アーカイブ年: 2025
【研究論文】e-Learningにおける効果的なカリキュラム開発研究
第1章 諸 言
コロナ禍は、日本の高等学校教育におけるe-Learningの導入を劇的に加速させました。GIGAスクール構想の推進と相まって、生徒一人一台の端末整備が進み、オンライン授業やデジタル教材の活用が一気に広まりました。しかし、コロナ禍が収束し、対面授業が原則となる中で、「e-Learningは使われなくなったのか」という疑問が生じるのは自然なことです。
結論から言えば、e-Learningの利用はコロナ禍で大幅に増加し、コロナ禍後もその利用が完全に消滅したわけではありません。むしろ、その活用形態は変化し、多くの学校で継続されているものの、その定着には依然として課題が残されています。
利用状況の継続と変化
コロナ禍中にオンライン学習を経験した高校生の割合は、パンデミック前と比較して大幅に増加しました。特に、学校の授業でオンライン学習を利用した割合は7割を超え、学校外の学習(塾や予備校、オンライン学習サービスなど)での利用も増加傾向にあります。これは、一度体験したe-Learningの利便性や有効性が認識され、一定の需要が継続していることを示唆しています。
しかし、コロナ禍の緊急避難的な「全面オンライン」から、現在は**対面授業とe-Learningを組み合わせた「ハイブリッド型学習」への移行が進んでいます。**多くの学校では、以下のような形でe-Learningが活用されています。
授業内での補助的利用: デジタル教科書やオンライン教材を用いた理解度確認、動画コンテンツによる解説、協働学習ツールの活用など、対面授業の質を高めるための補助的なツールとしての利用が定着しています。
家庭学習・自学自習の支援: 欠席者への補習、苦手科目の克服、探究学習のための情報収集、大学受験対策など、生徒が自宅で自分のペースで学習を進めるためのツールとして活用されています。特に、個別最適化されたアダプティブラーニング教材の導入は、生徒の学力向上に寄与しています。
教育機会の保障: 不登校の生徒や長期療養中の生徒に対し、オンラインで学習機会を提供することで、学習の継続性を担保しています。
教員の業務効率化: 授業準備や生徒の学習進捗管理、評価の一部をe-Learningシステムで行うことで、教員の負担軽減に繋がっている側面もあります。
残された課題
一方で、コロナ禍後もe-Learningのさらなる定着と発展には課題が山積しています。
ICT活用能力の格差: 教員間でのICT活用能力のばらつきは依然として大きく、e-Learningを効果的に授業に組み込める教員とそうでない教員の差が顕著です。十分な研修機会の提供とサポート体制の強化が必要です。
学習効果の最大化: e-Learningが単なる「動画視聴」にとどまらず、生徒の深い学びや思考力・判断力・表現力の育成に繋がっているかを検証し、より効果的な活用方法を模索する必要があります。オンライン環境下での生徒の集中力維持やモチベーション向上も継続的な課題です。
デジタル・デバイドの解消: 生徒の家庭環境や通信環境による情報格差は、依然として無視できない問題です。端末の無償貸与の継続や、学校内外での通信環境の整備など、すべての子どもが公平にe-Learningにアクセスできる環境を確保することが求められます。
質の高いコンテンツの拡充: 既存の教科内容に加えて、探究学習やキャリア教育、教養科目など、多様な学習ニーズに対応できる質の高いe-Learningコンテンツのさらなる開発が不可欠です。
対面指導との最適なバランス: e-Learningの利便性を享受しつつも、対面でのコミュニケーションや協働学習といった学校教育の重要な側面をどう維持・発展させていくか、ハイブリッド型学習の最適なバランスを模索する段階にあります。
コロナ禍を契機としたe-Learningの普及は、日本の教育に不可逆的な変化をもたらしました。利用が減少したわけではなく、その「使われ方」が変化し、より学校教育に統合された形で定着しつつあります。しかし、その真価を発揮するためには、残された課題に真摯に向き合い、継続的な改善と投資が求められています。
第2章 高等学校におけるe-Learningの実態と課題
近年、情報通信技術の発展とコロナ禍を契機に、高等学校におけるe-Learningの導入は加速しています。文部科学省が推進するGIGAスクール構想により、生徒一人一台の端末整備が進み、オンラインでの学習環境が整備されつつあります。
【実態】
現在、多くの高等学校では、以下のような形でe-Learningが活用されています。
授業内での補助的利用: デジタル教科書やオンライン教材の活用、動画コンテンツを用いた授業、Web会議システムを通じた協働学習などが挙げられます。特に、理科の実験動画や社会科のフィールドワーク動画など、実体験を補完する形で活用されています。
家庭学習の支援: ドリル形式の反復学習システムや、個別最適化されたAI搭載型学習教材が導入され、生徒が自宅で自分のペースで学習を進めることが可能になっています。また、欠席者への補習や、定期試験前の復習ツールとしても利用されています。
探究学習や総合的な学習の時間の深化: 探究テーマに関する情報収集や、他校の生徒とのオンライン交流、専門家へのインタビューなど、生徒が主体的に学びを進める上でe-Learningが強力なツールとなっています。
通信制高校における活用: 通信制高校では、スクーリングと並行してe-Learningが主要な学習方法として確立されており、地理的な制約や時間的な制約がある生徒にとって学習機会を保障する役割を担っています。
【課題】
一方で、高等学校におけるe-Learningには、いくつかの課題も存在します。
ICT活用能力の格差: 教員間でのICT活用能力にばらつきがあり、効果的なe-Learningの導入が進まないケースがあります。また、生徒の家庭環境によるICT機器や通信環境の有無、ICTリテラシーの差も課題です。
学習効果の測定と評価: オンラインでの学習状況をどのように評価し、学習効果を向上させるかという点について、明確な指標や評価方法が確立されていないことがあります。生徒の集中力の維持や学習意欲の向上も課題です。
コンテンツの質と量: 高等学校のカリキュラムに沿った質の高いe-Learningコンテンツが十分に揃っているとは言えず、教員が自作する負担が大きい現状があります。また、多様な学習ニーズに対応できるコンテンツの拡充が求められています。
教員の負担増: e-Learningの導入・運用には、授業準備、生徒の学習進捗管理、個別対応など、教員の新たな負担が生じています。研修機会の充実やサポート体制の強化が必要です。
デジタル・デバイドの解消: 生徒間での情報格差を生まないための配慮が不可欠です。端末の無償貸与や通信費の補助、放課後や休日の学習スペースの提供など、環境整備が求められます。
対面指導とのバランス: e-Learningが普及する一方で、教員と生徒、生徒同士の対面でのコミュニケーションや協働学習の機会が失われることへの懸念も指摘されています。効果的なハイブリッド型学習のあり方を模索する必要があります。
これらの課題を克服し、e-Learningの利点を最大限に引き出すためには、教員の研修体制の充実、質の高いコンテンツ開発、生徒個々の学習状況に応じたきめ細やかなサポート体制の構築が不可欠です。
第3章 効果的なe-Learningカリキュラムの構成
高等学校における効果的なe-Learningカリキュラムは、単に既存の授業内容をデジタル化するだけでなく、e-Learningならではの特性を最大限に活かし、生徒の多様な学習ニーズに応え、深い学びを促すように設計されるべきです。以下にその構成要素を詳述します。
1. 目標設定と学習成果の明確化
学習目標の明確化: 各単元やモジュールにおいて、生徒が何を理解し、何ができるようになるのかを具体的に示すことで、生徒は学習の方向性を認識しやすくなります。例えば、「〜を説明できるようになる」「〜を分析できるようになる」といった具体的な行動目標を設定します。
評価基準の提示: どのような基準で学習成果が評価されるのかを事前に提示することで、生徒は評価されるポイントを意識して学習を進めることができます。これには、小テスト、レポート、プレゼンテーション、グループワークへの貢献度などが含まれます。
2. 多様な学習コンテンツの提供
動画コンテンツ: 授業内容の解説、実験・実習のデモンストレーション、専門家へのインタビューなど、視覚的・聴覚的に訴えかける動画は、生徒の理解を深め、興味を引きつける上で非常に有効です。短時間で集中して学べるように、細かく区切られたチャプター構成が望ましいです。
インタラクティブな教材: ドリル形式の反復学習、穴埋め問題、多肢選択問題、シミュレーション、バーチャルリアリティ(VR)などを取り入れることで、生徒は能動的に学習に参加し、即座にフィードバックを得られます。これにより、定着度を高め、自己調整学習を促します。
デジタル教科書・参考資料: 既存の教科書をデジタル化したものに加え、補足資料、発展学習用の記事、関連ウェブサイトへのリンクなどを提供することで、生徒は自分のペースで必要な情報を得ることができます。検索機能やマーカー機能なども有効です。
協働学習ツール: オンラインホワイトボード、ディスカッションフォーラム、Web会議システムなどを活用し、生徒同士が意見交換したり、共同でプロジェクトを進めたりする機会を設けます。これにより、主体的な学びやコミュニケーション能力の育成を図ります。
3. 学習進捗管理と個別最適化
学習管理システム(LMS)の活用: 生徒の学習履歴、進捗状況、解答状況などをLMS上で一元的に管理することで、教員は生徒一人ひとりの理解度を把握し、個別のサポートやフィードバックが可能になります。
アダプティブラーニング機能: 生徒の理解度や学習速度に応じて、最適な学習コンテンツや課題を提示する機能です。AIを活用することで、生徒がつまずいている箇所を特定し、補強学習を促したり、得意分野をさらに伸ばすための発展的な内容を提供したりすることができます。
個別フィードバック: 自動採点機能付きのテストだけでなく、教員からの個別添削やコメント、学習相談の機会をオンラインで設けることで、生徒は自分の弱点を克服し、学習意欲を維持することができます。
4. 評価と振り返りの機会
多角的な評価: 知識の定着度を測る小テストや定期テストだけでなく、レポート作成、プレゼンテーション、グループワークへの貢献度など、多様な方法で生徒の学習成果を評価します。
ポートフォリオ評価: 生徒の学習過程や成果物をデジタルポートフォリオとして蓄積し、振り返りや自己評価の材料とします。これにより、生徒は自身の成長を実感し、学習方法を改善していくことができます。
振り返りの機会: 各単元の終わりや一定期間ごとに、学習内容の定着度を確認するだけでなく、学習方法や課題への取り組み方について生徒自身が振り返る機会を設けます。
5. 教員サポートと研修
教員向けマニュアル・ガイドライン: カリキュラムの意図や各コンテンツの活用方法、LMSの操作方法など、教員がe-Learningを効果的に運用するための詳細なマニュアルやガイドラインを提供します。
教員研修プログラム: e-Learningカリキュラムの効果的な活用方法、オンラインでの指導技術、ICTツールの活用方法などに関する定期的な研修を実施します。成功事例の共有や情報交換の場も重要です。
技術的サポート体制: e-Learningシステムや機器に関する技術的なトラブルに迅速に対応できるサポート体制を構築します。
これらの要素を総合的に組み合わせることで、高等学校におけるe-Learningカリキュラムは、生徒が主体的に学び、深い理解を得るとともに、情報活用能力や自己調整学習能力といった現代社会で求められる資質・能力を育むための強力なツールとなり得ます。
第4章 N高におけるe-Learningの実践例
