後背山栄昌院
後背山栄昌院
栄昌院は、織田信長の妹であるお市の方と浅井長政との間に生まれた三姉妹のうち、次女の常高院(初)の菩提寺です。
初は、近江の名門で若狭国(福井県)小浜城主となった京極高次に嫁ぎました。寛永十年(1633年)に江戸で亡くなり、法名を常高寺殿松厳栄昌大姉といいます。常高院の没後、その側近く仕えた侍女七人が小浜にそれぞれ寺庵を結び、全体を栄昌院と号して、常高院の菩提をとむらいつづけました。
明治維新をむかえたとき、尼僧たちは小浜から京極家の領地であった丸亀(香川県)に移りましたが、明治初期に京極家が祭祀を仏式から神式に改めたため、常高院の位牌とともに尼僧が美濃国方県郡佐野村(岐阜市)へ来住し、栄昌院を復興したのです。
境内には常高院の供養塔とともに、寺を守ってきた歴代の尼僧たちの供養塔が建っています。
また、ドラマでも有名となった、三姉妹の三女の江から初にあてた手紙が見つかったことから栄昌院は一躍脚光を浴びました。