中大秀翁 ……………………………………… 750
飛騨匠の史跡 飛騨国分寺、飛鳥~奈良時代の史跡 755
大津京・近江神宮(飛騨匠の都造り) ………… 758
法輪寺・聖徳太子の御子山背大兄王が建立 … 761
鶉田神社 ………………………………………… 764
加太春日神社 …………………………………… 768
西光寺 …………………………………………… 772
三十三間堂 ……………………………………… 775
目次
※それぞれの項目のWebに資料集の内容が添付してあります。
飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ資料集(中)
発 行 年 2022年1月 初版
制 作 デジタルアーカイブ研究所
監修:久世 均(デジタルアーカイブ研究所長)
編集:大木 佐智子(上級デジタル・アーキビスト)
記録:木幡智子, 井上透, 谷里佐, 林知代,櫟彩見
三宅茜巳, 熊﨑康文,加藤真由美
加治工尚子(デジタルアーカイブ専攻)
刊 行 岐阜女子大学
〒501-2592
岐阜県岐阜市太郎丸80番地
℡ (058)229-2211(代)
資料
【資料】歴史探訪 飛騨高山匠の技
本資料は、高山市教育委員会をはじめ、多くの機関のご協力のもとに、岐阜女子大学デジタルアーカイブ専攻並びに岐阜女子大学大学院デジタルアーカイブ専攻と共同でデジタルアーカイブした飛騨高山匠の技に関する地域資料79,166点を基に作成いたしました。
これらに資料は、Webサイト並びにデータベースを構築し、また元データは、オプティカルディスク・アーカイブとして保存管理しています。
オプティカルディスク・アーカイブは、デジタルデータの長期保存(アーカイブ)を目的とした、大容量光ディスクストレージシステムで、保存寿命100年以上といわれています。
■ 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブとは
飛騨高山匠の技デジタルアーカイブは、文部科学省の私立大学研究ブランディング事業において収集・管理されている飛騨高山匠の技に関する地域資料である79,166点のデータの一部を提供しているWebサイトです。
本事業は、地域に根差し地域社会に貢献する大学として、本学独自で育んできたデジタルアーカイブ研究を活用し、地域資源のデジタルアーカイブ化とその展開によって、伝統文化産業の活性化などの地域課題の実践的な解決や新しい文化を創造できる人材育成を行い、地域の知の拠点となる大学を目指す目的で作成したものです。
第1章 飛騨高山匠の技遺産
Contents1 両面宿儺・・・・・・・ 6
Contents2 桜山八幡宮・・・・・・ 6
Contents3 月ヶ瀬 飛騨の匠碑・・ 7
Contents4 飛鳥大仏・・・・・・・ 7
Contents5 法隆寺・・・・・・・・ 8
Contents6 寿楽寺・・・・・・・・ 8
Contents7 飛騨町・・・・・・・・ 9
Contents8 平城京・・・・・・・・ 9
Contents9 唐招提寺 講堂・・・・ 10
Contents10 朱雀門・・・・・・・・ 10
Contents11 大極殿・・・・・・・・ 11
Contents12 西隆寺・・・・・・・・ 11
Contents13 西大寺・・・・・・・・ 12
Contents14 飛騨国分寺・・・・・・ 12
Contents15 飛騨国分尼寺・・・・・ 13
Contents16 飛騨支路・・・・・・・ 13
Contents17 飛騨一宮水無神社・・・ 14
Contents18 阿多由太神社・・・・・ 14
Contents19 小萱の薬師堂・・・・・ 15
Contents20 荒城神社・・・・・・・ 15
Contents21 安国寺経蔵・・・・・・ 16
Contents22 熊野神社・・・・・・・ 16
Contents23 飛騨匠神社・・・・・・ 17
Contents24 千鳥格子御堂・・・・・ 17
Contents25 高山陣屋・・・・・・・ 18
Contents26 春の高山祭 山王祭 ・・ 18
Contents27 秋の高山祭 八幡祭 ・・ 19
Contents28 飛騨春慶塗・・・・・ 19
Contents29 一位一刀彫・・・・・ 20
Contents30 高山市三町伝統的建造物群保存地区 20
Contents31 高山市下二之町・大新町伝統的建造物群保存地区 21
Contents32 吉島家・日下部家住宅・ 21
Contents33 千光寺・・・・・・・ 22
Contents34 位 山 ・・・・・ 22
Contents35 飛騨一宮水無神社例祭・ 23
Contents36 宮 川 ・・・・・・ 23
Contents37 西隆寺塔跡・・・・・ 24
Contents38 唐招提寺・・・・・・ 24
Contents39 森水無八幡神社・・・ 25
Contents40 位山八幡神・・・・・ 25
Contents41 若宮八幡神社・・・・ 26
Contents42 東大寺・・・・・・・ 26
Contents43 生きびな祭り・・・・ 27
Contents44 飛騨民俗村・飛騨の里 27
Contents45 日枝神社・・・・・・ 28
Contents46 寿楽寺廃寺跡・・・ ・ 28
Contents47 杉崎廃寺・・・・・・ 29
Contents48 龍應山西明寺・・・・ 29
Contents49 薬師寺・・・・・・・ 30
Contents50 興福寺・・・・・・・ 30
Contents51 霊雲寺・・・・・・・ 31
Contents52 宗猷寺・・・・・・・ 31
Contents53 雲龍寺・・・・・・・ 32
Contents54 勝久寺・・・・・・・ 32