N高等学校(以下、N高)は、2016年に開校したインターネットと通信制高校の制度を活用した「ネットの高校」として、e-Learningの先駆的な実践を行ってきました。その革新的なカリキュラムと多様な学習環境は、既存の高校教育とは一線を画し、生徒一人ひとりの「好き」を追求し、未来を切り拓く力を育むことを目指しています。
1. N高のe-Learningを支える基盤
N高のe-Learningは、最先端のICTツールと独自の学習システムによって支えられています。
学習管理システム(LMS)「ZEN Study(旧N予備校)」: N高の学習の中核をなすのが、独自開発のLMS「ZEN Study」です。ここでは、高校卒業資格取得に必要な必修授業のコンテンツが提供されるだけでなく、大学受験対策講座、プログラミング、Webデザイン、動画クリエイター、文芸小説創作、エンターテインメントなど、多岐にわたる課外講座が用意されています。生徒は自分の興味関心に合わせて、これらの講座を自由に選択し、自分のペースで学習を進めることができます。
ライブ授業とアーカイブ: リアルタイムで参加できる双方向参加型のライブ授業が提供され、生徒はチャットなどで講師に直接質問したり、意見を述べたりすることができます。また、ライブ授業はアーカイブとして残り、生徒はいつでもどこでも何度でも見返すことが可能です。
オリジナル教材: すべてのデバイスに対応した完全オリジナル教材が用意されており、一問一答から共通テストの出題形式まで網羅しています。LMS上で学習進捗や理解度、学習記録が一目でわかるため、生徒は客観的に自身の学習状況を把握し、効率的に学習を進められます。
フォーラム機能: 教材からワンタッチで質問できるフォーラム機能が充実しており、わからない点をすぐに解決できる環境が整っています。教員だけでなく、生徒同士の教え合い・学び合いも活発に行われています。
先進的なICTツールの活用:
Slack: 多くの企業で使われているビジネス向けコミュニケーションツール「Slack」を開校以来、学校のICTツールとして活用しています。ホームルーム、ネット部活、雑談など、様々な目的別のチャンネルが設定され、生徒間の交流や教員とのコミュニケーションが活発に行われています。
Adobe Creative Cloud: Photoshop、Illustrator、Premiere Proなど、クリエイティブ分野のプロフェッショナルが使用するAdobe Creative Cloudの全アプリを無料で利用できる環境が提供されています。これにより、生徒は専門的なソフトウェアを早期から習得し、表現力や創造性を高めることができます。
CLIP STUDIO PAINT DEBUT、GitHub: イラスト制作ツールやプログラミングのコード管理ツールなども提供されており、生徒の多様な「好き」を深掘りする環境が整っています。
VR教育システム: N高はVR教育にも力を入れており、化学の炎色反応実験や地学の古代生物の観察、世界史の大航海時代の航路学習などをVR空間で体験できます。専用のゴーグルを装着することで、教科書や映像だけでは得られない、よりリアルで没入感のある学びを提供しています。
AI(生成AI/ChatGPT)の導入: ChatGPT-4を利用した生徒専用AIチャットシステムを導入しており、学習や課外活動における情報収集やアイデア出し、文章作成などを効率的に行える環境を提供しています。高いセキュリティが確保されており、生徒は安全に最新のAI技術を活用できます。
2. N高のe-Learningカリキュラムの特長
N高のe-Learningカリキュラムは、従来の画一的な教育とは異なり、生徒の「主体性」と「多様性」を重視しています。
個別最適化された学習: 生徒は自分の興味や進路、学習ペースに合わせて、自由にカリキュラムを組み立てられます。必修科目を効率的に学びつつ、余剰時間を好きな課外活動や専門分野の学習に充てることができます。
プロジェクト型学習「ProjectN(プロN)」: 社会の問題発見と課題解決を実践するプロジェクト型の学習プログラムです。生徒は実社会を想定した課題に取り組み、企画、制作、アウトプットまでを経験します。基礎(α)と応用(β)のレベルが用意されており、生徒は自身の習熟度に合わせて選択できます。例えば、企業と連携して商品開発を行うなど、実践的な学びの機会が豊富に用意されています。
21世紀型スキル学習: 自己を認識し、他者と協働しながら正解のない問題に取り組むスキルを習得する授業です。例えば、マインクラフトを使った授業では、生徒が自分で目標を設定し、授業時間外も作業に取り組むなど、主体的な学びが促されます。
実践的な英語学習: DMM英会話のデイリーニュース記事を活用したグループディスカッションなど、実践的な英語力を養うための授業も提供されています。英検2級程度の会話ができる生徒を対象としたクラスでは、ほぼ英語のみで授業が行われるなど、語学学校のような環境をオンラインで実現しています。
豊富な選択肢の課外学習: 大学受験対策はもちろんのこと、プログラミング、Webデザイン、ゲーム開発、イラスト、声優など、生徒の夢を叶えるための専門性の高い講座が多数用意されています。これにより、生徒は高校生のうちから専門分野の知識やスキルを深めることができます。
インターンシップ機会: N高生の求人専用インターンシップサイトが用意されており、学生の内から企業でのインターンシップを通して経験を積み、社会との接点を増やす機会を提供しています。
3. 生徒サポートと評価体制
N高では、オンラインでの学習環境であっても、生徒が孤立せず、安心して学べるようなサポート体制が整っています。
担任教員・メンター制度: 生徒一人ひとりに担任教員がつき、学習面から生活面まで、電話、メール、チャットアプリなどを通してきめ細やかな相談が可能です。通学コースの生徒には、複数のメンターによるサポートも提供されます。
オンラインでのコミュニケーション: Slackなどのツールを活用して、生徒と教員、生徒同士のコミュニケーションを促進しています。全国各地、さらには海外の生徒とも交流できるため、多様な価値観に触れる機会も豊富です。
オンラインアセスメントと進路指導: ベネッセコーポレーションと共同開発したオンライン型アセスメントを導入し、生徒の基礎学力や学習習慣、進路志向性をデータで把握しています。これにより、教職員は生徒一人ひとりの状況に合わせた、より精度の高い進路指導を行うことが可能になっています。
N高のe-Learning実践は、単なるオンライン授業の提供にとどまらず、**「多様な生徒のニーズに応じた個別最適化された学習」「最先端のICTツールを活用した実践的な学び」「生徒の主体性を引き出すプロジェクト型学習」「手厚いサポート体制」**を組み合わせることで、従来の学校教育では難しかった、生徒の「好き」を徹底的に追求し、未来を創造する力を育む教育モデルを確立しています。その実績は、今後の高等学校におけるe-Learningのあり方を考える上で、重要な示唆を与えています。
4.N高の工夫
◆自己肯定感
N高を運営するにあたって、僕らがとりわけ重視していることが2つあります。生徒が「自己肯定感を高める」ことと「友だちをつくる」ことです。順番に説明しましょう。
生徒が自己肯定感を高めるには、どうすればいいでしょうか。それは生徒が「自分はN高に通っている」と胸を張って言えるような環境をつくることです。
そのために、最先端のオンライン教育を提供するのは当然のことです。たとえばN高では、VR(バーチャル・リアリティ)を用いて理科の実験に参加できるし、歴史遺産を訪問することもできる。バーチャル環境にありながら「体験」をともなった勉強をすることができる。
N高の教育コンテンツは、公式サイトやさまざまなメディアで紹介されているので、詳細は説明しませんが、普通の高校に通う生徒がうらやましがるような要素を増やすように、立ち上げ当初から設計していました。これは単なる綺麗事ではなく、「自分は、他の学校の生徒がうらやましがるような最先端の教育を受けている」と思えれば、おのずと自己肯定感は高まるものです。
プロモーションもまた、自己肯定感を高めるきっかけになります。これまでさまざまなプロモーションに取り組んできましたが、N高がテレビで取り上げられても、資料請求は増えるものの、入学者数の直接的な増加にはあまりつながりません。だから僕たちも、宣伝の目的は生徒の獲得ではなく、生徒のプライドを高めることだと割り切っています。
◆友だちづくり
自己肯定感を高めるのと同じくらい重視しているのは、友だちづくりです。「友だちをつくる」ことを堂々と目標に掲げている学校はほとんどありません。しかしデータを取ってみると、友だちがいるかいないかで、卒業率が大きく変わるのです。友だちがいないと中退する確率が上がる。
それだけでなく、勉強を続けられるかどうかも友だちの有無に大きく影響されます。友だちの有無と勉強時間の相関関係は非常に強い。学力、登校率、卒業率、満足度、あらゆる指標において、友だちがいるのといないのとでは、大きな差が生まれる。だから、N高は友だちづくりを明確な目標にしています。
そのために、通信制で義務付けられているスクーリングも、年1回おこなう通信制高校が多いところを、N高は2回に増やしています。他の通信制高校だとスクーリングが年に1回だけで、しかも日数が少なくて楽だということを宣伝している学校がたくさんあります。スクーリングの負担を嫌がる生徒はたくさんいるのです。
それにもかかわらず、僕らがスクーリングの回数を増やすのは、友だちをつくる機会を増やすことが、生徒のためには本当に大事だと確信しているからです。
また、スクーリングの時期も、友だちのできやすさで決めています。そのために余計なお金がかかっても、友だちのできやすさを優先しています。
スクーリングでは、さまざまなゲームを通じて生徒同士が仲良くなることを促しています。生徒自身も「なぜN高はこんなに友だちをつくらせようとするのか」と感じるほどです。露骨と言えば露骨ですが、そのくらい友だちづくりの推進に力を入れているのです。
「ゲームをするくらい大したことない」と思う人もいるかもしれませんが、力の入れ方が違います。N高では、毎回のスクーリングを通じて、友だちづくりにはなにが一番効果的かを実験してきました。どうやったら友だちができるかというデータも分析して蓄積しています。
◆半減した中退率
特に重要なのが放課後の時間です。最近の生徒たちは放課後になるとすぐに帰ってしまうことが多いので、どうすれば居残って友だちと遊ぶかを試行錯誤してきました。
いろいろ試した結果、対戦ゲームのスマブラ大会やマリオカート大会は手応えがありました。しかしこういったデジタルのゲームだと、参加者が男子ばかりになってしまうのが難点でした。また、ゲーム中はプレイに集中するので、生徒同士の会話が成立しません。最終的にたどり着いたベストな方法はボードゲームです。ボードゲームは女子の参加率も高く、コミュニケーションを促進するので、友だちづくりにてきめんに効くのです。
年度の初めにスクーリングで友だちになった生徒たちは、基本的にはネットでつながり、やりとりを続けていきます。友だちづくりに力を入れてきたことで、中退率は初期に比べて半減するほどまで改善しています。さらにそれが勉強時間の増加につながり、成績も向上している。「友だち効果」には計り知れないものがあります。
N高が教育業界で果たした役割で最も大きいところは、世界で初めてコミュニティづくりを重視したオンラインの教育機関であることだと思っています。
◆生徒の能力に合わせて、適切な教育を
N高は通信制高校とは思えないほど大学合格実績を毎年伸ばし続けていることがひとつの特長ですが、よく、生徒数が多いから当たり前だと言われることがあります。これはあまり意味のない批判です。
というのもN高にはずっと不登校で小学4年生レベルの分数の計算ができない生徒や、「主語」や「述語」の意味がわからない生徒、あるいは他人と話すときに目を合わせられない生徒もたくさん入学してくるからです。そういう生徒たちがGMARCH(首都圏で早慶上智に次ぐ難関私大グループ。学習院、明治、青山学院、立教、中央、法政)に合格できるか?
