金森時代-1 高山城の搦手道

金森時代-1 高山城の搦手道

高山城跡は高山市街地にある都市公園となっていて、通称城山、別名を臥牛山、邑山(はざん)ともいった。金森氏入国以前は、「天神山城」と呼称され、飛騨の守護代であった多賀出雲守徳言によって、文安年中(1444~1449)に築城され、近江の多賀天神を祀ったことから多賀天神山、城は多賀山城と呼ばれた。安川通りあたりに「安川村」があってそこが城下であった。永正年間(1504~1521)には高山外記が在城、「高山」の地名は「多賀山」あるいは高山外記の「高山」から名づけられたという。
天正13年(1585)7月、金森長近は秀吉の命を受けて飛騨へ侵攻し、翌年飛騨一国を賜った。最初は大八賀郷の鍋山城に城を造ろうと考えたようだが、天神山古城跡を選んでいる。飛騨のほぼ中央に位置し、開けた盆地があり、しかも東西南北の街道を交差させることができるので最も適所と考えた。
築城は天正16年(1588)から始まり、慶長5年(1600)までの13年で本丸、二之丸が完成し、以後金森氏第2代可重(ありしげ)によってさらに3年で三之丸が築かれ、慶長8年(1603)までに16年かけて完成させた。
城への道は北方向からが搦手道で三之丸、二之丸、中段屋形、本丸へと通じ、常の大手道とも言った。


資料

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