沖縄の有用植物:月桃
【説明】月桃(げっとう)はショウガ科ハナミョウガ属の多年生常緑草本で、熱帯や亜熱帯地域に生息し、密に束生している。野山などに自生しているものもあるが、家庭の庭などでもよく見られる。名前の由来は、花の房が三日月のような形をしており、花のつぼみが桃の実に似ていることとピンク色であることから、「月桃」とよばれるようになった。
沖縄の方言では「サンニン」とよばれ、独特で爽やかな香りがする葉には殺菌効果があるため、ムーチー(餅)を包む“ムーチーガーサ”として用いられ、沖縄ではとてもなじみがある植物である。茎は結束用として利用されることもある。
【特色】月桃は、葉や果実、茎のすべてがさまざまなものに利用できる。
殺菌や消臭、防虫効果があるため、葉はムーチー(餅)を包むムーチーガーサとしてや、葉から抽出されるエキスは防虫剤や芳香剤、化粧水やアロマオイルなどにも幅広く利用されている。また、果実と共に月桃茶としても活用される。月桃茶は、月桃の活用方法として最も知られており、古くから親しまれている。
【古来の活用方法】
~月桃茶~
①葉と実を良く洗い、水気を拭き取る。
②葉は2㎝程に切る。
③切った葉と実を広げて、3日程天日干しをし、良く乾燥させる。
※乾燥したら、湿気ないようにしっかりと閉じ、保存する。
④鍋に水と、乾燥させた葉と軽くほぐした実を入れ、沸騰させる。
⑤その後お好みの濃さになるまで煮出す。
資料(メタデータ)
沖縄の有用植物_月桃
沖縄の有用植物:ハイビスカス
【説明】ハイビスカスはアオイ目アオイ科フヨウ属の常緑低木で、荒地で野生化しているものもあるが、主に庭や生垣、公園などで見られる。
葉は直径5~10㎝前後、広い卵型で先が尖っており、光沢のある濃い緑色。花は直径5~15㎝前後、広い漏斗状(ろうとじょう)で縁にフリル状の可憐で大きな丸い花びらを5枚つけ、赤色である。花は毎日のように次々と咲く。
ハイビスカスは、沖縄方言で「アカバナー」とよばれ、県民に親しまれている。方言の名称のとおり、従来はハイビスカス(ブッソウゲ)といえば赤い花が一般的であったが、今では品種改良のおかげで白、桃、紫、黄色、オレンジなど、さまざまな栽培種があり、防風林等の他に食用、繊維用、観賞用などが栽培されるようになった。
現在では、ハイビスカスは沖縄を象徴する明るいイメージをもつ花であるが、「アカバナー」の他に沖縄方言で「グソーバナ」ともよばれている。“グソー”とは沖縄方言で「あの世」という意味であり、古来、“仏壇や墓前に供える花”とされていた。そのため、敷地内に植えるのを嫌がる人もいるようだ。
【特色】ハイビスカスは、古くから薬草として気管支炎や月経不順等に効果があるとされ、花や葉、根を煎じて服用してきた。湿疹や腫れ物には、花と黒砂糖を混ぜ、患部につけたり、目の腫れや痛みには花に熱湯を注ぎ、その液で目を洗浄したりとよいとされてきた。沖縄では身近にあるハイビスカスはさまざまな活用方法で昔から良く活用されていた。
【古来の活用方法】
~洗髪(シャンプー)~
①水が入ったバケツに葉や花を入れ、汚れをよく落とす。
②汚れを落とした葉や花をお湯につけ、揉み解す。
③その後すりつぶして、粘り気のある成分を抽出する。
資料(メタデータ)
沖縄の有用植物_ハイビスカス
沖縄の歴史上人物 蔡温 ①蔡温スクエアと蔡温橋
蔡温(さいおん;1682~1762)は15~16世紀の琉球王朝の政治家で、経済、土木、風水などの多分野でも活躍した偉人である。
「さいおんスクエア」は「那覇広域都市計画 牧志・安里地区第一種市街地再開発事業」として整備され、那覇市牧志駅前ほしぞら公民館・図書館や宿泊施設、コンビニなどが入る複合施設でもある。
