与那原の文化財 三津武獄お知らせ, デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ専攻, 沖縄地域文化資源デジタルアーカイブ与那原の文化財 三津武獄 三津武獄(みちんだき)は、与那原町の運玉森(うんたまむい)の中腹に位置する史跡で、琉球王国の信仰において神女の最高位とされる聞得大君(きこえおおきみ)が葬られた場所と伝えられています。 琉球で長く干ばつが続いた際、国王が神に祈りを捧げたところ、「聞得大君を連れ戻しなさい」との啓示を受けたという伝承が残されています。 聞得大君は琉球の聖地・久高島(くだかじま)へ参拝の途上、逆風に遭って薩摩へ漂着していました。命は助かりましたが、そのとき妊娠していたため首里に戻ることを避け、与那原の御殿山(うどぅんやま)に庵を結び、生涯を終えたといわれています。このため三津武獄は、現在も子宝祈願の聖地として多くの人々の参拝を集めています。 三津武獄がある運玉森は、与那原町と西原町の境にある標高158メートルのなだらかな山で、琉球時代の伝説の義賊・運玉義留(うんたまぎるー)が身を隠した場所とも伝えられています。「むい」は沖縄の方言で「森(もり)」「高地」を意味します。 資料(メタデータ) 与那原町の文化財_三津武獄 2025年12月28日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2025/12/circd086k-0014.jpg 800 1200 真由美加藤 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg 真由美加藤2025-12-28 14:57:352025-12-28 14:58:02与那原の文化財 三津武獄