釜ヶ滝
国道156号線沿いの吉田小学校を山側へ約15分ほどのところにありダイナミックな三連の滝は第二の滝の岩盤が巨大な釜のように見える事から釜ヶ滝と呼ばれています。滝のマイナスイオンでリフレッシュしてください。
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107_121_釜ヶ滝
乙姫滝
深い洞窟から湧き出す清冽な水が一条の滝になって落下するのが乙姫滝。滝の高さは5メートルほどですがその水はいわば100%天然のミネラルウォーターです。市街地から小瀑や天狗岩と呼ばれる巨岩を眺めながらの400メートルほどの山歩きはちょっとした渓谷探勝の気分になります。
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106_120_乙姫滝
粟倉まつり
郡上八幡小駄良地域の再奥部戒仏集落の戒仏薬師にて2020年2月11日(火)に粟倉まつりが開催されます。
2月8日と明日9日は祭りで配る粟餅の準備と薬師堂の清掃作業です。
餅づくりは戒仏集落の各家が毎年持ち回り音頭をとって進めていきます。主体は戒仏集落ですが、近隣の集落も協力して餅づくりをしています。
突き立ての粟餅の芳醇な香りに魅了され、おもわずつまみ食いしたくなる衝動にかられながらも必死に餅づくりをしました。
当日は参拝者へ集落の方達が作った粟餅の配布と集落の寺院「浄願寺」の住職による読経が行われます。山奥のわずか7戸ほどの集落が毎年協力して継ないでいる地域の大切なお祭りです。
どなたでも参加できますので、普段はあまり通る機会のない小駄良の河鹿地区へ立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
白山を象ったといわれる、まんなかがポコっと膨らんだ、ちょっとだけ黄色い粟餅も美味しいですよ。
かつて白山信仰の街道であった小駄良街道にある戒仏薬師、現在の御堂は元禄年間(1688〜1703年)に建立されたともいわれ、地元の民話にはその起源は白山開山の祖、泰澄大師と書かれています。
実際お堂の中には天保のころに参拝した落書きがあったり、かなり古い頃の絵馬が飾られていたりします。
民話では耳を痛めた馬方の錠助という男が、毎日毎日お堂に通い、そのたびに丸石の中央に少しずつ穴をあけていき、丸石に完全に穴があいた時に錠助の耳がなおった、と伝えられています。
このことから戒仏薬師は病気平癒の信仰のなかでも、とりわけ耳の病気の回復を願って参拝される方が多かったとのこと。
そして大変興味深いことに、お堂には民話にある「穴のあいた丸石」がたくさん奉納されています。
万病に効くとされる戒仏薬師には峠を越えた旧明宝村寒水などの周辺の集落からも人が訪れるようになったとされ、そのうちに「このお薬師様にお参りすると良縁が結べるそうな」ともいわれるようになり、多くの男女が参るようになったともいわれています。
(実際に明宝村史にも記載があるとのこと)
その様は、郡上おどりの「かわさき」や「甚句」の歌詞にも取り入れられ、
「嫁をおくれよ戒仏薬師、小駄良三里にない嫁を」と歌われるようになりました。
また、餅に使われている粟は八幡市街地の「庄村米穀」さんが毎年ご提供してくれてなんとか成り立っているとのことです。
この祭礼についても大変詳しいそうで、今回の話題も庄村さんが雑穀研究会シンポジウムで発表された資料「7戸で伝える特殊神饌 戒仏薬師の粟倉様」を参考にさせていただきました、ありがとうございます。
参考資料
・「地域レポート 岐阜 郡上八幡 7戸で伝える特殊神饌 戒佛薬師の粟倉様」庄村敏 2007著 2019. 02. 11改定
・「歴史ロマン小駄良ロード」高橋教雄 監修、川合公民館編集委員会 編集 2002. 3. 31
・「開校百年記念出版 小駄良の民話」井上正道、森政治 編集・再話者 1974. 10. 21
準備の様子
祭り当日