Contents55 大雄寺・・・・・・・ 33
Contents56 常照寺・・・・・・・ 33
Contents57 石舞台古墳・・・・・ 34
Contents58 檜隈寺跡・・・・・・ 34
Contents59 高松塚古墳・・・・・ 35
Contents60 キトラ古墳・・・・・ 35
Contents61 光寿庵跡・・・・・・ 36
Contents62 石橋廃寺・・・・・・ 36
Contents63 東寺・・・・・・・・ 37
Contents64 平安京跡・・・・・・ 37
Contents65 近江大津宮跡・・・・ 38
Contents66 長岡宮跡・・・・・・ 38
Contents67 難波宮跡・・・・・・ 39
Contents68 石山寺・・・・・・・ 39
Contents69 東山道・赤坂宿・・・ 40
Contents70 紫香楽宮・・・・・・ 40
Contents71 恭仁京・・・・・・・ 41
Contents72 東山神明神社・・・・ 41
Contents73 田上家住宅・・・・・ 42
Contents74 二荒山神社・・・・・ 42
Contents75 日光山輪王寺大猷院・ 43
Contents76 下原八幡神社(水無八幡宮)43
Contents77 乗政八幡神社・・・・ 44
Contents78 日龍峯寺・・・・・・ 44
Contents79 飛鳥寺・・・・・・・ 45
Contents80 福原京・・・・・・・ 45
Contents81 第1次平城宮・・・・ 46
Contents82 第2次平城宮・・・・ 46
Contents83 藤原京・・・・・・・ 47
Contents84 飛鳥浄御原宮・・・・ 47
Contents85 豊浦宮・・・・・・・ 48
Contents86 難波長柄豊崎宮・・・ 48
Contents87 飛鳥川原宮(橘寺)・・ 49
Contents88 飛鳥川原宮(川原寺)・ 49
Contents89 塔の腰廃寺・・・・・ 50
Contents90 上町廃寺・・・・・・ 50
Contents91 古町廃寺・・・・・・ 51
Contents92 沢廃寺・・・・・・ 51
Contents93 山田寺・・・・・・ 52
Contents94 石神遺跡・・・・・・ 52
Contents95 甘樫丘・・・・・・・ 53
Contents96 野洲・・・・・・・・ 53
Contents97 五箇荘・・・・・・・ 54
Contents98 不破の関・・・・・・ 54
Contents99 美濃国分寺・・・・・ 55
Contents100 長良北町・・・・・ 55
Contents101 下之保・・・・・・ 56
Contents102 神渕・・・・・・・ 56
Contents103 菅田・・・・・・・ 57
Contents104 金山・・・・・・ ・ 57
Contents105 下原八幡神社・・・ 58
Contents106 火打峠・・・・・・ 58
Contents107 乗政・・・・・・・ 59
Contents108 初矢峠の石畳・・・ 59
Contents109 下呂解脱観音・・・ 60
Contents110 下呂・・・・・・・ 60
Contents111 上呂・・・・・・・ 61
Contents112 あさんず橋・・・・ 61
Contents113 位山神社周辺・・・ 62
Contents114 位山峠の石碑・・・ 62
Contents115 飛騨支路・苅安峠・ 63
Contents116 三仏寺廃寺・・・・ 63
Contents117 東光寺跡・・・・・ 64
Contents118 名張廃寺・・・・・ 64
Contents119 堂前廃寺・・・・・ 65
Contents120 平安京・船岡山・建勲神社 65
Contents121 平安京 大極殿・・ 66
Contents122 平安京 羅城門跡・ 66
Contents123 匠の道・平城京・・ 67
Contents124 椿井大塚山古墳・・ 67
Contents125 匠の道・蟹満寺・・ 68
Contents126 匠の道・瀬田の唐橋 68
Contents127 東山道・草津宿・・ 69
Contents128 東山道・守山宿・・ 69
Contents129 飛騨匠伝説(郡上・立花六角堂) 70
Contents130 飛騨の版画・・・・ 70
Contents131 飛騨の木製飛行機・ 71
Contents132 郡上長滝寺と飛騨匠 71
Contents133 近代建築の名工・坂下甚吉 72
Contents134 名工・西田伊三郎(吉島家) 72
Contents135 名工・川尻治助(日下部、田上家) 73
Contents136 高山の土蔵の創始・江戸屋萬蔵 73
Contents137 屋台彫刻の名手・谷口与鹿 74
Contents138 匠伝承・西明寺三重塔 74
Contents139 匠伝承・西明寺本堂 75
Contents140 古川祭・・・・・・ 75
Contents141 亀塚古墳・・・・・ 76
Contents142 飛騨国分尼寺と条里 76
Contents143 縄文時代の木工技術 77
Contents144 東山白山神楽台、飛騨総社 77
Contents145 鎌倉大仏殿高徳院・ 78
Contents146 長谷寺・・・・・・ 78
Contents147 円覚寺・・・・・・ 79
Contents148 建長寺・・・・・・ 79
Contents149 鶴岡八幡宮・・・・ 80
Contents150 飛騨の家具・・・・ 80
Contents151 高山城址・・・・・ 81
Contents152 和歌浦天満宮・・・ 81
Contents153 紫香楽宮跡(甲賀寺跡) 82
