城郭-21 宮地城(下呂市)岐阜県私立大学地方創生推進事業, 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ城郭-21 宮地城(下呂市) 応永年中(1394~1427)、京極氏の代官三木正頼の城と伝わる、三木氏の益田郡における当初の本拠地であった。 天正13年(1585)、三木氏滅亡まで乗政城とともに三木氏一族が城を守った。重頼、直頼の頃は国境を超えて東農との騒乱があって舞台峠の北方大威徳寺を拠点に木曾勢、東農勢を防いでいる。宮地城は益田郡の南東側の備えの役割を果たしていた。天正頃の城主は三木新九郎頼一で良頼の弟という。 主郭は東西30、南北10m、西方に堀切がある。西側の低い平地は屋敷跡と推定されている。主郭には御岳神社の祠が建てられている。この城は御岳山と呼ばれている。 資料 ⑦城郭-21 宮地城(下呂市) 2023年1月27日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/01/20211123_125116_R-1-rotated.jpg 1024 768 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2023-01-27 17:12:292023-01-27 17:12:53城郭-21 宮地城(下呂市)