残念ながらそんな魔法をかけられる学校ではありません。
一般の全日制高校と異なり、N高には学力としての偏差値がバラバラな生徒が入学してきます。最初から大学進学など考えていない生徒もたくさん入学してくるのです。だから、それを無視して「生徒数に比べて大学合格者数が少ない」なんて指摘には、まったく意味がありません。
入学してくる生徒の能力に合わせて、適切な教育をおこなうことが重要なのです。
◆オンラインだからこそできること
たとえば数学と国語については、学力の足りない生徒向けに小学4年生の内容から復習できる授業を設けています。現在の中学、高校で当たり前のようにおこなわれている一斉授業では、できない子は置いていかれるばかりです。
数学は特に、いったんわからなくなるとその先の授業がまったく理解できなくなる科目です。分数の計算しかできない生徒が、二次方程式の授業を受けても意味がない。生徒にとって、そういう授業はただ座っているだけになってしまいます。
オンライン教育には、生徒が個々の習熟度に合わせて勉強できるというメリットがあります。勉強に取り組んでさえくれれば、理解に至る環境は整っている。そして実際、勉強する生徒は大きく成績を伸ばしています。
勉強だけではありません。他人と目を合わせられない生徒は、アルバイトの面接にすら受かりません。僕たちは、そういう子も含めて、すべての生徒がオンラインで面接の練習ができるプログラムも開発しました。
卒業に必要な授業ではありませんが、生徒の将来を思うと一番大切なことだと考え、できるだけ全員が受けてくれるように指導しています。推薦入試や総合型選抜(学力だけでなく、生徒の個性、能力、意欲などを総合的に評価する入試。選抜方法は面接、小論文、大学入学共通テストなど)の面接対策もできますし、実際に受けた生徒の合格率はかなり上がっています。
N高は魔法が使える学校ではありませんが、生徒のためを考えたら、本当に必要だろうし、実現可能な範囲だという教育は、たとえ普通の学校に前例がなくてもできるだけ取り組むようにしています。
とはいえ、学校がなにをやっても振り向いてくれず、閉じこもってしまうような生徒だってたくさんいるわけです。そういう場合は、N高でもできることはあまりありません。それでも生徒に対して、電話をかけまくったりして、せめて高校として卒業に必要な授業のレポートだけは出すように、そして卒業だけはできるように指導しています。
また、在学中、卒業後にN高生だったということで恥ずかしい思いをしないように、学校の評判を高める。それだけはすべての在校生と卒業生に対して、僕たちがしてあげられることだと思っています。
※引用:『教育ZEN問答-N高をつくった僕らが大学を始める理由』(中央公論新社)
第5章 e-Learningの構成における留意点と従来のカリキュラムとの差異
【研究論文】市田柿のデジタルアーカイブ
1.諸言
(1)研究の動機
祖父が市田柿を生産しており、市田柿を地域活性化に繋げることができると思い。市田柿をデジタルアーカイブすることにより、発祥地である下伊那郡高森町の地域の活性化に繋げるための研究を進めたいと考えた。
(2)研究の目的
「市田柿」は平成 28 年度に長野県で初めて地理的表示(GI)保護制度に登録された、飯伊地区を代表する特産品である。特に年末年始の国内における人気が高く、近年では海外での GI登録を進めており、中華圏等を対象とした輸出拡大により海外での人気も高くなっている。
「市田柿」を取り扱う団体の活動により、市田柿の消費拡大、販売価格向上に繋がってきた。しかし、「市田柿」を食べたことのない若年層の増加、生産者の高齢化と後継者不足が課題となっている。このような中で、令和3年度に「市田柿」販売開始 100周年を迎えるにあたり、この地域の伝統的食文化として「市田柿」を守り、次の 100 年に伝えていきたいという思いから、「市田柿」を食べて知ってもらうこと、将来的に「市田柿」を食べる習慣を身につけてもらうこと、「市田柿」を中心とした就農者の確保に繋げていくことを目的に研究を実施した。
(3)研究の背景
① 下伊那郡の地域の課題
下伊那郡は長野県の南端に位置し、豊かな自然と伝統文化に恵まれた地域ですが、多くの地方と同様に地域活性化において複数の課題を抱えています。主な課題を以下に詳述します。
1. 人口減少と高齢化
下伊那郡の最大の課題の一つは、深刻な人口減少と高齢化です。若年層の都市部への流出が続き、出生率の低下も相まって、地域全体の活力が失われつつあります。高齢化の進展は、地域コミュニティの担い手不足、医療・介護インフラへの負担増、さらには耕作放棄地の増加といった問題を引き起こしています。地域経済を支える労働力人口の減少は、産業の衰退にも直結し、悪循環を生み出しています。
2. 産業の衰退と担い手不足
下伊那郡の基幹産業は農業が中心ですが、高齢化と後継者不足により、農業生産力の低下が懸念されています。特に、地域の特産品である果樹栽培や畜産業において、新たな担い手の確保が急務です。また、伝統的な製造業も存在しますが、国内外の競争激化や技術革新への対応の遅れから、経営が厳しさを増している企業も少なくありません。新たな産業の創出や既存産業の活性化に向けた戦略が求められています。
3. 交通インフラの不便さ
下伊那郡は山間部に位置するため、広域交通網へのアクセスが比較的限られています。主要都市からの距離があり、公共交通機関も十分とは言えません。この交通の不便さは、観光客誘致の足かせとなるだけでなく、企業の誘致や物流コストにも影響を与え、経済活動の活性化を阻害する要因となっています。リニア中央新幹線の開通が期待されていますが、その恩恵を地域全体で享受するための二次交通の整備も不可欠です。
4. 地域資源の有効活用と情報発信不足
下伊那郡には、天竜峡に代表される美しい自然景観、飯田市人形劇フェスタなどの文化イベント、そして伝統的な食文化など、魅力的な地域資源が豊富に存在します。しかし、これらの資源が十分に活用されていない、あるいはその魅力が外部に十分に伝わっていないという課題があります。地域ブランドの確立やプロモーション戦略の強化を通じて、これらの資源を観光客誘致や地域産品の販路拡大に結びつける必要があります。
5. 行政と住民、事業者間の連携不足
地域活性化には、行政、住民、そして事業者間の緊密な連携が不可欠です。しかし、下伊那郡においても、それぞれの主体が個別に活動し、情報共有や連携が不足しているケースが見られます。地域課題の解決や新たな取り組みの推進には、共通の目標設定と、それを実現するための協働体制の構築が喫緊の課題となっています。特に、若者の視点やIターン・Uターン者の知見を地域づくりに活かすための仕組みづくりが重要です。
下伊那郡の地域活性化は、人口減少・高齢化という構造的な問題に加えて、産業の担い手不足、交通の不便さ、地域資源の有効活用と情報発信不足、そして多様な主体間の連携不足といった多岐にわたる課題が複合的に絡み合っています。これらの課題に対し、地域の実情に即したきめ細やかな戦略を策定し、多様な関係者が連携して持続可能な地域づくりを進めることが、下伊那郡の未来にとって不可欠と言えるでしょう。
② 市田柿の生産の現状と推移
長野県下伊那郡を主産地とする「市田柿」は、美しい飴色の果肉ときめ細やかな白い粉、もっちりとした上品な甘みが特徴の高級干し柿として知られ、地域団体商標や地理的表示(GI)にも登録されているブランド品です。その生産は地域の基幹産業であり、伝統的な技術と手間ひまをかけて作り上げられていますが、近年、その現状と将来に向けていくつかの課題を抱えながら推移しています。
生産量の現状と推移
市田柿の正確な生産量全体の統計は探しにくいものの、JAみなみ信州の販売額は2022年度に26億円を突破するなど、ブランド価値の向上とともに一定の生産量は維持されています。しかし、その内訳を見ると、生産を支える農家の高齢化と後継者不足が深刻化しており、これが生産量維持への大きな懸念材料となっています。
高齢化と担い手不足: 市田柿の生産農家の半数以上が70歳代以上であり、後継者がいない農家も少なくありません。市田柿の生産は、収穫から皮むき、乾燥、もみ込みといった工程に集中的な労力と熟練の技術が必要とされるため、高齢化が進むにつれて生産を断念する農家が増加する傾向にあります。耕作放棄地の増加も指摘されており、生産基盤の維持が課題となっています。
生産規模の二極化: 中小規模の生産者で産地が維持されている一方で、生産規模の縮小を考える農家も約3割に上ります。JAや地域は、産地を牽引する中核的農家の生産量拡大を支援するとともに、中小規模生産者の生産工程の効率化や労力補完のための体制整備、新規就農者の呼び込みを強化することで、需要に応える生産基盤の強化を目指しています。
生産技術と品質維持への取り組み
市田柿の生産には、独自の技術と品質基準があります。高品質な市田柿を生産するためには、収穫後の施肥から剪定、病害虫対策、摘果作業など年間を通じた細やかな管理が必要です。また、独特の飴色の果肉に仕上げるための硫黄くん蒸や、もっちりとした食感を生み出すための天竜川から発生する「川霧」の恩恵、そして熟練の職人による手もみといった伝統的な工程が欠かせません。
品質管理の徹底: 市田柿ブランド推進協議会が設立され、市田柿の定義を定め、品質基準の維持向上、衛生意識向上のための研修会などを積極的に行っています。
スマート農業の導入: 生産者の負担軽減と品質向上のため、乾燥工程の重量や温湿度を遠隔で監視できる「スマート農業アイテム」の導入が進められています。これにより、乾燥管理の失敗によるカビなどの品質不良を減らし、生産ロスを抑える効果が期待されています。
賞味期限延長の取り組み: 海外輸出の拡大に伴い、賞味期限の延長が課題とされていましたが、包装資材の改善等で対応が可能となり、輸出先国の拡大に寄与しています。
流通と海外展開
市田柿は、国内では年末の贈答用としての需要が高く、年明けには市場価格が低迷する傾向にありました。この国内需要の偏りを解消し、価格の安定化を図るため、海外輸出が積極的に推進されています。
海外輸出の強化: 2016年から特許庁の地域団体商標海外事業に参画し、戦略的な輸出を開始しました。台湾、香港、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、カナダ、米国などへの輸出実績があり、特に中華圏の旧正月「春節」の贈答需要を見据えたアジア市場への輸出を強化しています。
GI登録とブランド力向上: 国内外でのGI登録(地理的表示保護制度)を通じて、市田柿のブランド価値向上と模倣品対策に取り組んでいます。これにより、高品質な日本産の商品として海外での認知度も向上しています。