Contents154 姫路城・・・・・・ 82
Contents155 豊国神社・・・・・ 83
Contents156 平湯神社・・・・・ 83
Contents157 飛騨木工家具・・・ 84
資料1 デジタルサイネージへの展開 84
第2章 左甚五郎遺産
Contents1 根来寺・・・・・・・ 86
Contents2 北野天満宮・・・・・ 86
Contents3 豊国神社・・・・・・ 87
Contents4 手力雄神社・・・・・ 87
Contents5 瑞巌寺・・・・・・・ 88
Contents6 浮島観音堂・・・・・ 88
Contents7 願成院本堂(愛染堂) 89
Contents8 飛騨一宮水無神社・・ 89
Contents9 鳥追観音(如法寺) ・ 90
Contents10 北口本宮冨士浅間神社 90
Contents11 酒列磯前神社・・・・ 91
Contents12 圓明寺・・・・・・ 91
Contents13 西橋寺・・・・・・・ 92
Contents14 方広寺・・・・・・・ 92
Contents15 知恩院・・・・・・・ 93
Contents16 石清水八幡宮・・・・ 93
Contents17 誠照寺・・・・・・・ 94
Contents18 成相寺・・・・・・・ 94
Contents19 園城寺(三井寺) ・ 95
Contents20 米倉寺・・・・・・・ 95
Contents21 桃原寺・・・・・・・ 96
Contents22 長国寺・・・・・・・ 96
Contents23 誕生寺・・・・・・・ 97
Contents24 神野寺・・・・・・・ 97
Contents25 浄願寺・・・・・・・ 98
Contents26 書写山圓教寺・・・・ 98
Contents27 熊野速玉大社・・・・ 99
Contents28 紀州東照宮・・・・・ 99
Contents29 定光寺・・・・・・ 100
Contents30 龍潭寺・・・・・・ 100
Contents31 粉河寺・・・・・・ 101
Contents32 安楽寺・・・・・・ 101
Contents33 秩父神社・・・・・ 102
Contents34 東福寺・・・・・・ 102
Contents35 大門神社・・・・・ 103
Contents36 国昌寺・・・・・・ 103
Contents37 龍門寺・・・・・・ 104
Contents38 出雲大社・・・・・ 104
Contents39 日光東照宮・・・・ 105
Contents40 上野東照宮・・・・ 105
Contents41 久津八幡宮・・・・ 106
Contents42 鶉田神社・・・・・ 106
Contents43 加太春日神社・・・ 107
資料2 オプティカルディスク・アーカイブ 107
飛騨高山匠の技デジタルアーカイブについて 108
冊 子
表1
本文1P-6P
本文7P-86P_Part1
本文7P-86P_Part2
本文7P-86P_Part3
本文87P-109P
本文110P-111P
三十三間堂
国宝|千手観音坐像
千手観音坐像は蓮華王院の本尊で、鎌倉時代後期の仏師、湛慶(たんけい)とその弟子たちによる作品です。左右1000体の立像の中央、高い位置に安置されています。高さ3.35m、背後の光背まで含めると約7mにも及ぶ大きな坐像はヒノキ材の寄木造りで、漆を塗った上に金箔が施されており、国宝に指定されています。42本の手で「千手」を表現し、尊くも暖かい表情が特徴的です。
国宝|千体千手観音立像
中央に鎮座する千手観音坐像の両脇に配置されています。左右10列の各段に50体ずつ整然と並ぶ様子は壮観で、三十三間堂ならではの景色といえます。坐像の背後にも立像が1体安置されており、立像だけで1001体という数です。
本尊と同じヒノキの漆箔に寄木造りで、一体一体が11の顔と40の手を持っている、なんとも巧緻な作りです。1249年の火災でそのほとんどが失われ、創建時の平安時代の像は124体が残るのみ。あとの像は全て鎌倉時代に16年をかけて再興され、日本中の著名な仏師たちがこの一大国家プロジェクトに関わりました。一体一体魂を込めて作られた仏像たちは、それぞれ違った表情を湛えており、会いたい人に似た顔の仏像を見つけることができるとも伝えられています。2018年、国宝に指定されました。
風神雷神と二十八部衆
二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)とは、千手観音の眷属(使いの者)のことです。三十三間堂では、二十八部衆に風神、雷神を加えた30体もの等身大の仏像が、千体仏の前に立ち並びます。ヒノキの寄木造りで彩色が施されており、二十八部衆のそれぞれの神様に基づいた造作です。甲冑を身に着けた像や、楽器を手に持つ像など、それぞれがユニークな表情や姿を表し、千手観音像とは異なった趣があります。
太閤塀
太閤塀(たいこうべい)は桃山時代に、豊臣秀吉の寄進により建てられた、泥土をつき固めたつくりの築地塀です。秀吉が権勢誇示のために建立した大仏殿方広寺(だいぶつでん ほうこうじ)の塀として、南大門とともに造営されました。現在は方広寺は失われており、この太閤塀と南大門のみが残っています。
太閤とは、関白の位を子孫に譲った者を指す称号を意味します。豊臣の家紋である「桐紋」があしらわれ、当時秀吉が太閤であったことから、太閤塀と呼ばれています。桃山文化の気風に溢れた作りで、国の重要文化財に指定されています。
三十三間堂の歴史
三十三間堂という名前は、南北120mに渡る大きな本堂の内陣に「33の柱間」があるという特徴から由来します。「三十三」という数字にも理由があり、観音様が人々の救済のため「三十三の姿に変化する」というエピソードに基づいています。
