カンカラ三線の制作工程

カンカラ三線の制作工程

世界第二次大戦では沖縄の地は住民を巻き込んだ、壮絶な地上戦がおこなわれた悲しい歴史があることは皆さんも見聞きしたことがあるかと思います。
戦後、米国の統治下に置かれた沖縄では、奇跡的に難を逃れた多くの人が米軍の収容所での作業に従事し、作業後の合いた時間の先の見えない沈んだ気分を、唄うことで気持ちを紛らわせたと言います。
米軍の上陸時には、沖縄の唄者は先祖の位牌と三線の棹を持って戦火から逃げ回ったという話も聞きますが、それでも多くの三線は灰となってしまい、物資の無い戦後はカンカラ三線があっという間に広がったそうです。
カンカラ三線自体は、戦前から既にあったそうで、子どもたちが久葉の葉の堅い部分を棹にして、胴は空き缶、麻の皮の繊維を紡いで弦として遊んでいたんそうです。

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