上宝の信仰と東山寺院群 ~ 荒原の石仏信仰 ~
上宝の信仰と東山寺院群 ~ 荒原の石仏信仰 ~
国府町から県道76号で上宝町に向かい、大坂峠(通称十三墓峠)を越え、2㎞ほど下ったところに濃飛乗合自動車の「石仏前(いしぼとけまえ)」というバス停がある。
このバス停の奥に、カラマツの間から高さ12mほどのまるで仏様のような形をした岩肌が突出している。これが地名の由来の「石仏岩」で、足元には小さな祠(ほこら)が建てられ、祀られている。周囲にも点々と岩肌が露出し、屏風岩、駒掛岩(こまかけいわ)、鏡岩、箪笥岩(たんすいわ)などと名づけられ、全体が「石仏と奇岩群」として、高山市の天然記念物に指定されている。
「石仏と奇岩群」の岩石の本体は、大雨見山層群の流紋岩溶岩である。この溶岩は、中に青灰色の玉ズイ(石英の微小な結晶の集まり)を含んでいて、「球顆流紋岩(きゅうかりゅうもんがん)」という。溶岩の一部は、大坂峠近くにも露出し、風化した部分から数㎝~こぶし大ほどの玉ズイの塊を見つけることができる。
石仏岩は、6,000万年という長い年月をかけ、風化や侵食を受けた球顆流紋岩が、偶然にも仏様の容姿になって現れたものである。
<大雨見山層群>
「石仏と奇岩群」は、どのようにして作られたのだろうか。今から6,600~6,000万年前の中生代白亜紀最末期から新生代古第三紀にわたり、現在の大雨見山(国府町、丹生川町、上宝町にまたがる山)を中心に、約100㎢にわたって流紋岩質マグマによる火山活動が起こった。この時できた溶岩や「凝灰岩」、「火砕流堆積物」を主体とする地層をまとめて「大雨見山層群」という。