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105_119_粟倉まつり
千虎白山神社甘酒まつり
古くから白山信仰の美濃馬場で「一に長滝お蚕祭・二には千虎の甘酒祭り」といわれたこの祭りはかつては甘酒六斗余を社前にすえた大釜で煮立て、村人は一人ずつ名前を呼ばれて一椀の甘酒を受け、全員飲み終わると一同ときの声をあげて大釜を囲み、残った甘酒をたいらげたという。祭礼は三月の第一日曜日に行われます。
今も、甘酒の原料となる米をつくるために神田(じんでん)があり、祭礼は、三月の第一日曜日に行われ多くの参拝者に甘酒が振る舞われている。郡上八幡に春を告げる行事として、近年、ますます盛んになってきた。同時に伊勢神楽も奉納され、近くの山裾には梅が咲き競う。懐かしくも美しい春の一景である。
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104_118_千虎白山神社甘酒まつり
寒水掛踊り
掛踊(かけおどり)とは、寒水(かのみず)地区白山神社に古くから伝わる例祭で、毎年9月第2日曜とその前日に行われます。明治中頃までは、旧暦8月1日に奉納され 「八朔(はっさく)祭り」 とも呼ばれていました。地元男子のみで構成され役者は総勢130人。貴重な伝統行事として今に至るまでしっかりと守り継がれています。
8月お盆が過ぎると、慣例に依り保存会が主体となって役者割りを行い、その後毎夜稽古が始まります。9月初旬には区民総出で「花切り」と呼ばれる祭礼用具の準備が行われます。掛踊は約300年間踊り継がれており、神々へのご馳走として、世の平安・豊年万作を希うため、また旱の時は雨乞いの祈りを込めて奉納されるお祭りにあたり、同時に住民たちの心の和をあたため合う行事であります。伝説によれば、掛踊は宝永6(1709)年、隣村の母袋(もたい)村から寒水に伝わったとされ、当時掛踊とともにあずかったという十一面観音や、神社建立の棟札も残っています。明治の末頃までは、毎年掛踊の日に母袋村から声自慢の人が数人、峠を越えて踊りに来ては社前で寒水の人たちと歌の掛け合いが行われ、いっしょに輪になって踊られていました。掛踊の名称は、この掛け合いによるものといわれています。
行列の順序と服装・持ち物
露払2人(かみしも)、祢宜(ねんぎ)、鍵取(かぎとり)、御供(おとも)、出花持(だしばなもち)2人、神幟持(かみのぼりもち)(享保17年の年号がある)、悪魔払(赤鬼、しゃぐま、軍配、槍)、薙刀(なぎなた)振(青鬼、軍配、薙刀)、音頭3人(美声の人)、おりだいこ折太鼓3人(白地に紺模様の半切り、しまのはかまをつける、二の腕までの白手甲、蝶をかたちどったかぶとをかぶる。紺たび、紙緒ぞうり、両手にばちを持つ。赤だすき、黄色の布で胸に太鼓をつけ、背に花を負う。花は長さ3.6メートルのけずり竹8本を平たく一列に並べ、たるを形どったおけにさす。この花をしないという。しないは紺紙で巻き、造花を百あまりこよりで結びつける)、鉦引(服装は折太鼓と同じ、ただし太鼓をつけずに真鍮の鉦を左手に持ち、右手には色紙で飾った木槌を持つ)、笛吹16人(鳥かぶと、かみしも)、ささらす 摺り16人(童子、女装、えんぶりささら、すり棒)、たうち田打16人(男子中学生、紺はんてん、白ももひき、紺きゃはん、紺たび、切り緒のわらじ、白だすき、その結びめに五色の布を亀の甲に組み、はしを下へたらす。白い手甲、はち巻きをする。はち巻きは白布を四つ折りにし、両耳を立てて下へたらす。柄の短いくわを持つ)、大黒舞2人(大黒のどうけ面、大黒ずきん、たつけばかまにわらぐつをはく。手に打手のこづち)、おおやっこ大奴8人、こやっこ小奴8人(顔にすみをぬり、目をくまどり、ひげをつける。なわの大鉢巻きと手にはやし棒)、ぢうたがしら地唄頭(美声の人)、踊子15人、花笠12人(男子小学生、女装、花笠をかぶる。花笠は五弁をあらわす梅の花形で、白地に赤でふちどり、花弁ごとに紋どころをつけ、頂上には12ヶ月に相当する造花をつける。1月まつ、2月うめ、3月さくら、4月ふじ、5月あやめ、6月ぼたん、7月はぎ、8月すすき、9月きく、10月もみじ、11月さざんか、12月きり)、おかめ舞2人(おかめの面とずきんをかぶる。鈴と扇子を持つ)、おおがさもち大傘持(くくり人形を約200個つけた傘ほこ鉾を持つ)、おどりのぼりもち踊幟持4人。以上のほかに、各役に1人から4人の世話役がつくので役者は130人を超えます。
