高原諏訪城(飛騨市)岐阜県私立大学地方創生推進事業, 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ高原諏訪城(飛騨市) 江馬氏の勢力圏を示す城館 北飛騨の雄・江馬氏が、古文書等に名が出てくるようになるのは南北朝期からである。応安5年(1372)12月14日の広瀬左近将監宛の「足利将軍家御教書案」に、江馬但馬四郎の名が初見される。それは、山科家領の飛騨江名子等が垣見右衛門蔵人等による押領を、押し止める役を広瀬氏とともに江馬氏に命じるもので、当時すでに、幕府からそのような公務執行を命じられるような信任を受けていた江馬氏の存在が見え、江馬氏と一族が高原郷各地に勢力を張っていたことを示す。 <国史跡江馬氏城館跡> 昭和55年(1980)3月、神岡町殿(現・飛騨市)一帯から和佐保にまたがる「江馬氏下館」「高原諏訪城跡」を中心に、「麻生野城跡」「石神城跡」「寺林城跡」「政元城跡」「土城跡」が、国の史跡指定を受けた。 江馬氏下館跡については、発掘調査が、第1次・昭和50~54年度、第2次・平成6~15年度に行なわれ、史跡整備工事が実施された。 <高原諏訪城跡> 頂上の削平地からは高原郷の多くの集落が一挙に眺望できる。 本丸跡には、「江馬侯城趾」の石碑が建っている。 <高原諏訪城上部機構(仮称)> 高原諏訪城から北の尾根続きで、高原諏訪城より標高で160m高い。 主郭は、北に堅堀と堀切を設けている。 <江馬氏下館跡> 下館の中心部である堀内地区は、飛騨市神岡町殿の字中通りにあり、土井ノ内、土井ノ上、ほりはたの地名が分布している。近くに字馬場もある。 <傘松城跡> 吉田の観音山(標高803m)の山頂にあり、呼び方は「からかさまつじょう」で、別名吉田城とも呼ばれている。 西側の長い尾根筋には堀切と土塁を設けて防御施設を集中させていて、西の古川や高山方面からの敵に備えたもので、16世紀終末ころ改修がなされたとある。その時期は、天正10年(1582)江馬輝盛が三木自綱と戦い、八日町で討死した後、大軍が押し寄せるのに対した時か、天正13年(1585)江馬時政が金森長近勢と戦い滅ぼされた時である。 城の形態としては、16世紀終末期のものである。 資料 ⑦城郭-15 高原諏訪城(飛騨市) 2023年1月27日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/01/224fca66dd3f4dc219656b0ba0827c84-2.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2023-01-27 16:48:332023-01-27 16:48:33高原諏訪城(飛騨市)