販路拡大と多様化: 伝統的な青果市場経由の販売に加え、現地のインポーターや販売業者との連携、試食販売などを通じたプロモーション活動も行われ、販路の多様化が進んでいます。
今後の展望と課題
市田柿の生産は、ブランド力向上と海外輸出の拡大により、一定の成果を上げています。しかし、高齢化と後継者不足は依然として深刻な課題であり、生産基盤の維持・強化が喫緊の課題です。
新規就農者支援と生産者の確保: 地域内外の中堅・若手農業者や新規就農者への支援策を強化し、市田柿の生産に意欲のある担い手を継続的に確保していく必要があります。
生産工程の効率化と省力化: 高齢の生産者でも無理なく生産を続けられるよう、スマート農業技術のさらなる導入や、皮むきなどの作業を共同で行う施設の活用など、生産工程の効率化と省力化が求められます。
気候変動への適応: 近年の温暖化による気候条件の変化も課題となっています。市田柿の生産に適した昼夜の寒暖差や川霧の発生に影響が出る可能性もあり、気候変動に適応するための栽培技術や生産管理方法の検討も必要とされています。
市田柿は、地域に根差した伝統的な産品として、その生産維持と発展のために多角的な取り組みが続けられています。国内外での需要拡大と安定供給に向け、生産者の確保、技術革新、そして関係者間の連携が今後も重要な鍵となるでしょう。
③ 市田柿デジタルアーカイブによる市田柿のプランド戦略
市田柿は、長野県下伊那郡に伝わる伝統的な干し柿であり、その歴史と文化、そして高品質な製品としての価値が地域団体商標やGI(地理的表示)登録によって確立されています。しかし、生産者の高齢化や後継者不足、さらには気候変動といった課題に直面する中で、持続的なブランド力を維持・向上させるためには、デジタル技術を活用した新たな戦略が不可欠です。その具体的な方法として、「市田柿デジタルアーカイブ」の構築と活用が非常に有効と考えられます。
市田柿デジタルアーカイブとは、市田柿に関するあらゆる情報をデジタルデータとして収集、整理、保存し、多様な目的で活用するためのプラットフォームを指します。単なる情報の保管庫ではなく、積極的にブランド戦略に組み込むことで、市田柿の価値を多角的に高め、国内外への発信力を強化することができます。
以下に、市田柿デジタルアーカイブをブランド戦略として活用するための具体的な方法を詳述します。
1. 歴史と文化の継承と発信
市田柿は単なる農産物ではなく、地域の歴史と文化に深く根ざした存在です。デジタルアーカイブは、その歴史と文化を永続的に継承し、次世代に伝える強力なツールとなります。
具体的な方法:
歴史的資料のデジタル化: 市田柿の起源、栽培方法の変遷、干し柿文化の歴史を示す古文書、写真、絵画などを高精細でデジタル化し、ウェブサイト上で公開します。例えば、昔の栽培風景や作業風景を収めた写真や、市田柿が地域経済に果たしてきた役割を伝える文献などを公開することで、その歴史的背景を深く理解させることができます。
伝統技術の記録と公開: 市田柿作りには、皮むき、縄かけ、硫黄くん蒸、手もみといった熟練の技が不可欠です。これらの伝統的な製造工程を、高画質の動画や写真、詳細な解説テキストで記録し、アーカイブに収めます。例えば、ベテラン農家の手もみの技術をスローモーションで撮影し、その繊細な指先の動きを解説することで、製品に込められた手間と情熱を視覚的に伝えることができます。これは、国内外の消費者に対し、市田柿が単なる食品ではなく「匠の技」によって生み出される芸術品であることをアピールする上で非常に有効です。
地域文化との関連性: 市田柿が地域のお祭りや年中行事、食文化の中でどのように位置づけられてきたかを記録します。例えば、市田柿を使った郷土料理のレシピ動画や、地域に伝わる市田柿にまつわる民話や歌などをアーカイブすることで、市田柿が地域社会と密接に関わってきたことを示し、地域のアイデンティティとしての価値を高めます。
2. 生産者と産地の「顔」が見える化
消費者が食品を選ぶ際に、生産者の顔やストーリー、産地の情報が重要視される傾向にあります。デジタルアーカイブは、これらの情報を網羅的に提供し、消費者と生産者の信頼関係を構築する上で貢献します。
具体的な方法:
生産者データベースの構築: 各生産者のプロフィール(名前、顔写真、年齢、生産歴、市田柿への思いなど)を詳細に記録し、公開します。例えば、「〇〇さんの市田柿」として、栽培へのこだわりや苦労話、未来への展望などをインタビュー動画や文章で紹介することで、消費者はより深い共感を得ることができます。
畑の様子や作業風景の公開: 生産者の畑の四季折々の様子、収穫作業、干し柿作業風景などをリアルタイムに近い形で動画や写真で発信します。例えば、InstagramやYouTubeと連携し、日々の作業風景をライブ配信したり、短時間の動画で「今日の市田柿」として更新したりすることで、生産現場の臨場感を伝え、安心感を与えます。これは、特に食の安全や透明性を重視する消費者に響く戦略となります。
トレーサビリティの確保: 各生産者の生産ロットと製品を紐付け、消費者がQRコードなどを読み込むことで、どの生産者が、いつ、どこで生産した市田柿であるかを確認できるシステムを構築します。これにより、信頼性と安心感を大幅に向上させることができます。
3. 品質と安全性の「見える化」と保証
GI登録されている市田柿ですが、その品質の高さと安全性を消費者に具体的に示すことは、ブランド価値の維持・向上に不可欠です。
具体的な方法:
品質基準の明示と説明: 市田柿のGI基準、JAの品質基準、選果基準などを分かりやすくデジタル化し、公開します。例えば、写真や図を使って「特秀」「秀」「優」といった等級の違いを視覚的に説明し、それぞれの基準がどのように設定されているかを解説することで、消費者は市田柿の品質管理の厳しさを理解することができます。
検査データや認証情報の公開: 残留農薬検査の結果、衛生管理体制の認証(HACCPなど)、GI登録証など、市田柿の安全性と品質を証明するデータをアーカイブします。消費者からの信頼を獲得するために、これらの情報を透明性高く公開することが重要です。
気候データとの連携: 栽培期間中の気温、降水量、日照時間などの気象データを記録し、公開します。これにより、その年の天候が市田柿の生育にどのように影響したかを消費者が理解でき、製品の特性をより深く知ることができます。例えば、特に日照時間が長かった年の市田柿は甘みが強い、といった情報を付加価値として提供できます。
4. 教育と研究への活用
市田柿デジタルアーカイブは、単なる情報発信だけでなく、教育や研究の素材としても活用できます。
具体的な方法:
教育コンテンツの提供: 小学校や中学校の社会科見学用教材、農業高校の教材として、市田柿の栽培から加工までのプロセス、地域の歴史、伝統文化などを学べるデジタルコンテンツを提供します。ゲーム要素を取り入れたり、VR/AR技術を活用したりすることで、よりインタラクティブな学習体験を提供できます。
学術研究への貢献: 市田柿の品種改良、栽培技術の改善、加工技術の最適化に関する研究データや文献をアーカイブし、研究者がアクセスできるようにすることで、学術研究の促進に貢献します。
伝統技術の伝承: 熟練農家の技術を詳細に記録することで、新規就農者や若手農家が学習するための教材として活用できます。例えば、動画で実際の作業工程を繰り返し確認できるようにすることで、技術習得の効率を高めます。
5. グローバル展開と多言語対応
市田柿の海外輸出を強化するためには、デジタルアーカイブの多言語対応が不可欠です。
具体的な方法:
多言語対応ウェブサイト: アーカイブのコンテンツを、英語、中国語(繁体字・簡体字)、韓国語、フランス語など、主要な輸出先国の言語に翻訳し、ウェブサイト上で公開します。
海外向けプロモーション: 海外の食品見本市やイベントで、デジタルアーカイブを活用したプロモーションを行います。例えば、タブレット端末で市田柿の歴史や生産者のストーリー、製造工程の動画などを紹介することで、海外のバイヤーや消費者に対して強力にアピールできます。
SNSを活用した情報発信: 海外向けのSNSアカウント(WeChat, Facebook, Instagramなど)を開設し、デジタルアーカイブのコンテンツを効果的に活用して情報発信を行います。現地のインフルエンサーとのコラボレーションも有効です。
6. 地域コミュニティの活性化
デジタルアーカイブは、地域住民が市田柿に関する情報を共有し、地域への愛着を深めるためのプラットフォームとしても機能します。
具体的な方法:
住民参加型コンテンツの創出: 地域住民から市田柿にまつわる思い出の写真やエピソードを募集し、アーカイブに掲載します。例えば、昔の市田柿作りの写真や、家族で干し柿を作った思い出話などを集めることで、地域住民の参加意識を高め、アーカイブをより豊かなものにします。
イベント情報の発信: 市田柿に関連するイベント(収穫体験、干し柿作り体験、販売イベントなど)の情報をアーカイブで発信し、地域内外からの参加を促します。
地域活性化への貢献: デジタルアーカイブを観光資源としても活用し、下伊那郡への来訪を促します。例えば、アーカイブ情報と連携した「市田柿巡りスタンプラリー」などを企画し、地域の観光ルートを設定することも可能です。
市田柿デジタルアーカイブは、単なる情報のデジタル化に留まらず、市田柿のブランド価値を多角的に高め、国内外への発信力を強化し、さらには地域の持続的な発展に貢献する強力なツールとなり得ます。歴史と文化の継承、生産者と産地の「顔」の見える化、品質と安全性の保証、教育と研究への活用、グローバル展開、そして地域コミュニティの活性化といった具体的な戦略を組み合わせることで、市田柿は未来へと続く強力なブランドとしてその地位を確固たるものにできるでしょう。
市田柿は、長野県下伊那郡に伝わる伝統的な干し柿であり、その歴史と文化、そして高品質な製品としての価値が地域団体商標やGI(地理的表示)登録によって確立されています。しかし、生産者の高齢化や後継者不足、さらには気候変動といった課題に直面する中で、持続的なブランド力を維持・向上させるためには、デジタル技術を活用した新たな戦略が不可欠です。その具体的な方法として、「市田柿デジタルアーカイブ」の構築と活用が非常に有効と考えられます。
(4)課題
「市田柿」とは、もともとは長野県下伊那郡高森町市田地域で生産されていたことからついた柿の品種名だ。その栽培の歴史は500年以上とされる。現在は、飯田市および下伊那郡の各地域で生産されており、2006年に地域ブランドとして登録されてからは、干し柿にされた状態のものも「市田柿」と呼ぶようになった。
かつては、晴れ渡った秋空のもと農家の軒先に“柿のれん”がオレンジ色に輝く風景が南信州一帯に拡がっていた。現在では、衛生上の観点から屋内の乾燥室に幾重にも吊るされるのが一般的だが、所どころ、窓から“柿のれん”が垣間見られる風景は、南信州の秋の訪れを感じる風物詩だ。