その名称は県庁前から国際通りを進むと安里川にかかる蔡温橋があり、その橋を渡ったすぐ右手に位置することから「さいおんスクエア」と名付けられた。
蔡温は農業生産の向上を目指し、多くの治水・灌漑事業を実施した。
蔡温は、那覇(当時の那覇は現在の久米や西町、東町あたりで離れ島だった)から首里まで続く安里川の一部を改修し、安里より上流域(現在の松川)にあたる当時の茶湯崎村(チャナザチムラ)について、著作「独物語」で、「茶湯崎に湊を造れば、交通の便が良くなり、さらに商船がやってきてこの地で交易ができる。そうなれば首里に住む人々の生活も良くなる。」(原漢文)と述べている。(引用:「茶湯崎橋跡」案内板より)
蔡温の想いは後世にも引き継がれ、昭和初期に安里川にかかる橋を蔡温橋と名付けた。
資料(メタデータ)
沖縄の歴史上人物_蔡温①蔡温スクエアと蔡温橋
沖縄の水源 与座ガー
与座ガーの湧水は糸満市与座集落の西側にあり、沖縄中南部では最も高い与座岳(標高168.4m)や八重瀬岳などに降った雨が3年かけて石灰岩を通って地下水となって湧き出ている。現在の与座ガーの1日の湧水量は約2,500トンで、今も湧き口からは切れ目なく清水がわき出て水溝を流れ、広い洗い場へとつながっている。
与座ガーは昔から与座の人々の重要な水源で、どのようなひでりでも枯れることはないといわれていた。太平洋戦争後、与座ガーはアメリカ軍の水源地「ワーラーポイント」(水揚場)として利用され、区民は立ち入ることができなかった。その後、約30年におよぶ水源地解放運動によって与座区の人々に返還された。
現在も区民に大切に受け継がれ、旧暦の3月・5月・6月の15日には、門中で行うウチマー(祭祀)でカーウガミ(井戸拝み)をし、先祖が飲んでいた与座ガーの湧水に感謝し、五穀豊穣や子孫繁栄などを祈る行事が執り行われる。
資料(メタデータ)
沖縄の水源_与座ガー
身近にある有毒植物:アジサイ(紫陽花)
【説明】 |
アジサイ(紫陽花)は日本の梅雨を代表する花であり、夏(仲夏)の季語でもある。樹高は1〜2mほどの落葉低木で、5〜7月にかけて開花する。白、青、紫または赤色の花びらのように見える部分は葉が変形した萼(がく)であり、装飾花とよばれる。葉は光沢があり、葉脈がはっきりと浮き上がっている。 |
【有毒性】 |
アジサイの葉や花が料理の飾り用として市場に流通していることが確認されているが、アジサイの葉や茎、花には有毒性があり、特に死亡例は報告されていないが、大人や子どもが体調を崩した症例が複数報告されている。 |
【症状】 |
葉や茎、花を折った際の有毒の乳白色の樹液に触れたり口に含んだりした際の症状として、めまい、嘔吐、痙攣、昏睡、呼吸麻痺があげられるが、毒性成分は明らかになっていない。 |
【処置法】 |
接種してしまった場合は、すぐに救急車をよび、症状が出る前に処置をしてもらう。 |
【事故事例】 |
茨城県の飲食店で、アジサイの葉を食べた1グループ19人のうち8人が、会食30分後から嘔吐、吐き気、目眩などの食中毒症状が起きた事故が挙げられる。(JCASTニュース15YERS 記事「アジサイの葉食べて中毒 つくば市の飲食店」2008年06月23日18時05分URL: https://www.j-cast.com/2008/06/23022282.html?p=all[アクセス:2021/12/16]) |
資料(メタデータ)
身近な有毒植物_アジサイ
沖縄の有用植物:シークヮーサー
