天領時代-1 下呂・武川久兵衛墓地、温泉寺

天領時代-1 下呂・武川久兵衛墓地、温泉寺

元禄9年(1696)武川久兵衛四代倍行(ますゆき)は弟藤助を伴って、下呂湯之島を発ち江戸へ向かった。4年間江戸に滞在し木材商栖(す)原角(はらかく)兵衛(べい)と知り合い、木材の消費流通、資金調達等綿密な調査研究を行ない、元禄13年(1700)、奥羽下北半島の南部大畑に木材商飛騨屋を開業した。倍行27歳の時である。
恐山の北の山々の伐木を搬出し江戸との交易を行なった倍行は、更に蝦夷地の豊富な唐(とう)桧(ひ)山(やま)に意欲を燃やした。元禄15年蝦夷地松前の福山に店を構えて、海産物の交易を行ないながら唐桧山の開発にかかった。松前から遠い僻地である東蝦夷地の臼(有珠)山を運上金1人年間825両で仲間経営として請負い、毎年、杣夫・米運搬夫・鍛冶等174人を使用し、春3月の雪解けを利用して川を下し、江戸へ輸送した。
平秩(へづつ)東作(とうさく)の「東遊記」に『飛騨国下呂という所に久兵衛といふもの、70年程前江戸町人と乗組て此木を伐出し、巨萬の富を得たり。…飛騨屋はソウヤ・アッケシ・クナシリの辺の産物を引請るといふ…』と書かれているように、近江商人が蝦夷地の千石場所で巨利を得ているのに対して、飛騨屋は僻地に踏入り悪条件を克服して木材産業を開発した。
飛騨屋第二代倍正(やすまさ)の代、養父の遺業を継いで北海道からの木材移出を伸ばした。しかし、寛政元年(1789)国後のアイヌの戦いがもとで幕府と松前藩による直接経営となり請負場所の引揚げが行なわれた。飛騨屋第四代(武川家としては第7代、養子)益郷(ますさと)の時、90年にわたる事業を断念する結果となった。
温泉寺は、武川家第3代九右衛門倍(ます)良(よし)が、武田氏の菩提寺である恵林寺(山梨県甲州市)と深い因縁を感じて建立した武川家の菩提寺である。


資料

②天領時代-1 下呂・武川久兵衛墓地、温泉寺