現在は海外へも輸出されるほどの生産規模となり、干し柿の代名詞のようにその名は語られる。販売高は年間40~45億円。南信州の農業を支える、重要な産業のひとつでもある。
しかし、年を追うごとに生産農家の高齢化に伴う労働力不足が加速。生産力の低下が懸念されている。木に成った柿が収穫されることなく、鳥のエサとなってしまっている場所も少なくない。
また、温暖化による気候条件の変化も大きな課題だ。市田柿に必要なのは、昼間と朝晩の気温差。しかし現在はかつてほどの厳しい冷え込みは少ない。気温差が小さくなると、水分の抜けが悪くなり、乾燥時間が長くなったり、カビなどの発生も増加。安定生産を脅かすようになった。
2.研究の方法
(1)市田柿とは
市田柿(いちだがき)は、長野県南部で栽培される柿の品種。果実から干し柿(ドライフルーツ)が作られる。
14世紀頃、現在の長野県下伊那郡高森町に当たる旧市田村で盛んに栽培されていた事が由来である。
市田柿の誕生まで
柿は奈良時代に中国から渡ってきたと言われています。江戸時代には飯田下伊那地方でも柿が作られていました。
当時の飯田下伊那を代表する柿は「立石柿」。江戸でも大変有名でした。伊勢信仰が盛んだった下市田村(現高森町下市田)に立てられた伊勢社の境内にあった柿の古木は「焼いて食べても美味しい」と評判で「焼柿」と呼ばれていました。
この伊勢屋敷に住んでいた寺子屋の師匠 児島礼順が、柿を育て食べることを奨励し、この柿は接木によって村中に、そして村外へと広がりました。
明治時代末期には、市田柿の商品化が進められ、また数々の偉大な先人によって戦後には「市田柿」として東京や名古屋の市場進出を果たすまでになりました。
そして、平成18年に特許庁より「地域商標登録」として認定され、今日の市田柿があります。
書籍『市田柿のふるさと』
2006年(平成18)年10月27日、特許庁により全国52件の一つとして当町の特産品『市田柿』が「地域ブランド(地域団体商標)」に認定されたのを受け、2006年12月20日に郷土歴史家、柿生産者、町議会議員、地元役員、役場職員等14名からなる「市田柿の由来研究委員会」が発足しました。この方々の手によって、当町の特産品「市田柿」の由来についてまとめた書籍『市田柿のふるさと』が作られました。
(2)市田柿の歴史
市田郷地域で柿の栽培が始まったのは、江戸時代の伊勢神宮参拝(伊勢講)により、当時既に柿栽培が盛んであった美濃(現在の岐阜県南部)よりもたらされたとの説が有力とされる。地元の萩山神社にはその社が残っている。
この頃は焼柿とよばれ、囲炉裏端で焼いて渋を抜き食べられることが主であったとされるが、しだいに吊るされ「ころ柿」として加工されるようになり、1922年(大正11年)に市田村青年団により、焼柿から「市田柿」と改称し、中央市場に共同出荷が行われる。この時は失敗に終わるが、その後戦争を経て、戦後、出荷量は増加していく。
戦後になり、病害虫駆除、施肥、整枝・剪定の技術の普及、長野県立農業試験場によって硫黄燻蒸法などが確立され、更に優良系統選抜などを経て品質を均質化。かつての主要産業であった養蚕が世界恐慌などを経て衰退していたこともあって栽培面積が増加した、それに違って栽培地域も旧市田村地方から、伊那谷に広まっていく。
近年では火力乾燥法や消毒法、あるいは柿加工乾燥に適した乾燥設備(通称「柿ハウス」)の普及、パッケージの工夫などによる販路の拡大などにより急成長した。 2006年(平成18年)には地域団体商標登録制度がスタートし、長野県で最初の地域ブランドとして認定を受けた。
(3)市田柿の製造過程
① 特徴
果実は小ぶりであり、生柿・干し柿共に紡錘形をしている。同じ干し柿でも、あんぽ柿に比べると固めであり、串柿などにくらべると柔らかめなのが特徴である。市田柿の干し柿は、表面がいわゆる「粉(こう)が吹いている」、すなわちブドウ糖が表面に染み出て白い粉に覆われるのが上等品とされる。栄養価はポリフェノールが特筆して高い。100グラム中の含有量が250ミリグラムであり、干しぶどう(赤)に比べて3倍近い。
② ブランド
地域団体商標「市田柿」を管理する市田柿ブランド推進協議会では「原料柿、製造地域共に飯田市・下伊那地方に限る」としている[3]。他の干し柿ブランドとの違いとして、原料柿の品種まで指定されていることが挙げられる。
かつては焼き柿として食され、1922年(大正11年)頃から「市田柿」の商標を名乗り、当時の市田村壮年団が販売を試みている[4]。市田柿活性化推進協議会は2021年から市田柿を紹介した冊子を作成するなど100周年事業を展開している。
本格的に1950年(昭和25年)頃から優良系統を選び、市田柿に適した栽培法、燻蒸法などが普及、第二次世界大戦後に干し柿として商品化が進められた。現在では飯田市や下伊那など南信州地域を中心に栽培され、2001年(平成13年)の栽培面積は495ヘクタール、生産者数は約5000戸、2005年から2012年までの平均生産量は、原料柿で推定8577トン、加工済みの干し柿で2143トンに及ぶ。干し柿生産量では日本最大である。
③ 生育
市田柿は頂部優勢が強く直立した形状になりやすい。樹高が高いと作業効率や安全性に支障が生じるため、栽培においては定植10年ほどで心抜きを行ない、主枝の発生位置を低くして樹高を3.5メートル以下程度に保つことが多い。次郎柿などの甘柿とは違い、生で食すると口の中に収められないほどのタンニンが感じられる渋柿。果実は10月下旬から11月上旬にかけて熟し、一個あたりの重量は100グラムと小ぶりである。
人工的に手を加えて交配したものではなく、品種の中から優良な母木を選び広めたもののため、樹としては原種に近く、比較的病気に強いとされる。
④ 製法
伝統的な従来製法から、機械化などが行われているが基本的には同じ製法が守られている。市田柿の商標がついて販売されている柿は、基本的に2004年(平成16年)に市田柿の商標を管理する生産販売団体が中心となって作成された衛生マニュアルに基づき管理が行われている。
⑤ 収穫
果樹園にて黄色から橙色に実った所で収穫される。身は橙色になってもまだ固く渋い。収穫は果樹の「萼」の部分、ほぞとも言われる部分を残すように、また樹を傷めぬよう、実っている方向と逆向きに転がすように回すとぽろりと取れる。収穫した果実は、2,3日のうちにすぐに加工されるか、あるいは0~2℃、湿度90%程度に保たれた予冷庫に保管され加工される。
なお、収穫時期を逃すと赤く柔らかくなった「熟し」と呼ばれる状態になる。この状態になると干し柿にはならずまた日持ちもしないが、渋がなくなり非常に甘くなる。一般に流通することは殆ど無いが、古くからはきな粉をまぶすなどし、あるいは冷凍してシャーベット状などにするなどしても食べられることがある。
⑥ 皮むき
ヘタの部分を残し、完全に皮をむく。現在は専用の全自動・半自動と呼ばれる機械を用いて加工されるが、戦後直後までは千重(せんかさ)と呼ばれる独特の刃物が用いられ、1980年代までは手回しの機械を用いて皮むきがなされていた。この時用いる刃物は、水滴型の柿の形に沿うように大型で刃が沿うになっており、一般的な調理用の器具とは異なっていた。現在は市田柿本体に針を挿し込まず固定し、より高品質な加工ができる吸引式の装置の普及が始まっており[10]、市田柿の商標を管理する市田柿ブランド協議会では、2014年産から完全に針を使わない吸引式のみにする予定である。
地元の出荷を行なっているみなみ信州農業協同組合等では、近年中に全面的にこの衛生的に優れ歩留まりをよくする吸引式の装置への移行を目指している。
⑦ 吊るし
1.5mほどの紐に吊るし「連」とよばれるものにする。 古くは藁縄、戦中から戦後にかけてはタコ糸などが用いられてきたが、現在はナイロン製の専用の細い糸、あるいは、樹脂製のフックが付いた紐が使われる。
⑧ 燻蒸
硫黄により燻蒸を施す。硫黄を燃やして得る二酸化硫黄が用いられる。この二酸化硫黄燻蒸によって酸化を防止し、硬くなりすぎずまたタンニンの硬化を防ぐ。なお硫黄は燻蒸量も少なく、2週間にも及ぶ乾燥中に蒸発してしまうが、製法中の唯一の食品添加物として使用される。
一部では一切硫黄燻蒸を行わない柿も販売されている。 無燻蒸のものには二種類あり、単に初めからそのまま食べるのではなく加工用にするため手間をかけず、硬く色が黒くても構わないものとしたものと、そのまま食べられる干し柿として高級百貨店など特別な販路向けに限定で流通し高価であるものがある。
前者の場合は単純に手間を省いているため硬くなりそのまま食べるには適さない。一部の業者ではこれを逆手に取り「より自然に近い」等と宣伝しているが、単に製法の違いであり自然に近いわけではない。また本来は加工用であるにもかかわらず、これをそのまま食べるものとして販売している業者も存在する。
後者の場合でもタンニンの効果によって色は黒くなるが、厳密に水分量を管理し手揉みなどを行うなどで手間をかけることによって硬くなるのを防いでいる。しかし、一般にあまり食味は変わらないか少し悪い(品評会等では硫黄燻蒸品の評価のほうが高い)。しかしイメージを優先する自然派志向のニーズに応えるものとして試験的に一部流通している。
⑨ 乾燥
縄に柿がぶら下がった「連」の状態で風通しの良い場所に吊るし乾燥させる。 かつては「柿すだれ」と言われ、農家の軒下に紐で吊されたオレンジ色の柿を見ることができたが、現在では食品の衛生管理の観点から、出荷をする生産農家については管理がなされた農業用ハウスなどで干されている。そのため今でも軒下に見ることのできる柿のれんは、自家用のものか、もしくは観光客向けに見せるために吊された物である。
この工程を加温し短縮する製法もある。ここで自然に粉が出るまで吊るしたまま乾燥させることもあるが、多くは以下の粉だし工程が行われる。
⑨ 粉だし
10日~2週間程度、約半分ほどまでに干し上がり、渋が抜けた所で縄から外し(「柿を下ろす」と呼ばれる)、ほぞ(萼の部分)及びヘタの部分を切り落とし、一つ一つ柿を確認する。
その後、寝かせ込みと天日干しをし、柿もみ機と呼ばれる回転するドラムの中に柿を入れ、刺激を与えると、柿が白い粉(こ)を噴く。適正な干し上がりになるよう、また均一に粉が来るように寝かせ込み、天日干し、柿もみを繰り返して、精錬する。
全面に均一に粉が来た所で完成。その後選別・梱包などが行われる。現在では酸素を通さないフィルムを用いたパッケージに、脱酸素剤を用いて品質が落ちにくいパッケージが使われているが、市田柿は涼しいところに置き、またパッケージを開封したら出来るかぎり早く食べることが望ましい。温かいところに置くと過乾燥を招き硬くなったり、逆に水分を吸収し「もどり」あるいは「煮え」と呼ばれる現象を引き起こしたりして食味を損なう。なお短期であれば冷凍も可能である(解凍は自然解凍のこと)。