三十三間堂は蓮華王院の本堂として、1164年に平清盛の寄進により、後白河上皇の法住寺殿内に離宮として建てられました。創建当時の外装は朱塗り、建物の内部は花や雲文様などが極彩色で彩られ、豪奢な作りだったと伝えられています。
創建から80年後に焼失してしまいましたが、後嵯峨上皇によって1266年に再建されたものが現在まで残っています。室町時代に入ってから足利義教により本格的な修復が行われ、全てが完成するまでには5年もの年月を費やしたといわれています。
国宝にも指定されている千手観音坐像を作った湛慶は、東大寺南大門の金剛力士立像を作ったことで有名な運慶の息子です。千手観音坐像は、湛慶にとって生涯最後の傑作となりました。
千手観世音菩薩はねずみ年の守護本尊でもあります。ねずみ年生まれの人はより一層のご利益を願い、参拝に訪れてみてはいかがでしょうか。
三十三間堂の伝統行事
通し矢|大的大会
桃山時代から行われているという「通し矢(とおしや)」は、仏堂南端から120mの距離を弓で射通し、その矢の数で競います。江戸時代には、「大矢数(おおやかず)」と呼ばれる競技が人気を博しました。一昼夜に千本から一万数千本を射つづけ、その数の多さで競います。武芸者の強靭な肉体と研ぎ澄まされた精神を見せつけるこの競技は、特に尾張、紀州の二藩の間で盛んとなり、京都の名物行事までなりました。
この通し矢にちなんで、現在は毎年1月中旬の日曜日に「大的大会」が行われ、全国の弓術家がその腕を競っています。大会当日は境内が無料開放され自由に見学ができるため、大勢の見物客で賑わい、正月の雰囲気を盛り上げます。
春桃会
春桃会(しゅんとうえ)は「三十三間堂」の名前にちなんで、「三」の重なる3月3日に行なわれる法要行事です。華道の名家である池坊の献華式と華展、寄席などが催され、境内は無料開放されます。参拝者は、ひな祭りにちなんだ女性専用の「桃のお守り」をいただくことができます。
楊枝のお加持
楊枝のお加持(やなぎのおかじ)とは、平安時代から続く伝統的な法要です。大的大会と同じ1月中旬の日曜日に行われ、境内が無料開放されます。三十三間堂を管理する妙法院の門主などの僧侶が、聖樹とされる柳で、祈願した法水を参拝者の頭に注ぎ、病気平癒を願います。この風習は、頭痛に悩まされていた後白河上皇が楊枝の里(やなぎのさと)の柳を三十三間堂の棟木に使ったところ、頭痛が治まったという逸話に由来しています。頂いた柳の小枝は、頭痛平癒にご利益があるといわれています。
三十三間堂のお守り
後白河上皇の病気平癒の逸話から、三十三間堂では頭痛封じのお守りを受けることができます。悪疫退散、難病除けに功徳のある「悪疫守護お守り」も授与しています。また境内にある「夜泣泉」のお地蔵様のよだれかけは、夜泣き封じにご利益があると伝えられています。
#左甚五郎
資料集
125_336_三十三間堂
【資料集】飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ資料集(上)
平成29年度に文部科学省の私立大学研究ブランディング事業の「地域資源デジタルアーカイブによる知の拠点形成のための基盤整備事業」で採択され、3年間にわたりこれまでに本学独自で育んできたデジタルアーカイブ研究を活用し、地域資源のデジタルアーカイブ化とその展開によって、伝統文化産業の活性化などの地域課題の実践的な解決や新しい文化を創造できる人材育成を行い、地域の知の拠点となる大学を目指し事業を展開してきた。
その中でも「飛騨高山の匠の技デジタルアーカイブ」は、以下の点に注力して研究を進めてきた。
①伝統文化産業(飛騨春慶・一位一刀彫等)を多視点でデジタルアーカイブし、歴史的な視点を総合的にまとめ、匠の “こころ”をオーラルヒストリー等により「知の増殖型サイクル」を構成し、これらの一部を海外へ発信することにより伝統文化産業の振興を図る。
②伝統文化産業における匠の技とその歴史的な背景をまとめてデジタルアーカイブ化することで、伝統文化産業の理解と継承が容易になる。さらに、継承の過程で生まれた新しい知見を「知の増殖型サイクル」で取り込み、その利活用によって地域社会の振興を支援できる。
③フィールドにおける効果検証をするためのデジタルアーカイブ研究として捉え、解の見えない地域課題の解決をするための地域資源デジタルアーカイブとそのメソッドを確立する。
これらにより、地域の知が適切に循環・増殖することで新たな価値の創造と、これらを実践できる高度な専門的な知識を持つ人材の養成による雇用の創出を促進し、その結果として「知の増殖型サイクル」としてデジタルアーカイブの効果が認められ、さらにデジタルアーカイブの新たな展開が期待できる。また、これにより大学は地域に開かれた「知の拠点」となりうる。
この「飛騨高山の匠の技デジタルアーカイブ資料」は、本学が展開しているデジタルアーカイブの最新成果であり、これらの研究の拠点となるデジタルアーカイブ研究所では、大学が大学としてのアイデンティティを確立するためにも、「知」の拠点としての地域資源デジタルアーカイブを含めた総合的な大学デジタルアーカイブを構築することを支援している。今後は継続してデジタルアーカイブ研究に取り組むとともに新たな養成カリキュラムを構築することが本学として社会的な責務と捉えている。
2020年10月 デジタルアーカイブ研究所長
はじめに
目次
春の高山祭(山王祭) …………………… 1
千光寺 ……………………………………… 53
位山 ………………………………………… 65
飛騨一宮水無神社例祭 …………………… 78
飛騨支路・位山道 ………………………… 138
宮川 ………………………………………… 143
飛騨の木工家具 …………………………… 146
吉島家・日下部家 ………………………… 169
高山市下二之町大新町伝統的建造物群保存地区 177
高山市三町伝統的建造物群保存地区 ………182
