加納城
加納城
慶長5年(1600)、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が、西に備えるための要衝として、本多忠勝に城を築かせたのが加納城の起源とされるが、それ以前に、この地に上加納城があったとする説もある。城郭は、本丸・二の丸・三の丸・厩曲輪・南曲輪を備え、岐阜城から天守閣を移築するなどして、櫓・城門・居館等を整えたという。当時の城としてはかなりの規模の平城で、慶長6年(1601)奥平信昌が10万石の城主として、この地に封じられた。その後城主はたびたび交代したが、宝暦6年(1756)に永井直陳が入封し、永井氏6代で幕末に至った。北側の清水川を利用して堀が築かれ、その周囲には侍屋敷が設けられていた。現在は、本丸跡を中心に、加納公園となっており、門跡や石垣などに往時を偲ぶことができる。