金森氏上山への国替え道中記「北浜偶嘯」の現地を訪ねる ~雪の高山~富山~
金森氏上山への国替え道中記「北浜偶嘯」の現地を訪ねる ~雪の高山~富山~
写真は1月の厳しい国道360号で、概ね越中西街道(飛騨市河合、宮川町を通る道)沿いを通っている。金森氏は上山への国替えの際、家臣団はこの越中西街道を通っている。
<金森氏の国替え>
金森氏第6代頼旹は寛文9年(1669)に生まれ、幼名を万助といい、同12年3月5日に家督を継いだが、幼少であったため左京近供が後見人となった。貞享2年(1685)西之一色の山王宮を再興し、元禄元年(1688)江名子の錦山稲荷を再建した。元禄2年(1689)6月、第5代将軍綱吉の側用人(そばようにん)となったが同年8月解任され、元禄5年(1692)7月28日、出羽上ノ山へ転封を命ぜられた。しかし、それからわずか5年後の元禄10年(1697)美濃郡上八幡へ再転封となっている。
<金森氏の国替え道中>
上山へ移動する金森氏武士団一行は家族を含めて4千人以上、元禄5年(1692)10月2日(新暦11月9日)に高山を出発、120里(約480㎞)の行程を歩き、同月28日(新暦12月5日)、上山に到着している。1日あたり6時間半歩く悲惨な旅であった。この道中を記したのが『北浜偶嘯(ほくひんぐうしょう)』である。
<道中の宿所>
高山~富山へは越中西街道を通った。途中の文童子街道と言われる道は厳しく、羊の腸の様に曲がりくねって厳しかったと道中記は記している。古川に10日滞在して、家臣団は10班ぐらいに編成されて順次出発。最初の宿泊は三川原(飛騨市宮川町)で次は楡原(富山県)であった。