踊りの体系
この祭りが伝えられた当初のころは田代(島崎姓)と呼ばれる旧家から打ち出されておりましたが、現在は中桁(なかげた)(和田与平治様宅)から打ち出されます。公民館で衣装をつけた役者が中桁へ集まり、居間で拍子をそろえ、台所から出て、行列の順序に従って家の裏をまわって庭へはいります。笛の調べは、「しゃげり」「妙見拍子」「おかざき」「こしずめ」「十六拍子」「七つ拍子」「三つ拍子」の7種類があり、どの行列の場合もつづけて奏し、とぎれることはありません。
体系は、中央に折太鼓、鉦引の4人が向かい合って立ち、音頭がその前に一列に並んで地唄と相対し、それらの左右に諸役が並んで円陣を組みます。
はじめに唄頭と呼ばれる太鼓と鉦だけの拍子がしばらく続き、それが終わると中桁前の踊りがはじまります。音頭取りが出した歌を地唄が受けて、返す形でうたわれます。一節の歌をまず音頭取りが中途からうたい、はじめからうたい返し終わると地唄頭が1回うたい、地唄一同がさらに唱和します。この歌と拍子に合わせて諸役が一歩前進、一歩後退しながら手拍子を取り、順次つぎの歌に移っていくわけです。最後にしずめ歌があり、拍子の打ち上げが続いて中桁前の踊りは終わります。
このあと行列は神様道と称するせまい旧道を通って社前へ向かいます。やがて鳥居をくぐって本殿前を横切り、拝殿の庭を一周して円陣をつくり、お庭踊がはじめられます。
折太鼓、鉦引の4人は、四方に散開して歌に合わせて拍子を打ちながら、4人が中心に向かって、あるいは腰を折ってしないを地にしなわせ、あるいは左まわりに旋回しながら腰を折って、しないを低く地にしなわせて活発な踊りを続けます。
悪魔払いは、「十六拍子」になると行列の先頭で槍と軍配を大きく振って特殊な踊りをしながら薙刀振とともに見物人が円陣に入らないように整理する役目をします。田打は、「十六拍子、七つ拍子、三つ拍子」の際、腰を頭が地につくほど深く体を曲げ、短い柄のくわを地につけるように回りながら田畑を耕すしぐさで踊ります。ささらの子どもたちは、ささらを軽く打ち合わせながら拍子を揃えて踊ります。「お庭踊り」では、「しずめ歌」で一旦終わり、次に「拝殿前の踊り」が始まります。この踊りは、特に勇壮で折太鼓、鉦引の4人が唄に合わせながら体を深く折り曲げて舞い踊ります。このように「しない」を地面に振りかざせることで花を降り落としていきます。またこの花はお守りとされ、みんなが持ち帰り大切に飾られています。
掛踊の主役はこの折太鼓と鉦引の4人で、拍子方又は拍子打ともいい笛と歌の拍子とりでもあります。したがって踊りの所作も細かく、「しない」を背負って激しく体を折り曲げながら花をしなわせ、長い時間を踊りぬくとても重要で大変な役目にあたります。
掛踊の進行予定表(土・日曜日の両日とも同じ内容で行われます)
10:30頃
寒水掛踊伝承館に集合
衣装着替え、化粧準備
11:40
各役者、中桁に集合
12:00
打ち出し
中桁内(15分)
中桁前の踊り ~ お庭踊(約40分)
13:10
白山神社に向けて行列出発
途中寒水公民館前で休憩
14:10
白山神社到着 ~ 拝殿前で一踊り
境内で食事休憩
15:30頃 ~
拝殿前の踊り
16:00 ~16:50頃
終了
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103_117_寒水掛踊り
ひるがの分水嶺公園
