宜野湾市青年エイサー祭り(2004)(十九区青年会・我如古区青年会)
毎年旧暦7月の旧盆の翌々週に、本島中部の宜野湾市で行われる祖先供養のための伝統芸能「エイサー」の祭り。「エイサー」は一種の盆踊りで、その名称はお囃子の文句「エイサーエイサースリサーサー」から来ているとも言われます。現在では夏の沖縄を代表する伝統芸能として、夏の間、県内各地でエイサー大会が開催されます。
「わったー宜野湾エイサー魂」を見せるべく、宜野湾市青年連合会加盟の14団体が企画・運営を行っています。祭りの日には青年会が一同に集い、それぞれの地域の特色ある衣装や独特の踊りを披露するので、見比べてみると楽しいですよ。
1968年に「宜野湾市エイサー大会」として始まり、当時は順位を付けていたそう。その後、名称を何度か変え、2019年で第23回をむかえます。今では観客動員2万人を超える大きなイベントです。2日間ともに観客と出演者全員での「カチャーシー(沖縄の手踊り)」で締めくくられ、2日目の最後には花火大会もあります。
沖縄空手(多視点映像)
1.空手の紹介
2020年東京オリンピックの追加種目に正式採用されて以来、空手はこれまで以上に注目を浴びています。沖縄古来の武術が中国の武術と融合して誕生した空手は、突き、蹴り、受け、転身、投げ、固め、極め等の技を活用した武道であり、沖縄の地で研鑽され、日本本土や世界に広がりました。現在では、護身術、スポーツ、精神修養の手段として広く世界中で受け入れられています。
空手発祥の地で脈々と受け継がれてきた沖縄空手は、先人たちが伝え継承してきた「型」の習得を重要視しています。沖縄空手の「型」は、攻防一体となった無駄のない技が完璧なまでに構築されており、同じ「型」を日々繰り返し鍛錬することによって、体力、忍耐力、精神力を鍛え上げるものです。空手の鍛錬は型の反復練習に加え、器具等を使った部位鍛錬が伝統的なメニューです。近代になって組手(自由・約束)による修練が出てきました。また、沖縄空手は沖縄古武道とも一体の面があり、武器術や取手術、関節術なども合わせた総合的な武術という側面もあります。
沖縄空手では「チンクチをかける」「ガマクを入れる」「ムチミを使う」というような言葉がよく使われます。これらの言葉は沖縄空手独特の身体操作を表現したものであり、基本動作であるとともに極意にもつながる大切な動きです。
空手は、自分の身体能力を自覚し、開発することにつながります。
2.歴史の紹介
空手発祥の起源についてはさまざまな説がありますが、琉球王国の士族が教養として学んだ護身術がそのルーツであるといわれています。この護身術は「手(てぃ~)」と呼ばれる沖縄古来の武術となり、その後中国武術と融合し、現在の空手の基本が生まれました。空手は、首里、那覇、泊の3つの地域を中心に発達し、その後多くの流派を生み出していきます。学校教育に取り入れられたことも沖縄における空手の普及に大きな力となりました。本土に紹介された後の空手は、各大学や陸軍戸山学校・警視庁の空手研究会を中心に発展を遂げていきます。
沖縄は、日本本土だけでなく台湾や東南アジアにも近いという地理的な優位性を生かして、様々な文化を柔軟に取り入れてきました。空手もまたそうした沖縄の知恵や風土の産物の一つなのです。
3.世界への広がり
沖縄で生まれた空手は世界中に広まり、現在では約150カ国以上、数千万人の愛好者がいるといわれています。空手が海外に広がった背景には、積極的に海外での普及活動に従事してきた多くの空手家の努力がありました。そして、こうした人たちの努力のおかげで、空手は世界にひろがって、世界のKARATEとなりました。
そして2020年東京オリンピックの追加種目への採用は、空手をさらに世界に飛躍させるきっかけとなるでしょう。
4.沖縄空手の思想の紹介
本来、沖縄の空手に試合という発想はありませんでした。空手は護身術であるとともに、自己鍛錬の手段だからです。向き合うのは自分自身であり、空手の稽古を通じて自分を磨くことこそが沖縄空手の稽古なのです。
「空手に先手なし」
「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」
沖縄空手の先人が残した金言には、礼節を尊ぶ平和の武としての精神性が表されています。道場ではじめに教わることは礼です。空手の稽古は礼によってはじまり、礼によって終わります。技法や技術だけではなく、守礼の心を学ぶことが大切なのです。