金森時代-2 高山城の大手道

金森時代-2 高山城の大手道

高山城は、織田信長が築城した安土城の直後に構築され、軍事的機能を最優先させた形の城とは異なっている。御殿風の古い城郭形式を持ち、外観2層、内部3階の構造を持つ天守(写真)を備えているのが特徴である。
一番高い所に本丸屋形、中腹の二之丸は東と西に平地を持ち、西側に藩主の屋形、東側は庭樹院(金森氏第6代頼旹(よりとき)の母)が住んだ屋形であった。現在は二之丸公園となっているが、西側跡地には、昭和35年、荘川村(現荘川町)中野から照蓮寺が移築されている。三之丸には勘定所と8棟の米蔵があり、水堀が東側と北側をくの字形に囲んでいた。現在は飛騨護国神社が建ち、三之丸にあった御蔵は高山陣屋へ移築されている。
元禄5年(1692)、金森氏第6代頼旹は突然出羽国(山形県)に移封となり、金森氏転封後は金沢藩が城番を勤めた。しかし、元禄8年幕府の命により高山城は完全に破却され、廃城となってしまう。
南方向から本丸に登る大手道は神明町の枡形という場所から正雲寺坂を通って神明町の高台住宅地を通る。山道を通って公園整備で作られた大手門の右を通り尾根へと通じる。尾根からは岡崎蔵(モミの木平)を通って直接本丸に到達する。大手方面には3つの木戸があり最初の木戸がモミの木平にあってこれが大手門になる。



 資料

①金森時代-2 高山城の大手道