日本を東西に分かつ二つの川。片や美濃の沃野を水面に映し、片や山深き合掌造りの里を潤しつつ、それぞれ太平洋、日本海へと注ぎます。南は長良川、北は庄川と名付けられた二つの川は、その流域に命の恵みを与え、美しい風景を育んできました。その二つの川をずっと遡ると、ついにある場所で一つの流れに戻ります。
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102_116_ひるがの分水嶺公園
ひるがの高原
岐阜県郡上市にある「ひるがの高原」。
130面のテニスコートをはじめ、ゴルフやハイキングなど各種のスポーツ施設が整っていて、友人や家族と集まれる憩いの場として親しまれています。
また、ひるがの高原にある蛭ヶ野高層湿原植物群落は、岐阜県の天然記念物の指定を受けており、
その周辺にはひるがの湿原植物園があります。
夏は避暑地として、秋は紅葉狩り、冬にはスキーを楽しむこともでき、アクセスが良いのも嬉しいポイント。
また、点在する高層湿原はミズバショウが群生できる南限といわれ、その可憐な白い妖精を見るために訪れる方もいるほど。
春夏秋冬、季節を問わずお楽しみいただけます。
岐阜県郡上市で4万株のペチュニアの花が見頃を迎えています。
郡上市のひるがの高原スキー場では、夏の間ゲレンデの一部にペチュニア約4万株が植えられます。
この時期に見頃を迎え、まるでピンク色のじゅうたんのような美しい風景が楽しめます。
たくさんの植物が群生し、季節ごとに咲く花が異なるため様々な表情を見ることができます。ジップラインやキャンプなど自然を利用したアクティビティも充実していて、とても楽しいです。
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101_115_ひるがの高原
長滝白山神社 六日祭
毎年1月6日(13:00開始)に長滝白山神社で奉納される六日祭は別名を「花奪い祭(はなばいまつり)」と呼ばれています。
この祭の中心となっているのは、奈良の東大寺等で行われた延年で、長滝の延年は長滝一山の神主・老僧が新年にあたり、国家安穏・五穀豊穣を祈る神仏混合の行事です。
延年の舞は千余年の伝統にふさわしく、素朴で優雅な民俗芸能で、全国にも数カ所しか現存しておらず、この長滝の延年は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
この延年の途中から花奪いが始まり、拝殿土間の天井、高さ約6メートルに吊るされた桜・菊・牡丹・椿・芥子の五つの大きな花笠を勇敢な若者達が3つぎ半の人梯を組んで落とすと、花を奪おうともみあいになります。
この花を持って帰ると、豊蚕・豊作・家内安全・商売繁盛になるといわれています。
資料集
100_114_長滝白山神社 六日祭_Part1
100_114_長滝白山神社 六日祭_Part2
100_114_長滝白山神社 六日祭_Part3
100_114_長滝白山神社 六日祭_Part4
白山中居神社創業祭
石徹白に鎮座する白山中居神社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神。
美濃馬場の中心であった長瀧白山神社から美濃禅定道の入口にあたり、かつては全村御師の住む村で、冬期に東海・関東地方へ出向いていた。
石徹白村は複雑な歴史を持つ。かつては越前国大野郡に属していたが、藩政期は郡上藩領であり、越前側の道が美濃側に比べると良くなかったこともあり、昭和の大合併で白鳥町と合併して岐阜県に編入された経緯がある。
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099_113_白山中居神社創業祭
五段の神楽
2010年5月16日〈日〉岐阜県郡上市白鳥町石徹白の白山中居神社で五段神楽が行われました.
白山中居神社は,景行天皇の御代に創建され,泰澄大師が養老年間に社域を拡張したと伝えられています.
