沖縄の離島 ふばかり石
沖縄の離島[宮古島] ふばかり石(人頭税石)
宮古島の近世史において、薩摩の沖縄侵略(1609年)後からの重税の要求に対し、琉球王府は財政に困窮し、1637年宮古・八重山諸島に重い人頭税を課していた。数え15~50歳までの男女に税が課せられ、男は粟、女は布を納めたとされている。
この税は明治になっても続き、1888(明治21)年の大飢饉を機に人頭税の廃止の訴えがはじまったが、命がけの抗議や陳情は何度も弾圧された。1893(明治26)年、代表団が上京し帝国議会に直接請願したの結果、1903(明治36)年ようやく廃止され、266年に及ぶ苦しみからの解放された。
人頭税という税の名称は人間の頭を図って納める税を決めることに由来しており、身長がこの石の高さ(143㎝)であれば頭の周囲をワラで図り、その大きさの稲束を供出したとされている。しかし、島ではふばかり石を超える身長の島民に人頭税が課せられたといいい伝えもあるが、人頭税の史実とは無関係のようである。