一位一刀彫 ………………………………… 189
飛騨春慶 …………………………………… 192
春の高山祭 山王祭 …………………………200
高山陣屋 …………………………………… 259
千鳥格子御堂 ……………………………… 263
飛騨匠神社 ………………………………… 265
熊野神社 …………………………………… 268
安国寺経蔵 ………………………………… 270
荒城神社 …………………………………… 277
小萱の薬師堂 ……………………………… 279
阿多由太神社 ……………………………… 284
飛騨国分尼寺 ……………………………… 286
飛騨国分寺 ………………………………… 288
飛騨一宮水無神社 ………………………… 293
西大寺 ……………………………………… 307
西隆寺塔跡 ………………………………… 312
大極殿 ……………………………………… 315
朱雀門 ……………………………………… 317
唐招提寺 …………………………………… 319
平城宮 ……………………………………… 329
飛騨町 ……………………………………… 334
寿楽寺 ……………………………………… 338
法隆寺 ……………………………………… 344
飛鳥大仏 …………………………………… 355
月ヶ瀬 飛騨匠の碑 ……………………… 359
桜山八幡宮 ………………………………… 361
両面宿儺 …………………………………… 372
森水無八幡神社 …………………………… 374
位山八幡神社 ……………………………… 378
久津八幡宮 ………………………………… 381
若宮八幡神社 ……………………………… 387
東大寺 ……………………………………… 391
生きびな祭り ……………………………… 399
飛騨民俗村・飛騨の里 …………………… 416
日枝神社 …………………………………… 425
寿楽寺廃寺跡 ……………………………… 428
杉崎廃寺 …………………………………… 435
龍應山西明寺 ……………………………… 439
薬師寺 ……………………………………… 443
興福寺 ……………………………………… 447
上野東照宮 ………………………………… 449
霊雲寺 ……………………………………… 453
宗猷寺 ……………………………………… 455
雲龍寺 ……………………………………… 458
勝久寺 ……………………………………… 460
大雄寺 ……………………………………… 464
常照寺 ……………………………………… 467
石舞台古墳 ………………………………… 475
檜隈寺跡 …………………………………… 481
高松塚古墳 ………………………………… 485
キトラ古墳 ………………………………… 488
光寿庵跡 …………………………………… 496
石橋廃寺 …………………………………… 500
東寺 ………………………………………… 504
平安京跡 …………………………………… 516
近江大津宮跡 ……………………………… 540
長岡宮跡 …………………………………… 545
難波宮跡 …………………………………… 549
石山寺 ……………………………………… 554
東山道・赤坂宿 …………………………… 571
紫香楽宮 …………………………………… 576
恭仁京 ……………………………………… 578
東山神明神社 ……………………………… 580
田上家住宅 ………………………………… 582
日光東照宮 ………………………………… 585
二荒山神社 ………………………………… 589
日光山輪王寺大猷院 ……………………… 591
下原八幡神社(水無八幡宮) …………… 596
乗政八幡神社 ……………………………… 599
日龍峯寺 …………………………………… 602
飛鳥寺 ……………………………………… 613
福原京 ……………………………………… 621
第1次平城宮 ……………………………… 641
第2次平城宮 ……………………………… 653
藤原京 ……………………………………… 658
飛鳥浄御原宮(板蓋宮を含む) …………… 668
豊浦宮 ……………………………………… 674
難波長柄豊崎宮 …………………………… 678
飛鳥川原宮(橘寺) ………………………… 681
飛鳥川原宮(川原寺) ……………………… 687
塔の腰廃寺 ………………………………… 691
上町廃寺 …………………………………… 693
古町廃寺 …………………………………… 697
沢廃寺 ……………………………………… 700
山田寺 ……………………………………… 703
石神遺跡 …………………………………… 706
甘樫丘 ……………………………………… 710
野洲 ………………………………………… 715
五箇荘 ……………………………………… 724
不破の関 …………………………………… 727
美濃国分寺 ………………………………… 731
長良北町 …………………………………… 736
下之保 ……………………………………… 741
神渕 ………………………………………… 745
菅田 ………………………………………… 749
金山 ………………………………………… 752
下原八幡神社 ……………………………… 756
火打峠 ……………………………………… 760
乗政 ………………………………………… 764
初矢峠の石畳 ……………………………… 769
下呂解脱観音 ……………………………… 774
下呂 ………………………………………… 778
上呂 ………………………………………… 782
あさんず橋 ………………………………… 791