(4)市田柿の利用
飯田市や下伊那郡地域では「元旦に食べた干し柿から出てきた種の数が多いほど、その一年で多くの富を蓄えることができる」という言い伝えがあるため、新年を祝う席に縁起物として干し柿を食べる習慣がある。
その他、和菓子などの加工用にも用いられる。加工には切り込んで混ぜたような菓子のほか、その白く柔らかく粉が来た見た目を生かした高級和菓子などもある。
3.市田柿のデジタルアーカイブ
(1)市田柿の製造過程
① 特徴
果実は小ぶりであり、生柿・干し柿共に紡錘形をしている。同じ干し柿でも、あんぽ柿に比べると固めであり、串柿などにくらべると柔らかめなのが特徴である。市田柿の干し柿は、表面がいわゆる「粉(こう)が吹いている」、すなわちブドウ糖が表面に染み出て白い粉に覆われるのが上等品とされる。栄養価はポリフェノールが特筆して高い。100グラム中の含有量が250ミリグラムであり、干しぶどう(赤)に比べて3倍近い。
② ブランド
地域団体商標「市田柿」を管理する市田柿ブランド推進協議会では「原料柿、製造地域共に飯田市・下伊那地方に限る」としている[3]。他の干し柿ブランドとの違いとして、原料柿の品種まで指定されていることが挙げられる。
かつては焼き柿として食され、1922年(大正11年)頃から「市田柿」の商標を名乗り、当時の市田村壮年団が販売を試みている[4]。市田柿活性化推進協議会は2021年から市田柿を紹介した冊子を作成するなど100周年事業を展開している。
本格的に1950年(昭和25年)頃から優良系統を選び、市田柿に適した栽培法、燻蒸法などが普及、第二次世界大戦後に干し柿として商品化が進められた。現在では飯田市や下伊那など南信州地域を中心に栽培され、2001年(平成13年)の栽培面積は495ヘクタール、生産者数は約5000戸、2005年から2012年までの平均生産量は、原料柿で推定8577トン、加工済みの干し柿で2143トンに及ぶ。干し柿生産量では日本最大である。
③ 生育
市田柿は頂部優勢が強く直立した形状になりやすい。樹高が高いと作業効率や安全性に支障が生じるため、栽培においては定植10年ほどで心抜きを行ない、主枝の発生位置を低くして樹高を3.5メートル以下程度に保つことが多い。次郎柿などの甘柿とは違い、生で食すると口の中に収められないほどのタンニンが感じられる渋柿。果実は10月下旬から11月上旬にかけて熟し、一個あたりの重量は100グラムと小ぶりである。
人工的に手を加えて交配したものではなく、品種の中から優良な母木を選び広めたもののため、樹としては原種に近く、比較的病気に強いとされる。
④ 製法
伝統的な従来製法から、機械化などが行われているが基本的には同じ製法が守られている。市田柿の商標がついて販売されている柿は、基本的に2004年(平成16年)に市田柿の商標を管理する生産販売団体が中心となって作成された衛生マニュアルに基づき管理が行われている。
⑤ 収穫
果樹園にて黄色から橙色に実った所で収穫される。身は橙色になってもまだ固く渋い。収穫は果樹の「萼」の部分、ほぞとも言われる部分を残すように、また樹を傷めぬよう、実っている方向と逆向きに転がすように回すとぽろりと取れる。収穫した果実は、2,3日のうちにすぐに加工されるか、あるいは0~2℃、湿度90%程度に保たれた予冷庫に保管され加工される。
なお、収穫時期を逃すと赤く柔らかくなった「熟し」と呼ばれる状態になる。この状態になると干し柿にはならずまた日持ちもしないが、渋がなくなり非常に甘くなる。一般に流通することは殆ど無いが、古くからはきな粉をまぶすなどし、あるいは冷凍してシャーベット状などにするなどしても食べられることがある。
⑥ 皮むき
ヘタの部分を残し、完全に皮をむく。現在は専用の全自動・半自動と呼ばれる機械を用いて加工されるが、戦後直後までは千重(せんかさ)と呼ばれる独特の刃物が用いられ、1980年代までは手回しの機械を用いて皮むきがなされていた。この時用いる刃物は、水滴型の柿の形に沿うように大型で刃が沿うになっており、一般的な調理用の器具とは異なっていた。現在は市田柿本体に針を挿し込まず固定し、より高品質な加工ができる吸引式の装置の普及が始まっており[10]、市田柿の商標を管理する市田柿ブランド協議会では、2014年産から完全に針を使わない吸引式のみにする予定である。
地元の出荷を行なっているみなみ信州農業協同組合等では、近年中に全面的にこの衛生的に優れ歩留まりをよくする吸引式の装置への移行を目指している。
⑦ 吊るし
1.5mほどの紐に吊るし「連」とよばれるものにする。 古くは藁縄、戦中から戦後にかけてはタコ糸などが用いられてきたが、現在はナイロン製の専用の細い糸、あるいは、樹脂製のフックが付いた紐が使われる。
⑧ 燻蒸
硫黄により燻蒸を施す。硫黄を燃やして得る二酸化硫黄が用いられる。この二酸化硫黄燻蒸によって酸化を防止し、硬くなりすぎずまたタンニンの硬化を防ぐ。なお硫黄は燻蒸量も少なく、2週間にも及ぶ乾燥中に蒸発してしまうが、製法中の唯一の食品添加物として使用される。
一部では一切硫黄燻蒸を行わない柿も販売されている。 無燻蒸のものには二種類あり、単に初めからそのまま食べるのではなく加工用にするため手間をかけず、硬く色が黒くても構わないものとしたものと、そのまま食べられる干し柿として高級百貨店など特別な販路向けに限定で流通し高価であるものがある。
前者の場合は単純に手間を省いているため硬くなりそのまま食べるには適さない。一部の業者ではこれを逆手に取り「より自然に近い」等と宣伝しているが、単に製法の違いであり自然に近いわけではない。また本来は加工用であるにもかかわらず、これをそのまま食べるものとして販売している業者も存在する。
後者の場合でもタンニンの効果によって色は黒くなるが、厳密に水分量を管理し手揉みなどを行うなどで手間をかけることによって硬くなるのを防いでいる。しかし、一般にあまり食味は変わらないか少し悪い(品評会等では硫黄燻蒸品の評価のほうが高い)。しかしイメージを優先する自然派志向のニーズに応えるものとして試験的に一部流通している。
⑨ 乾燥
縄に柿がぶら下がった「連」の状態で風通しの良い場所に吊るし乾燥させる。 かつては「柿すだれ」と言われ、農家の軒下に紐で吊されたオレンジ色の柿を見ることができたが、現在では食品の衛生管理の観点から、出荷をする生産農家については管理がなされた農業用ハウスなどで干されている。そのため今でも軒下に見ることのできる柿のれんは、自家用のものか、もしくは観光客向けに見せるために吊された物である。
この工程を加温し短縮する製法もある。ここで自然に粉が出るまで吊るしたまま乾燥させることもあるが、多くは以下の粉だし工程が行われる。
⑨ 粉だし
10日~2週間程度、約半分ほどまでに干し上がり、渋が抜けた所で縄から外し(「柿を下ろす」と呼ばれる)、ほぞ(萼の部分)及びヘタの部分を切り落とし、一つ一つ柿を確認する。
その後、寝かせ込みと天日干しをし、柿もみ機と呼ばれる回転するドラムの中に柿を入れ、刺激を与えると、柿が白い粉(こ)を噴く。適正な干し上がりになるよう、また均一に粉が来るように寝かせ込み、天日干し、柿もみを繰り返して、精錬する。
全面に均一に粉が来た所で完成。その後選別・梱包などが行われる。現在では酸素を通さないフィルムを用いたパッケージに、脱酸素剤を用いて品質が落ちにくいパッケージが使われているが、市田柿は涼しいところに置き、またパッケージを開封したら出来るかぎり早く食べることが望ましい。温かいところに置くと過乾燥を招き硬くなったり、逆に水分を吸収し「もどり」あるいは「煮え」と呼ばれる現象を引き起こしたりして食味を損なう。なお短期であれば冷凍も可能である(解凍は自然解凍のこと)。
(2)市田柿の歴史
市田郷地域で柿の栽培が始まったのは、江戸時代の伊勢神宮参拝(伊勢講)により、当時既に柿栽培が盛んであった美濃(現在の岐阜県南部)よりもたらされたとの説が有力とされる。地元の萩山神社にはその社が残っている。
この頃は焼柿とよばれ、囲炉裏端で焼いて渋を抜き食べられることが主であったとされるが、しだいに吊るされ「ころ柿」として加工されるようになり、1922年(大正11年)に市田村青年団により、焼柿から「市田柿」と改称し、中央市場に共同出荷が行われる。この時は失敗に終わるが、その後戦争を経て、戦後、出荷量は増加していく。
戦後になり、病害虫駆除、施肥、整枝・剪定の技術の普及、長野県立農業試験場によって硫黄燻蒸法などが確立され、更に優良系統選抜などを経て品質を均質化。かつての主要産業であった養蚕が世界恐慌などを経て衰退していたこともあって栽培面積が増加した、それに違って栽培地域も旧市田村地方から、伊那谷に広まっていく。
近年では火力乾燥法や消毒法、あるいは柿加工乾燥に適した乾燥設備(通称「柿ハウス」)の普及、パッケージの工夫などによる販路の拡大などにより急成長した。 2006年(平成18年)には地域団体商標登録制度がスタートし、長野県で最初の地域ブランドとして認定を受けた。
(3)萩山神社
長野県下伊那郡高森町に鎮座する萩山神社は、地域の信仰の中心であり、その歴史は市田柿の発祥と普及に間接的ではありますが深く関わっています。直接的に市田柿を生み出した場所ではないものの、市田柿の歴史を語る上で欠かせない「伊勢社」との強い結びつきから、萩山神社もまた市田柿のルーツを辿る重要な要素となっています。
萩山神社の歴史と伊勢社
萩山神社は、寿永年間(1182年頃)にこの地の領主であった松岡氏が諏訪大明神を勧請して創建されたと伝えられる、非常に歴史のある神社です。その後、鎌倉時代には鶴岡八幡宮の神霊も合祀され、地域の守り神として篤く信仰されてきました。
市田柿の発祥において重要な役割を果たした「伊勢社」は、江戸時代に伊勢信仰が盛んだった旧市田村に、伊勢神宮の分霊を勧請して祀られたものです。この伊勢社には、伊勢参拝客のための「伊勢屋敷」が併設されており、そこに漢学者・児島礼順が住み込み、寺子屋を開いていました。そして、この伊勢社の境内にあった「焼柿の古木」が、現在の市田柿の原種となったとされています。
この伊勢社の祠は、後に近くの萩山神社へ移されたという記録が残されています。これにより、市田柿の原種である「焼柿」が育まれた伊勢社の歴史と、地域の中心的な信仰施設である萩山神社とが結びつけられています。現在の萩山神社の境内には伊勢社そのものや「焼柿の古木」は残っていませんが、その歴史的な繋がりは、市田柿の物語を構成する上で非常に重要です。
萩山神社と地域農業・生活への影響
萩山神社は、地域の守り神として、古くから五穀豊穣や住民の安寧を祈る場所であり続けてきました。市田柿を含む地域の農業が発展する上で、神社の存在は精神的な支えであり、また共同体意識を育む場でもありました。
