城郭-17 古川城(飛騨市)岐阜県私立大学地方創生推進事業, 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ城郭-17 古川城(飛騨市) 古川町高野 古川城は、姉小路古川家の居城と伝わる。古川家は基綱・済継・済俊と続くが済俊没後13年で南飛騨の三木氏が古川家の名跡を継承する。なお、この継承は朝廷より正式に認められたものであった。三木氏はその後江馬氏を八日町合戦で打ち破り飛騨を統一するが、羽柴秀吉の命を受け飛騨に侵攻した金森長近に敗れ、飛騨は金森氏の支配するところとなる。 『飛州志』には古来古川二郎、塩屋筑前守秋貞が在城したと記載される。また、金森長近は飛騨討ち入りの際、まず古川城に在城し、その後増島城を築城し移ったと記載される。実際には増島城を築城したのは長近の養子・可重で、長近は高山城を築いて居城としているが、増島城及び城下町(飛騨市古川町壱之町、二之町、三之町)の成立は、古川城及び城下町(古川町上町)からの移転による。増島城の石垣は古川城の石垣を転用した可能性も指摘されている。 古川城は別名を蛤城といい、城内に存在した蛤石に由来する。蛤石は表面にハマグリ型の模様が認められる球状石で、『飛州志』によると金森長近が城内に存在する蛤石に由来して城の呼称を蛤城と改めた。蛤石は元来雌雄2個一対であったが、旱魃の際、雨乞いのために一石を山下の淵(宮川と考えられる)に沈めたところ雨が降った、このため一石となったと記載がある。 なお、蛤石にまつわる伝承として、専勝寺(飛騨市河合町角川)に所在する球状岩は、雨乞いのため沈められた一石が宮川下流で引き上げられたものである。金森長近が蛤石を高山に移そうとしたところ、城から離れるにつれ重くなり運べなくなったため高山への移設を断念し、古川城に戻すことにした結果、今度は城に近づくにつれ軽くなったなどと言い伝えられている。 資料 ⑦城郭-17 古川城(飛騨市) 2023年1月27日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/01/DSC01246_R-1-rotated.jpg 1024 768 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2023-01-27 16:56:382023-01-27 16:56:38城郭-17 古川城(飛騨市)