位山神社周辺 ……………………………… 795
位山峠の石碑 ……………………………… 801
飛騨支路・苅安峠 ………………………… 804
三仏寺廃寺 ………………………………… 808
東光寺跡 …………………………………… 811
名張廃寺 …………………………………… 814
堂前廃寺 …………………………………… 817
平安京・船岡山・建勲神社 ……………… 820
平安京 大極殿 …………………………… 826
平安京 羅城門跡 ………………………… 830
匠の道・平城京 …………………………… 835
椿井大塚山古墳 …………………………… 842
匠の道・蟹満寺 …………………………… 844
匠の道・瀬田の唐橋 ……………………… 846
東山道・草津宿 …………………………… 853
東山道・守山宿 …………………………… 857
飛騨匠伝説(郡上・立花六角堂) ………… 860
飛騨の版画 ………………………………… 862
飛騨の木製飛行機 ………………………… 866
郡上長滝寺と飛騨匠 ……………………… 868
近代建築の名工・坂下甚吉 ……………… 870
名工・西田伊三郎(吉島家) ……………… 872
名工・川尻治助(日下部、田上家) ……… 875
高山の土蔵の創始・江戸屋萬蔵 ………… 878
屋台彫刻の名手・谷口与鹿 ……………… 880
匠伝承・西明寺三重塔 …………………… 883
匠伝承・西明寺本堂 ……………………… 886
古川祭 ……………………………………… 893
亀塚古墳 …………………………………… 909
飛騨国分尼寺と条里 ……………………… 911
縄文時代の木工技術 ……………………… 916
東山白山神楽台、飛騨総社 ……………… 920
鎌倉大仏殿高徳院 ………………………… 922
長谷寺 ……………………………………… 925
円覚寺 ……………………………………… 928
建長寺 ……………………………………… 933
鶴岡八幡宮 ………………………………… 938
飛騨の家具 ………………………………… 942
高山城址 …………………………………… 945
龍門寺 ……………………………………… 950
安楽寺 ……………………………………… 953
秩父神社 …………………………………… 958
東福寺 ……………………………………… 963
大門神社 …………………………………… 967
国昌寺 ……………………………………… 970
和歌浦天満宮 ……………………………… 974
紀州東照宮 ………………………………… 977
定光寺 ……………………………………… 984
龍潭寺 ……………………………………… 989
粉河寺 ……………………………………… 996
米倉寺 …………………………………… 1001
桃原寺 ……………………………………… 1005
長国寺 ……………………………………… 1007
誕生寺 ……………………………………… 1011
神野寺 ……………………………………… 1015
浄願寺 ……………………………………… 1020
書写山圓教寺 ……………………………… 1023
熊野速玉大社 ……………………………… 1036
西橋寺 ……………………………………… 1047
出雲大社 …………………………………… 1051
方広寺 ……………………………………… 1057
知恩院 ……………………………………… 1060
石清水八幡宮 ……………………………… 1064
誠照寺 ……………………………………… 1068
成相寺 ……………………………………… 1074
園城寺(三井寺) ………………………… 1078
圓明寺 ……………………………………… 1086
北口本宮冨士浅間神社 …………………… 1098
酒列磯前神社 ……………………………… 1104
鳥追観音(如法寺) ……………………… 1110
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) ………………… 1115
浮島観音堂 ………………………………… 1121
願成院本堂(愛染堂) …………………… 1127
瑞巌寺 ……………………………………… 1138
姫路城 ……………………………………… 1147
手力雄神社 ………………………………… 1153
根来寺 ……………………………………… 1158
北野天満宮 ………………………………… 1165
豊国神社 …………………………………… 1171
平湯神社 …………………………………… 1175
目次
※それぞれの項目のWebに資料集の内容が添付してある。
飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ資料集(上)
発 行 年 2020年10月 初版
制 作 デジタルアーカイブ研究所
監修:久世 均(デジタルアーカイブ研究所長)
編集:大木 佐智子(上級デジタル・アーキビスト)
記録:石橋 豊之, 井上 透, 谷 里佐, 林 知代,櫟 彩見
三宅 茜巳, 熊﨑 康文,加藤 真由美
加治工 尚子(デジタルアーカイブ専攻)
刊 行 岐阜女子大学
〒501-2592
岐阜県岐阜市太郎丸80番地
℡ (058)229-2211(代)
資料
西光寺
寛文二年(1662年)本願寺第十三世良如上人より木仏(阿弥陀如来像)と寺号(西光寺)を下附されたと伝わる。当初しばらくは現在の大阪府八尾市にある恵光寺の末寺であったらしい。堂内正面にある鳳凰の欄間には、泉州貝塚左甚五郎伝子、岸上但馬守藤原朝臣定勝とある。本堂と山門は、昭和47年に記念事業の一環で改築され、当時としては珍しい鉄筋コンクリート建て銅葺き屋根である。関屋仏教日曜学校(大谷派隣寺と合同運営)、西光寺仏教婦人会、西光寺めぐみ会(仏教壮年会を含む)などの教化活動、他には、お寺deヨーガ、報恩講コンサート、ムジークフェストなら連携コンサートなどを開催している。令和二年四月には門信徒合同のお墓『法縁廟』が建碑された。