この五段神楽は,保安元年(1120)「越宗廟白山上下年中行事祭祀巻」に【五行之舞】として奉納されたのが,始めといわれています.
春の例祭に奉納される神楽で,白鉢巻きをして後頭部に五色のたけなが布をつけ,金色の天冠をかぶり赤地に金襴のちはやをはおり,白足袋姿の姉・妹といわれる巫女二人で舞われます.
舞は,
鳶の舞-巫女二人が,最初子机を挟んで向かい合って座ります.妹巫女は元の席に座ったままで,姉巫女が鈴と扇を持って舞います.元は,続いて妹巫女も舞をしたということですが,現在は姉巫女のみが舞います.
二人舞-巫女二人の舞です.姉巫女は外側を,妹巫女は内側を,鈴と扇を持って廻りながら舞います.
扇の舞-扇を両手にそれぞれ持った姉巫女が,8の字に廻りながら舞います.この舞も元は続けて妹巫女も舞ったそうです.
鈴の舞-鈴を持った妹巫女が,扇の舞と同じように8の字に廻りながら舞います.この舞も以前は姉巫女に続けて妹巫女が舞ったそうですが,現在は妹巫女のみが舞います.姉巫女は元の席に座ったままです.
幣の舞-姉・妹の二人の巫女が,鈴と幣を持って舞います.
の五段です.
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098_112_五段の神楽
白鳥神社祭礼
大神楽(9月第4土曜日・翌日曜日)
本来は9月18日が例祭の日である。かつては16・17・18日の3日間にわたり町内各地、秋葉神社などで奉納されていたが、出演する役者の仕事や地域の小学校行事の関係により9月第4土曜を白鳥神社試楽・秋葉神社本楽、翌日曜を白鳥神社本楽として行われることになった。発祥は定かではないが、明応7年(1498年)に神楽が奉納された記録がある。役者は東西呼ばり(1名)、天下太平(1名)、花鉾(1名)、小太鼓(1名)、綾棒(3名)、笛(6名)、鼓(6名)、獅子頭(9名)、神舞子(太鼓2名、ささら1名)、その他世話方、師匠、太鼓係、巫女など40~50名ほどのごく少数で行われ、古くからの形を今に伝えている。準備は神社総代、自治会・組長、商工会白鳥分会、女性の会などの各種団体や依頼を受けた個人が分担して行っている。神事は宮司・献幣使・白鳥自治会・その他関係する団体で行われ、白鳥楽人会による雅楽演奏の元、神社総代の進行で厳かに行われる。平成26年(2014年)から浦安の舞を奉納するようになった。祭の最終日の夜、祭の芸能の一つとして拝殿踊りが行われる。
白鳥神社縁日(8月16日)
毎年8月16日の夜に白鳥神社縁日の一環として白鳥おどりが行われる。
拝殿踊り(8月17日)
毎年8月17日の夜に当神社拝殿で踊られるもので、拝殿の天井中央に切子灯籠(キリコ)を下げ、夜の8時頃に、浴衣に下駄履きの踊り手数人が板張りの拝殿に上がって輪になり、その中の1人が歌い出して踊りが始まる。踊り手は全員で踊り歌を歌うが、曲目は「源助さん」、「シッチョイ」、「ヨイサッサ」、「ヤッサカ」、「エッサッサ」、「ねこのこ」、「ドッコイサ」で、それぞれの歌に応じて踊りが違う。いずれも三味線や太鼓、笛などの楽器は使わず、下駄で板床を踏み鳴らし、その音で調子をとる。そこに他の人々も加わって行き、踊りの輪は3重、4重と拝殿内一杯に広がって行く。また踊り歌は、歌い出す者が適当に選び、それに応じて他の人びとの歌と踊りが続き、午後10時過ぎに終わる。
白鳥一帯では毎年7月中旬から8月下旬にかけて各地で白鳥おどりが開催され、他の神社などでも拝殿踊りが行われるが、一説にその原型は当神社のものであるという。なお、平成15年(2003年)2月20日には他の拝殿踊りも併せた「白鳥の拝殿踊」として、国の選択無形民俗文化財とされた。
資料集
097_111_白鳥神社祭礼