稲爪神社

稲爪神社

兵庫県明石市大蔵本町に鎮座する神社です。式内社「宇留神社」および「伊和都比賣神社」を当社に比定する説があります。
当社の由緒について、江戸時代の地誌『播磨鑑』の引く「或記」に概ね次のように記しています。
推古天皇の御代、異国から「鉄人」が八千人の兵を率いて日本へ侵略しに来た。
そこで伊予国の「小千益躬(オチマスミ)」なる人物が命を受け、九州へ赴いたが、「鉄人」のあまりの猛威のため降伏し日本を案内することとなった。
益躬らは九州から播磨の室津まで船で移動し、そこから馬で案内した。
明石に着いた時、三島大明神が益躬の陣中に顕れ、「鬼指」という矢を隠し持ち、この矢で「鉄人」の足裏を指し通し、鉄人が馬から落ちたところを益躬の随臣らが遂に討ち取った。
この神威に感謝し大蔵谷に三島大明神を勧請したのが当社である。
細部で異なる点はあるものの、現在もほぼこのような由緒が伝えられています。
また一説に、三島大明神が顕れた際に稲妻が発生したので当社は元は「稲妻大明神」と称したとも伝えられています。
当社の由緒に登場する「鉄人」のような、全身が金属で覆われた武将が猛威を振るうも体の一ヶ所(当社社伝では足裏)に弱点があり、ここを突かれて退治される伝説は全国に分布しています。
当社では「鉄人」は単なる敵として登場するものの、各地で語られる伝説は必ずしもそうでなく、当初は英雄として活躍する例も多く見られます。
大林太良氏の『本朝鉄人伝奇』によればこうした「鉄人」伝承には、
母親が妊娠中に鉄を食べてしまう。
その結果生まれた子供は全身鉄張りであるが、ただ一ヵ所だけ鉄張りでないところがあった。
この鉄人は成人後、武名を轟かせるが、ふつう悪玉と考えられている。
ある英雄がこの鉄人を討とうとするも難渋していたとき、英雄は女(多くの場合、鉄人の母あるいは愛人)から鉄人の弱点がどこにあるかを知る。
英雄が鉄人の弱点を攻めてこれを退治する。
の五つの特徴があることを指摘しています。
当社の社伝はこの内の1.および2.が欠如しており、また鉄人に弱点があることを教えたのは女でなく三島大明神となっている点に脚色があると言えましょう。
谷川健一氏は『鍛冶屋の母』において、こうした「鉄人」伝承は鍛冶師や鋳物師など金属に関する漂泊民らによって伝播されたのではと推測しています。
社伝に登場する「三島大明神」とは伊予国一宮である「大山祇神社」(愛媛県今治市大三島町宮浦に鎮座)の神で、「小千益躬」の「小千」とは「越智」すなわち今治市から芸予諸島東部にかけての一帯を示す地名(伊予国越智郡)です。
「大山祇神社」は一般に海の神もしくは社名の通り山の神として信仰されており、金属に関する信仰があったかは定かではありません。
ただ、伊予国越智郡で製鉄を行っていた集団が当地へ移住していった可能性は考えられるかもしれません。
いずれにしても人々の移住など伊予国との何らかの縁により「大山祇神社」の神が勧請されたのが当社だったのでしょう。
現在の当社は「大山祇神」に加えて神代七世の神である「面足(オモダル)神」「惶根(カシコネ)神」の二柱も配祀しています。この二柱が祀られている理由ははっきりしません。
江戸時代中期の国学者、度会延経は『神名帳考証』で式内社「宇留神社」は当社ではないかとしているもののその理由は不明。
また『神社覈録』は式内社「伊和都比賣神社」は大蔵谷中庄村の「岩屋明神」に比定しています。中庄とは明石川の河口左岸側の地名で、現在は「岩屋神社」が鎮座しており、恐らくこの神社を指しているのでしょう。ただその地は大蔵谷ではないため当社と混同している可能性があります。
また何故か(明石郡でなく)赤穂郡の方の「伊和都比賣神社」を当社に比定する説もありますがこれは荒唐無稽と言うべきでしょう。
このように当社を式内社とする、或いは式内社を合祀しているとする説があるものの、一般的にはあまり認められていません。
「鉄人」伝承に基づき古い時代に伊予との関わりの中で創建された神社であるとの認識が根強く、現在は明石市東部の有力な神社として人々に親しまれています。
左甚五郎作の彫刻
素戒鳴尊、八岐大蛇退治をモチーフとしたもので左甚五郎作と伝わります。
左甚五郎は明石の和坂生まれという地元伝承があり彼の作品と伝わる山門や木像などが何ヵ所か明石市内にもありますが、この門は一般に知られる左甚五郎の作品の可能性が高いといわれています。
稲爪神社には文化財指定を受けている複数の神事が伝承されています。兵庫県指定無形民俗文化財の大蔵谷の獅子舞は京へ上る途中だった秋月種実が大蔵谷宿で宿泊した当日が稲爪神社の宵宮で秋月家の先祖大蔵氏時代から伝わる獅子舞神楽を奉納したのが始まりと伝わるもの。牛乗りと大蔵谷の囃口流しは明石市指定無形文化財となっています。神事の模様や詳細は稲爪神社のホームページで御確認ください。
稲爪神社(稲爪濱えびす)
稲爪神社の楼門には、江戸時代に活躍した明石出身の伝説的な彫刻職人「左甚五郎」作と伝わる『素戔嗚大神の大蛇退治』の彫刻が施されている。



 

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