祈りの場としての役割: 萩山神社では、春祭りなどの例大祭を通じて、地域の繁栄や農作物の豊作を祈願する神事が行われてきました。市田柿の生産が盛んになるにつれて、柿の豊作もまた、これらの祭りで祈りの対象となっていったと考えられます。地域住民が一体となって祭りを行い、神に感謝し、豊作を願うことは、共同体としての連帯感を強め、過酷な農業労働を支える精神的な基盤となりました。
地域のコミュニティ形成: 神社は、人々が集い、交流する場でもありました。祭りの準備や執行を通じて、地域の情報交換や協力体制が自然と形成されていきました。市田柿の栽培が本格化し、共同出荷が行われるようになる過程においても、このような地域のコミュニティの力が下支えになったことは想像に難くありません。
伝統の継承: 萩山神社で行われる祭りや伝統行事は、世代を超えて受け継がれてきました。これらの行事を通じて、地域の子どもたちは地域の歴史や文化、そして農業の重要性を肌で感じ、市田柿に代表される地域の特産品への愛着を育んできました。
現代における萩山神社と市田柿
現代において、萩山神社は市田柿の生産と直接的に関わることは少なくなっていますが、その歴史的な繋がりは、市田柿のブランド価値を語る上で重要な要素として認識されています。
歴史的背景の提供: 市田柿の歴史を紐解く際、伊勢社と「焼柿の古木」、そして児島礼順の存在は不可欠であり、その伊勢社が萩山神社に隣接していた、あるいは合祀されたという事実は、市田柿の物語に深みを与えます。高森町の歴史民俗資料館などでも、市田柿の歴史とともに萩山神社や伊勢社への言及があることからも、その重要性がうかがえます。
地域文化の象徴: 萩山神社は、市田柿が生まれた地域の歴史と文化を象徴する存在です。観光客や消費者が市田柿の産地を訪れる際、萩山神社のような歴史的な場所を訪れることで、製品の背景にある物語や地域の魅力をより深く理解することができます。
地域のアイデンティティ: 市田柿は高森町の、ひいては下伊那地域のアイデンティティの一部となっています。萩山神社が長年にわたり地域の守り神として存在し続けることは、この地域のアイデンティティを形成し、維持する上で重要な役割を担っています。
このように、萩山神社と市田柿は、直接的な生産関係というよりは、伊勢社という共通のルーツ、そして地域社会の信仰と共同体の形成という間接的ながらも深い歴史的・文化的な繋がりを持っています。萩山神社は、市田柿が地域に根ざした「伝統」として今日まで受け継がれてきた背景にある、精神的・文化的な基盤を象徴する存在と言えるでしょう。
(4)柿ハウス
市田柿は、長野県下伊那郡を主産地とする伝統的な干し柿であり、その独特の風味と品質は、天竜川から発生する「川霧」と、昼夜の寒暖差が大きい伊那谷の気候に大きく依存してきました。かつては、収穫された柿が農家の軒先に「柿すだれ」として吊るされ、自然の風と太陽によってゆっくりと乾燥していく風景が、伊田谷の冬の風物詩でした。しかし、近年、市田柿の生産において、この伝統的な天日乾燥から**「柿ハウス」での乾燥**へと移行する動きが顕著になっています。
柿ハウスとは
柿ハウスとは、市田柿を乾燥させるために特別に設計されたビニールハウスや専用の乾燥施設を指します。昔ながらの軒先での天日乾燥に代わり、温度、湿度、通風といった乾燥条件をある程度制御できる環境で市田柿を吊るし、乾燥させるために利用されます。
柿ハウス導入の背景と目的
柿ハウスの導入は、市田柿の生産が抱える複数の課題に対応し、品質の安定化、生産効率の向上、そして衛生管理の強化を図ることを目的としています。
品質の安定化と気候変動への対応:
天候不順のリスク軽減: 天日乾燥は、天候に大きく左右されます。長雨や湿度の高い日が続くと、カビが発生しやすくなったり、乾燥が遅れて品質が低下したりするリスクがありました。柿ハウスでは、ビニールや屋根によって外部の天候の影響を軽減できるため、安定した乾燥環境を保ちやすくなります。
最適な乾燥条件の維持: 市田柿の美味しさを決定づける「白い粉(ブドウ糖の結晶)」の生成や、もっちりとした食感を得るには、適切な温度と湿度の管理が不可欠です。柿ハウスでは、窓の開閉や送風機の使用、暖房器具の導入などにより、外部の気候条件に左右されずに理想的な乾燥条件を維持しやすくなります。これにより、不良品の発生を抑え、高品質な市田柿を安定的に生産することが可能になります。
昼夜の寒暖差の活用: 市田柿の品質には伊那谷特有の昼夜の寒暖差が重要ですが、ハウス内でもこの温度差をある程度再現・活用することで、自然の恵みを最大限に引き出す工夫が凝らされています。
衛生管理の徹底:
異物混入防止: 軒先での天日乾燥は、鳥や虫、小動物の侵入、埃の付着といった衛生面のリスクがありました。柿ハウスは外部と遮断された環境であるため、これらの異物混入を防ぎ、より衛生的で安全な市田柿を生産することができます。これは、特に食品安全に対する意識が高まる現代において、消費者の信頼を得る上で非常に重要な要素となります。
GI登録の要件: 市田柿は地理的表示(GI)保護制度に登録されており、製造場所や製造方法に関して一定の基準が定められています。衛生的な環境での乾燥は、その基準を満たす上でも重要な要素となります。
生産効率の向上と省力化:
作業の効率化: 柿ハウスでは、柿を吊るすための専用の設備が整っているため、効率的に大量の柿を吊るし、乾燥させることができます。また、乾燥中の柿の管理(揉み込みや吊るし直しなど)も、計画的に行いやすくなります。
省力化の可能性: 一部の大規模な柿ハウスでは、温度や湿度を自動で管理するシステムや、柿を吊るしたまま移動できるレールシステムなどが導入されており、省力化にも貢献しています。これは、生産者の高齢化が進む中で、労働負担を軽減し、生産を継続していく上で重要な役割を果たします。
短期間での乾燥も可能に: 機械乾燥を併用するハウスでは、従来の天日乾燥が30〜40日かかるところを、最短4日で完了させることが可能になるなど、大幅な生産効率の向上が図られています。
柿ハウス導入の課題
柿ハウスの導入には多くのメリットがある一方で、いくつかの課題も存在します。
初期投資と維持コスト: 柿ハウスの建設には多額の初期投資が必要です。また、暖房や送風のための電気代など、維持管理にもコストがかかります。小規模農家にとっては、これらのコスト負担が大きな課題となる場合があります。
伝統的な風景の喪失: 柿ハウスの普及により、伊那谷の冬の風物詩であった「柿すだれ」の風景が失われつつあります。これは、地域文化の観点から惜しまれる側面もあります。
「自然の恵み」とのバランス: 市田柿の品質は、伊那谷の自然条件に大きく依存しているため、ハウス内での人工的な環境制御と、自然の恵み(寒暖差、川霧など)をどのようにバランスさせるかが、高品質を維持する上で常に課題となります。
まとめ
市田柿の生産における「柿ハウス」の導入は、気候変動への対応、衛生管理の強化、品質の安定化、そして生産効率の向上といった現代的な課題に応えるための必然的な流れと言えます。伝統的な天日乾燥の風景は失われつつありますが、柿ハウスは、市田柿というブランドの持続可能性を高め、次世代へとその味と文化を継承していく上で不可欠な存在となっています。今後も、技術革新と地域特性の融合を図りながら、最適な生産体制が模索されていくことでしょう。
(5)児島礼順
児島礼順(こじま れいじゅん)は、江戸時代後期の漢学者であり、現在の長野県下伊那郡高森町にあたる旧市田村における「市田柿」の成立と普及に深く関わった人物として知られています。彼の存在は、市田柿が単なる農産物ではなく、地域の歴史と文化に根ざした「伝統」として語られる上で非常に重要な位置を占めています。
児島礼順の生い立ちと市田村での活動
児島礼順は、三河国田原藩(現在の愛知県田原市)の元藩士と伝えられる漢学者です。彼が市田村に定住した時期や経緯については諸説ありますが、文化年間(1804年~1817年)に、伊勢信仰が盛んだった市田村に勧請された伊勢社(現在の高森町下市田)の境内に設けられた「伊勢屋敷」に住み、そこで寺子屋を開いて子どもたちに学問を教えていたとされています。
当時の市田村では、すでに柿の栽培が行われていましたが、主流は「立石柿」と呼ばれる渋柿で、これを乾燥させた「串柿」が作られていました。しかし、伊田社には「焼柿の古木」と呼ばれる、焼いて食べても美味しいと評判の柿の木があったと伝えられています。
児島礼順と「焼柿」の普及
児島礼順と市田柿の最も重要な関係は、この伊勢社の「焼柿の古木」を広めたことにあるとされています。彼は、この古木の柿を伊勢社に供えた後、寺子屋の生徒たちと一緒に囲炉裏で焼いて渋抜きをして食べることを奨励しました。この「焼いて食べる」という食べ方が、当時の村人にとって非常に珍しく、美味しいものとして広まりました。
さらに、児島礼順は、この「焼柿」の古木の優れた特性を見抜き、村人たちに接ぎ木によって増やしていくことを促したと言われています。当時、柿を種から育てると収穫までに長い年月がかかるため、すでに接ぎ木栽培の技術は存在していましたが、児島礼順がその普及を積極的に奨励したことで、「焼柿」は村中に、そして村外へと広がっていきました。
「市田柿」の名称への繋がり
この「焼柿」が、後に「市田柿」と呼ばれるようになる原種とされています。明治時代末期になると、この柿の加工品が共同出荷されるようになり、大正11年(1922年)に市田村青年団によって「市田柿」と命名され、中央市場へ出荷されるようになりました。児島礼順が生涯をかけて広めた柿が、地域の特産品として確立されていく過程において、彼の果たした役割は非常に大きいと言えるでしょう。
歴史的意義と後世への影響
児島礼順に関する史料は多く残されているわけではありませんが、高森町史や『市田柿のふるさと』などの郷土史研究によって、彼の功績が伝えられています。彼は単に学問を教えるだけでなく、地域の自然や農作物にも深い関心を持ち、その知識と教養を地域の人々の生活向上に役立てようとした、まさしく地域の「知のリーダー」であったと言えます。
児島礼順の存在は、市田柿が単なる美味しい干し柿であるだけでなく、地域に根差した歴史と文化を持つ「ブランド」であることを物語る重要な要素です。彼の功績が語り継がれることで、市田柿には、漢学者の知恵と、それを広めようと努めた人々の情熱、そして地域が一体となって育んできた歴史が凝縮されているという付加価値が生まれています。これは、現代の市田柿のブランド戦略においても、そのルーツを語る上で欠かせない物語となっています。
(6)伊勢神宮参拝(伊勢講)