【説明】シークヮーサーはミカン科の常緑低木・柑橘類で、主に大宜味村ややんばる地域で生産され、自生している野生のものもある。果実の大きさは平均直径3~4㎝ほどで、見た目がカボスやすだちに類似している。沖縄県を代表する果実として全国一の生産量であり、爽やかな香りと強い酸味が特徴である。
名前の由来は「酸(シー)を食わせる(クヮース)モノ(サー)」という意味の沖縄方言をつなげて“シークヮーサー”とよばれるようになった。地域によっては“シークワーサー”や“シークワーシャー”、“シークァーサー”など多くの呼び方がある。また、発音の解釈の違いによって表記ゆれもあり、食品メーカーや店舗によっても表記が異なり、定まっていない。
しかし、主な産地である大宜味村のホームページや琉球新報、日本果汁協会では、一般的に呼ばれている“シークヮーサー”を取り扱っている。和名では「平実檸檬(ヒラミレモン)」という。
【特色】シークヮーサーの収穫は年に3度あり、収穫時期によって用途が異なる。
[1度目]の8月~9月に収穫したものは青切りと呼ばれ、未熟で酸味が強く、主に刺身や焼き魚にかけたり、酢の物として使用される。食用の他にも薬味に使用されたり、堅くゴワゴワしている芭蕉布を柔らかく織り上げるため、洗濯にも使用されていた。
[2度目]の10月~12月中旬は、収穫後、搾り汁を瓶詰めし、原液ジュースとして販売される。
[3度目]の12月中旬~2月の収穫は、皮が黄色くなり完熟し甘酸っぱい風味であり、生食用やジュース、ゼリーなどに加工される。
その他にも果皮や果肉をお茶にして飲んだり、和食、洋食、スイーツなど、幅広く使用され、沖縄の料理には欠かせない食材である。
【古来の活用方法】
~芭蕉布洗濯の実践~
①シークヮーサーの実12㎏を搾る。
②その搾り汁の中で丁寧に押し洗いし、濯ぐ。
③半乾きにした状態で布を引っ張り伸ばす。
④湯飲みのへりで何度も表面を擦り、しわを伸ばす。
※芭蕉布は破れやすいため力加減に注意し、この作業を繰り返し行う。
資料(メタデータ)
沖縄の有用植物_シークヮーサー
身近にある有毒植物:ミフクラギ(オキナワキョウチクトウ)
【説明】 |
熱帯アジアに分布し、排気ガスや公害に強いことから交通道路や公園、海岸近くなどに多く見られる。葉は細長く互生し、長さ約10~25センチメートルで倒披針形、表面に光沢があり全縁である。花は白色、果実は長卵形である。 |
【有毒性】 |
種子は猛毒であり、実が赤く熟すため、マンゴーと間違える事故も発生している。枝葉を折った際にでる乳白色の樹液も有毒であり、目や粘膜に触れると腫れることからミフクラギという。沖縄方言ではミーフックヮーという。 |
【症状】 |
有毒の樹液に触れたり口に含んだりした際の症状として、皮膚炎、下痢、嘔吐、めまい、不整脈、心臓麻痺があげられる。 |
【処置法】 |
①接種してしまった場合 症状が出る前に救処救急車をよび、処置を依頼する。②傷口に汁が入った場合 すぐ傷口を清潔な水でよく洗い流す。 |
【事故事例】 |
小学生が校内に植えてあるキョウチクトウの葉を食べられると勘違いして3~5枚ほど食べ、吐き気や頭痛といった症状を訴えて入院した。(参照:朝日新聞DIGITAL記事「キョウチクトウで小学生2人が食中毒 高松」2017/12/16 19:00) |
資料(メタデータ)
身近な有毒植物_ミフクラギ
犬山城
犬山城は、織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)木之下城を移して築城したと言われており、天正12年(1584)小牧・長久手合戦の際には、羽柴(豊臣)秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に軍をしいた徳川家康と戦った。
