西隆寺
西隆寺
西隆寺(さいりゅうじ)は、奈良時代に平城京に造営された尼寺。称徳天皇の発願によって神護景雲元年(766年)に造寺司(造西隆寺司)が設置され、西大寺そばの右京一条二坊の地4町に建立された。
創建当時は官寺として他の諸大寺と同様の扱いを受けた。桓武天皇も封戸を施入するなど厚い保護を受けていたが、次第に衰退し、元慶4年(880年)には西大寺の管下に入った。鎌倉時代には廃寺となった。
昭和46年(1971年)に発掘調査が実施され、金堂や塔などの跡が確認された。 飛騨匠が工事に参加していたことを示す木簡が出土している。西隆寺東門地区から出土し、その内容は「—斐太工三人○豊岡/宿奈万呂—」である。
巨大商業施設『ならファミリー』店舗内通路に、西隆寺の柱位置が床に表示されていて興味深い。南大門の北には楼門型中門、金堂、講堂が一直線に並び、南大門北東に三重塔が建ち、さらに廻廊が左右に廻って講堂に取り付く。東寺に似た伽藍配置であった。寺域は東西、南北いずれも約250mほどを占めている。
参考文献 中井真孝「西隆寺」(『日本史大事典 3』(平凡社、1993年))
石野博信「西隆寺」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年))など