越知神社

越知神社

越知山の山頂付近は、かつて神仏混合の山岳霊場だったといわれています。頂上の三角点付近には、奥の院や、大師堂、社務所、日吉神社、本殿、拝殿があり、この本殿が越知神社にあたります。越前五山の一つとして、信仰を集め、白山を開く前の泰澄が修行をしていたといわれています。昭和48年、越知山山岳信仰跡として県の史跡に指定されました。
創立の年月不詳。
縄文・弥生の出土品等歴史は古く、越知大神を祀っていた。
泰澄和尚伝には、白鳳22年(682)三神家に生れた泰澄は14才より越知山に登り修業したという。
大宝2年(702)文武天皇より「越の大徳」鎮護国家の法師とされ、元正天皇の養老2年(718)泰澄は仏像を作り、越知山頂(612m)の社堂を建て「越知山三所大権現」と称して祀った。
同6年元正天皇は当社に祈願し病が平癒した事から、神融禅師の号を授けた。
白山信仰の泰澄は僧行基と神亀2年(725)白山で会い、天平8年(736)唐に渡り沙門玄坊経論5,000巻を持ち帰った。
痘瘡流行を治めた功で天皇より泰澄の号を賜わった。
文武・元正・聖武・称徳天皇の勅願所であったので、皇室の崇敬は厚かった。
正応4年(1291)鎌倉幕府より神領域が定められ、社領数百町歩、社家、神人職数百戸社頭隆昌し神事は盛大であった。
越知山古図に示されている通り社殿は広壮優美であったが天正年間(1573~)兵火に罹り全山の社殿は焼失した。
慶長年中(1596~)初代藩主結城秀康以来国主の祈願所として復興し神威は高まった。
氏子区域として丹生郡の糸生・殿下・萩野・越廼・国見・上岬・下岬・志津の8ケ村2,500余戸で坂井郡一円他の崇敬者数万人であった。
明治初期越知大権現の号を廃し、越知神社となる。
同18年郷社・同43年同村二ツ屋宮谷神社祭神天照皇大神・八意思兼神・少名彦名神を合祀。
本殿は伊勢湾台風で倒壊したので昭和52年再建。
数多くの古文書類(鎌倉13室町39安土桃山10江戸31)の多くは県立図書館に寄託され県歴史の重要な資料となり、境内の冷水独鈷水や千体地蔵尊、石仏群は史跡となっている。

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