#左甚五郎
資料集
124_335_西光寺
【資料】飛騨高山匠の技探訪「飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ」
■ 本資料について
本資料は、高山市教育委員会をはじめ、多くの機関のご協力のもとに、岐阜女子大学デジタルアーカイブ専攻並びに岐阜女子大学大学院デジタルアーカイブ専攻と共同でデジタルアーカイブした飛騨高山匠の技に関する地域資料79,166点を基に作成いたしました。
これらに資料は、Webサイト並びにデータベースを構築し、また元データは、オプティカルディスク・アーカイブとして保存管理しています。
オプティカルディスク・アーカイブは、デジタルデータの長期保存(アーカイブ)を目的とした、大容量光ディスクストレージシステムで、保存寿命100年以上といわれています。
■ 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブとは
飛騨高山匠の技デジタルアーカイブは、文部科学省の私立大学研究ブランディング事業において収集・管理されている飛騨高山匠の技に関する地域資料である79,166点のデータの一部を提供しているWebサイトです。
本事業は、地域に根差し地域社会に貢献する大学として、本学独自で育んできたデジタルアーカイブ研究を活用し、地域資源のデジタルアーカイブ化とその展開によって、伝統文化産業の活性化などの地域課題の実践的な解決や新しい文化を創造できる人材育成を行い、地域の知の拠点となる大学を目指す目的で作成したものです。
表紙
目次
第1章 飛騨高山匠の技遺産
Contents1 両面宿儺・・・・・・・・ 6
Contents2 桜山八幡宮・・・・・・・ 6
Contents3 月ヶ瀬 飛騨の匠碑・・・ 7
Contents4 飛鳥大仏・・・・・・・・ 7
Contents5 法隆寺・・・・・・・・・ 8
Contents6 寿楽寺・・・・・・・・・ 8
Contents7 飛騨町・・・・・・・・・ 9
Contents8 平城京・・・・・・・・・ 9
Contents9 唐招提寺 講堂・・・・・ 10
Contents10 朱雀門・・・・・・・・・ 10
Contents11 大極殿・・・・・・・・・ 11
Contents12 西隆寺・・・・・・・・・ 11
Contents13 西大寺・・・・・・・・・ 12
Contents14 飛騨国分寺・・・・・・・ 12
Contents15 飛騨国分尼寺・・・・・・ 13
Contents16 飛騨支路・・・・・・・・ 13
Contents17 飛騨一宮水無神社・・・・ 14
Contents18 阿多由太神社・・・・・・ 14
Contents19 小萱の薬師堂・・・・・・ 15
Contents20 荒城神社・・・・・・・・ 15
Contents21 安国寺経蔵・・・・・・・ 16
Contents22 熊野神社・・・・・・・・ 16
Contents23 飛騨匠神社・・・・・・・ 17
Contents24 千鳥格子御堂・・・・・・ 17
Contents25 高山陣屋・・・・・・・・ 18
Contents26 春の高山祭 山王祭 ・・・ 18
Contents27 秋の高山祭 八幡祭 ・・・ 19
Contents28 飛騨春慶塗・・・・・・・ 19
Contents29 一位一刀彫・・・・・・・ 20
Contents30 高山市三町伝統的建造物群保存地区 20
Contents31 高山市下二之町・大新町伝統的建造物群保存地区 21
Contents32 吉島家・日下部家住宅・・ 21
Contents33 飛騨木工家具・・・・・・ 22
資料1 デジタルサイネージへの展開 22
第2章 左甚五郎遺産
Contents1 根来寺・・・・・・・・・ 24
Contents2 北野天満宮・・・・・・・ 24
Contents3 豊国神社・・・・・・・・ 25
Contents4 手力雄神社・・・・・・・ 25
Contents5 瑞巌寺・・・・・・・・・ 26
Contents6 浮島観音堂・・・・・・・ 26
Contents7 願成院本堂(愛染堂) ・ 27
Contents8 飛騨一宮水無神社・・・・ 27
Contents9 鳥追観音(如法寺) ・・ 28
Contents10 北口本宮冨士浅間神社・・ 28
Contents11 酒列磯前神社・・・・・・ 29
Contents12 圓明寺・・・・・・・・・ 29
Contents13 西橋寺・・・・・・・・・ 30
Contents14 方広寺・・・・・・・・・ 30
Contents15 知恩院・・・・・・・・・ 31
Contents16 石清水八幡宮・・・・・・ 31
Contents17 誠照寺・・・・・・・・・ 32
Contents18 成相寺・・・・・・・・・ 32
Contents19 園城寺(三井寺) ・・・ 33
Contents20 米倉寺・・・・・・・・・ 33
Contents21 桃原寺・・・・・・・・・ 34
Contents22 長国寺・・・・・・・・・ 34
Contents23 誕生寺・・・・・・・・・ 35
Contents24 神野寺・・・・・・・・・ 35
Contents25 浄願寺・・・・・・・・・ 36
Contents26 書写山圓教寺・・・・・・ 36
Contents27 熊野速玉大社・・・・・・ 37
Contents28 紀州東照宮・・・・・・・ 37
Contents29 定光寺・・・・・・・・・ 38