江戸時代には、慶長12年(1607)、徳川家康の9男義直が尾張へ移封されると、成瀬正成は傅役となったまだ幼い義直にかわって尾張藩政をゆだねられていた平岩親吉が同16年に死去し、その翌年から正成は竹腰正信と共に、尾張藩の付家老として政務に携わった。
元和3年(1617)成瀬忠成が2代将軍・徳川秀忠から犬山城を拝領して以後は、幕末まで代々城主と尾張藩付家老を務め、明治24年(1891)濃尾震災をきっかけに再び成瀬氏が天守の所有者となった。
その後、平成16年(2004年)まで長きにわたり個人所有の城として知られてきた。
天守は昭和10年(1935)に「国宝」に指定され、同27年、規則改訂に伴い、再指定された。
平成30年(2018)2月13日「国の史跡」に指定された。
現存する天守の中では最も古いと言われている。
名称:犬山城
通称:白帝城
立地:平山城
総延面積:698.775平方メートル
天守構造:望楼型・三重四階地下二階・複合式天守
天守の高さ:本丸地上より約24m (石垣5m)
築城年:天文6年(1537)
築城者:織田信康(織田信長の叔父)
廃城年:明治4年(1871)
資料
メタデータ-犬山城
伊奈波神社
伊奈波神社(いなばじんじゃ)は、岐阜県岐阜市にある神社である。美濃国三宮で、旧社格は国幣小社。式内社「美濃国厚見郡 物部神社」の論社である。2015年(平成27年)4月24日、「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜 」の構成文化財として日本遺産に認定される。
先ずお祀りされている神様は、「五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」と申し上げ、第十一代垂仁天皇の長男で、第十二代景行天皇の兄にあたり、古事記、日本書紀にもそのご事蹟が記載され、父垂仁天皇から弓矢を賜り武事をおさめ、また、勅命によって河内、大和、摂津、美濃など諸国に開拓された池溝の数は、実に800に及び、このため諸国の産業は勃興し、農事は豊かになって天下は泰平であったと記している。更に茅渟の川上宮にて劔1千口を作り、これを石上神宮に納めて有事に備えられた。今でいえば内政、土木、軍事などあらゆる面で活躍されたといえる。
薨去の翌年(景行天皇14年)命のご偉徳を偲び稲葉山(金華山)の地(丸山)に鎮斎申しあげたのが始まりで、それ以来1900年余りの長きに亘り、「心のふるさと」として親しまれている。天文8年(1539)斎藤道三が稲葉山城を居城とするにあたり、現在の地に遷し奉った。昭和14年11月1日国幣小社に列せられる。
我々の祖先は揖斐・長良・木曽の三大川に恵まれ水の恩恵に浴したものの一方では、洪水に悩まされ洪水から守り稔り豊かな土地にする事が土地を治める者の最大の務めであり、「水を制する者は天下を制す」と諺があるように、水を制するには金を以て当てるというのが陰陽五行の信仰であり、この地方は特に金、水に関する地名も多く伊奈波神社は水を防ぐ信仰の神社でもあった。近年神徳を慕って家内安全、商売繁盛、初宮詣、七五三詣、安産、交通安全、土建、水利などの参拝が多い。
当社には、神社の由緒・御祭神等について書かれた巻物が現存し、岐阜県の重要文化財に指定されている「美濃国第三宮因幡社本縁起事」、写本「美濃国第三宮因幡社本縁起事」をはじめ、「濃州厚見郡因幡神縁起」、「美濃国因幡大菩薩本縁起之事」の四巻の古縁起巻物がある。
「美濃国第三宮因幡社本縁起事」は、延文四年(1359)九月に卜部兼前によって書かれている。写本は文明四年(1472)に書き写された。
(公式ホームページより)