Contents30 龍潭寺・・・・・・・・・ 38
Contents31 粉河寺・・・・・・・・・ 39
Contents32 安楽寺・・・・・・・・・ 39
Contents33 秩父神社・・・・・・・・ 40
Contents34 東福寺・・・・・・・・・ 40
Contents35 大門神社・・・・・・・・ 41
Contents36 国昌寺・・・・・・・・・ 41
Contents37 龍門寺・・・・・・・・・ 42
Contents38 出雲大社・・・・・・・・ 42
Contents39 日光東照宮・・・・・・・ 43
Contents40 上野東照宮・・・・・・・ 43
Contents41 久津八幡宮・・・・・・・ 44
Contents42 鶉田神社・・・・・・・・ 44
Contents43 加太春日神社・・・・・・ 45
資料2 オプティカルディスク・アーカイブ 45
飛騨高山匠の技デジタルアーカイブについて 46
資料の説明
裏表紙
監修:久世均(岐阜女子大学)
編修・執筆:山田紗弥・若林 萌・山村菜摘(岐阜女子大学・デジタルアーカイブ専攻)
メタデータ
加太春日神社
加太春日神社の創建年代は明確ではないが、紀伊国造家旧記によると、神武天皇御東征の御代に、天道根命が神寳二種を奉じて加太浦に上陸、頓宮を造営して天照大御神を祀ったことに始まるという。 当地は海に面して漁業の盛んなところであるため、のちに航海安全と大漁を祈願する住吉神社を合祀したらしく、文保元年(一三一七年)六月二十九日付賀太庄住吉社への寄進状(向井家文書)が残されている。
当社の社名については、紀伊風土記によると日野左衛門藤原光福が地頭としてこの地を支配した嘉元年間(一三〇三~一三一七年)に、自分の祖先神である春日三神をあらたに祀り、総名として「春日社」と称したとあり、嘉吉2年(一四四二年)の記録に春日明神神事日記(向井家文書)がある。 紀伊名所図絵によると、社地はもと、現在地から東の山の中腹にあったが、天正年間(一五七三~一五九二年)に羽柴秀長の家臣で和歌山城代(当時、秀長は大和郡山に居城、大和、和泉、紀伊三国を領し、紀伊国は和歌山城代が支配)、桑山重晴によって現在地に遷したと記している。なお、棟札(重文)によって慶長元年(一五九六年)に大がかりな社殿の造作がなされたことも実証されている。
当神社は、明治時代まで神職はおかず、神社経営は宮座形式の当屋制によって運営されていた。そのため、神社には記録文書類は全く存在せず、他からの資料に頼らざるを得ないが、御神徳の篤い神社であることは、「紀伊国神名帳」に「正一位春日大神」と記されており、神格の高さを知ることが出来ると共に、役小角(飛鳥時代の山岳修業者で修験道の開祖者、役行者とも称す)が、友ヶ島を行場とし、当社を勧請して守護神とされた。そのため現在でも毎年四月、当社に聖護院門跡が大勢の山伏僧と共に参拝されていることからもわかる。 また、昭和五十六年、環境庁(現環境省)主催の第二十三回自然公園大会において、採火神社に指定され、聖火を献火すると共に、氏子有志による獅子舞が郷土芸能として披露された。
なお、加太春日神社の現在の社名は、太平洋戦争後、全国の神社が国家の保護を離れ、宗教法人による神社に切り替わったとき、用いられたものである。
現在の御社殿は、一間社流造、千鳥破風及び軒唐破風付き檜皮葺で、構造をはじめ木鼻、蟇股、手挟、欄間、脇障子などの彫刻が雄大、豪壮でよく桃山時代の特徴を表しているとして、昭和6年に国宝として指定され、戦後は国指定重要文化財として保存されている。
蟇股の向拝の彫刻は透彫で、中央は雲に龍、,裏は雲、向かって左は竹に虎、 裏は竹に椿、右は牡丹に唐獅子、裏は牡丹が彫られており、身舎の正面の中央には宝珠、左は恵比須、右は大黒天、東側は桐に鳳凰と迦陵頻伽、西側は貝類と波に蝦、後側の中央は水に若葉と筆、左右には桐と菊を配している。 手挟の東は牡丹に蓮、西は菊に枇杷など多くの彫刻で飾られているが、あまり人目につかない軒唐破風の付け根にも二匹の鯉が相対しているなど、あらゆる面に細心の気配りがうかがわれる。 迦陵頻伽は梵語で極楽鳥のことであるが、人頭鳥身で仏前を飾る華鬘にももちいられ、蟇股の飾りに取り入れられたのは類例がなく、また、西側に貝類と波に蝦など珍しい飾りを配するなど地域性も考慮した精密な構想の下に建立された華麗な極彩色の社殿であったが、明治初年の神仏分離の際、すべて剥ぎ取ってしまったと言うことである。
古老らに聞くと、国宝になる以前から左甚五郎の作った立派な社殿だからご利益があり、どの角でもよいからよいから担ぐと肩の凝りが治り、無病息災になると言い伝え、特に節分の日には大勢の人が、「どうのすみかたげよ」といいながら担いだものであるという。
#左甚五郎
資料集
123_332_加太春日神社
鶉田神社
宝亀二年創祀。天武天皇の第三皇子一品舎人親王の孫権中納言式部卿秀重、宝亀二年鶉の森を拓き、鶉の郷と名付け、郷内天王森に鎮守の祠を建て(素盞鳴尊を祀れり。弘安四年蒙古来寇の時、御祈願の為勅使参向あり。平定の後、皇室より大床安坐の狛犬を下賜せらるる。永禄年中織田信長、斉藤龍興征討の際戦勝祈願あり。斉藤滅亡の後紋所を寄進し、且つ社殿改築寄進あり。後光明天皇正保年中社殿炎上したれども、御神体及び大床安坐の狛犬のみ難を逃れたり。其の後加納藩主松平丹波守光重に於いて再建し、且つ社田旧高十石を寄進せらる。社殿の彫刻は左甚五郎の作なりと云ひ伝へ。精巧を極む。延享五年里正より寛延二年笠松郡代吉田忠倶より寄進の石灯籠今に存す。維新前旧高十八石を有せしが、町村政実施の際村有地となるたるも、字名神田と称し存在せしも、農地改革実施に伴ひ現在は全部民有に帰したり。従前は社家社僧ありしを、維新の後之を改め、更に古昔の郷名を採り社号を鶉田神社と称し明治六年一月笠松縣より郷社と定めらる。
#左甚五郎
資料集
122_331_鶉田神社