長野県下伊那郡高森町を主産地とする「市田柿」の発祥には、江戸時代の盛んな伊勢神宮参拝、通称「伊勢講(いせこう)」が深く関わっているとされています。この伊勢講が、当時の地域社会に与えた文化的・経済的な影響が、市田柿の誕生と普及に大きく貢献したと考えられています。
伊勢講とは
伊勢講とは、江戸時代に日本全国に普及した伊勢神宮への参拝を目的とした民間信仰団体です。当時の庶民にとって伊勢参りは一生に一度あるかないかの大旅行であり、個人での費用負担や旅の安全の確保が困難だったため、村や集落単位で人々が資金を積み立て、くじなどで選ばれた代表者が「代参者」として伊勢神宮へ参拝するという形式が一般的でした。
代参者は、伊勢参りを通じて各地の情報を持ち帰り、また土産物として地域の特産品を持ち帰る役割も担っていました。伊勢参拝は単なる信仰活動に留まらず、地域間の交流を促し、新たな文化や技術、産品が伝播する重要な機会でもあったのです。
伊勢講と市田柿の発祥
下伊那郡高森町、旧市田村では、江戸時代後期に伊勢信仰が非常に盛んでした。文化年間(1804年~1817年)には、特に信仰の篤かった村人たちが、伊勢神宮の分霊を勧請して「伊勢社」と呼ばれる祠を祀ったと伝えられています。この伊勢社の境内には、伊勢神宮への参拝客(御師)が寝泊まりするための「伊勢屋敷」が設けられていました。
市田柿の発祥に関する説の一つとして有力視されているのが、この伊勢講を通じて、柿の栽培が盛んだった美濃国(現在の岐阜県南部)から、伊勢社境内に持ち込まれた柿の苗木があったというものです。伊勢詣での帰路に、美濃で評判の柿を持ち帰り、伊勢社の境内に植えられた可能性が指摘されています。
そして、この伊勢社の境内に生えていた柿の古木が、後に「焼柿(やきがき)」と呼ばれる、焼いて食べても美味しいと評判の柿であったとされています。この「焼柿」こそが、現在の市田柿の原種となった柿であると考えられています。
児島礼順の役割と伊勢社の「焼柿」の普及
前述の児島礼順は、この伊勢屋敷に住み込み、寺子屋を開いていた漢学者です。彼は、伊勢社の「焼柿の古木」の優れた品質に注目し、寺子屋の生徒たちと共に囲炉裏で焼いて渋抜きをして食べることを奨励しました。この「焼柿」の美味しさが評判となり、児島礼順は村人たちに、この柿を接ぎ木によって増やしていくことを積極的に促しました。
これにより、「焼柿」は市田村中に広がり、地域の主要な作物として定着していきます。当時の市田村では、すでに「立石柿」という渋柿が栽培され、干し柿として加工されていましたが、「焼柿」はより優れた品質を持っていたため、次第にその存在感を増していきました。
伊勢講と地域経済・文化の繋がり
伊勢講は、単に柿の苗木が持ち込まれるだけでなく、地域経済や文化にも大きな影響を与えました。
情報と技術の伝播: 伊勢講の代参者たちは、旅先で得た様々な情報や技術を故郷に持ち帰りました。柿の栽培や加工に関する新たな知識も、この交流を通じて地域に伝えられた可能性があります。
地域産品の交流: 伊勢参りの土産物として、各地の特産品が持ち帰られ、また地域の産品が持ち出されることで、広域な流通と評価の機会が生まれました。市田柿の加工品も、当初からこのような交流の中でその価値が認識され、広まっていったと考えられます。
地域共同体の強化: 伊勢講は、村や集落の結束を強める役割も果たしました。共同で費用を積み立て、代参者を送り出すという活動を通じて、地域の連帯感が高まり、それが後の市田柿の共同出荷やブランド化にも繋がっていったと推察されます。
まとめ
伊勢神宮参拝(伊勢講)と市田柿の発祥は、単なる偶然ではなく、当時の地域社会の信仰、人々の交流、そして知恵が密接に結びついた結果と言えるでしょう。伊勢講を通じて美濃から柿が持ち込まれ、伊勢社の「焼柿の古木」がその原種となり、児島礼順の尽力によってその栽培が広まったという一連の歴史は、市田柿が持つ「地域性」「伝統」「文化」といったブランド価値の重要な根源となっています。
(7)下伊那の歴史
(8)下伊那の伝統文化
4.市田柿デジタルアーカイブの教材化
教材として、市田柿の栽培から加工までのプロセス、地域の歴史、伝統文化などを学べるデジタルコンテンツの作成
5.結 言
参考資料
沖縄の怖い話『ミミチリボウジ』
■中城御殿(大村御殿)とは
「中城御殿」は琉球の王世子のための宮殿として建てられた邸宅であった。王世子は伝統的に中城間切(中城村〔沖縄中部〕)の統治が任されていたことから中城王子とよばれており、それに由来する。大村御殿ともいわれる。
*間切・・・琉球王国時代および明治時代の沖縄県の行政区分のひとつ。
■中城御殿の歴史
中城御殿は尚豊王代(1621~40年)に創建され、二百数十年間、世子殿であった。1875年に世子殿が龍潭の北側(旧県立博物館敷地)に移転すると、跡地は「下の薬園(シムヌヤクエン)」となった。
1879年の沖縄県設置後、1891年に沖縄尋常中学校(後の県立第一中学校)が置かれた。沖縄戦で建物内に保管された大事な宝物とともに重要な資料も散逸しまった。沖縄戦後は首里高等学校の校地となった。元々の建造物のうち、残ったのは井戸が1つと、周辺の大きな石垣だけだったが、中城御殿に関する資料や写真は多く残っている。その場所には1966年に沖縄県立博物館・美術館が建てられたが、2008年に解体され、現在は重要な発掘作業が進められている。
【中城御殿にまつわる怖い話『耳ちりぼーじ』】
琉球王朝時代に首里に黒金座主(くるがにざーし)という僧がいた。その僧が怪しい術を使って女性をたぶらかし襲っているという事に怒った琉球王は北谷王子に彼の殺害を命じた。
北谷王子は黒金座主に囲碁の対局を持ちかけ、黒金座主は両耳を、北谷王子は髷をそれぞれ賭けた。黒金座主が怪しい術で北谷王子を眠らせようとしたところを逆に北谷王子が黒金座主の両耳を切り落として殺した。
その後、黒金座主は幽霊となって北谷王子の住む大村御殿を囲う石壁の角に夜な夜な現れた。またそれ以来、大村御殿には男の子が生まれるとすぐ死ぬとう事が続きどちらが生まれても「ウフーイナグ(大きな女の子)の生まれたんどオ」と唄う風習ができたという。
*諸説あり
資料(メタデータ)
沖縄の怖い話_ミミチリボウジ
【大学教育推進会議】e-Learning推進部会
【大学教育推進会議】e-Learning推進部会【2023年度】 【2024年度】
_ 2023年度のe-Learningの構築の経緯については上記のサイトをご覧ください。
【2025年度】
第16回 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会
日時:令和7年4月24日(木)13:30-14:30
場所:本館中会議室
【大学教育推進会議】第15回e-Learning推進部会
1.令和6年度e-Learning構築の状況
- 令和6年度e-Learning構築済:49科目
今までのe-Learning構築状況
- 健康栄養学科 9講座 生活科学専攻 2講座 建築デザイン専攻 4講座 初等教育学専攻 18講座
- 文化創造学専攻 9講座 デジタルアーカイブ専攻 29講座 リスキリング(公開講座) 43講座
- 大学院 21講座
2.・令和7年度 e-Learning構築科目(15科目)について
- 令和7年度e-Learning構築計画:30科目
- 令和7年度のe-Learning構築科目(15科目)並びに担当者(アーカイブ・観光・生活・初等・健栄・建築)
学科・専攻・専修 | No | 科目名 | 担当者(敬称略) | 大学の新たな展開 |
デジタルアーカイブ専攻
|
1 | ネットワークと情報表現(含実習) (7回分) |
櫟 | 資格科目(デジタルアーキビスト)、資格科目(上級情報処理士)、免許科目(高校一種・情報) |
2 | 図書館概論 | 木幡 | 資格科目(図書館司書) | |
3 | 図書・図書館史 | 木幡 | 資格科目(図書館司書) | |
4 | 図書館施設論 | 木幡 | 資格科目(図書館司書) |
学科・専攻・専修 | No | 科目名 | 担当者(敬称略) | 大学の新たな展開 |
観光専修 | 1 | 観光関連法規 | 瀬戸 敦子 | 観光専修必須科目、国家試験対応(R6構築済み 内容一部更新) |
2 | 世界遺産論 | 瀬戸 敦子 | 学部共通科目(R5構築済み 内容一部更新) | |
3 | 国内旅行業務応用 | 瀬戸 敦子 | 観光専修必須科目、国家試験対応 | |
4 | 英米文学 | 山中 マーガレット | 教員免許状(英語) | |
5 | リーディングス | 山中 マーガレット | 教員免許状(英語) | |
6 | 文化創造学基礎(英語) | 樋田 光代 | 学部共通科目 |
学科・専攻・専修 | No | 科目名 | 担当者(敬称略) | 大学の新たな展開 |
生活科学学科
生活科学専攻 |
1 | 被服学概論 | 宮本教雄 | コア・カリキュラム |
学科・専攻・専修 | No | 科目名 | 担当者(敬称略) | 大学の新たな展開 |
初等教育学専攻 | 1 | 初等教科教育法(社会) | 吉野光浩・齋藤陽子 | 「小中連携教育コーディネータ養成講座」
小学校教諭2種免許状取得のための本学の履修証明プログラム |
2 | 教育方法研究 | 村瀬康一郎 | 専修免許状 | |
3 | 教育経営特講 | 三尾寛次 |
学科・専攻・専修 | No | 科目名 | 担当者(敬称略) | 大学の新たな展開 |
健康栄養学科
|
1 | 生化学 | 野村 | 国家試験対策、授業の予習・復習 (令和6年度継続、動画作成のみ) |
2 | 公衆栄養学 | 板屋 | 国家試験対策、授業の予習・復習 | |
3 | 臨床栄養学 | 岩﨑 | 国家試験対策、授業の予習・復習 | |
4 | 食品衛生学 | 臼井 | 国家試験対策、授業の予習・復習 | |
5 | ライフステージ栄養論 | 土屋・丹羽 | 国家試験対策、授業の予習・復習 | |
6 | 栄養教育論・指導論 | 和田 | 国家試験対策、授業の予習・復習 |
学科・専攻・専修 | No | 科目名 | 担当者(敬称略) | 大学の新たな展開 |
住居学専攻
|
1 | 建築一般構造Ⅰ | 黒見 | 沖縄女子短期大学からの編入対応(建築施工管理技士学科試験対応) |
2 | 建築一般構造Ⅱ | 黒見 | 沖縄女子短期大学からの編入対応(建築施工管理技士学科試験対応) | |
3 | 建築計画専門演習Ⅰ | 黒見 | 沖縄女子短期大学からの編入対応(建築施工管理技士学科試験対応) | |
4 | 建築法規専門演習Ⅰ | 森田 | 沖縄女子短期大学からの編入対応(建築施工管理技士学科試験対応) | |
5 | CAD演習Ⅰ | 森田 | 沖縄女子短期大学からの編入対応 | |
6 | CAD演習Ⅲ | 森田 | 沖縄女子短期大学からの編入対応 | |
7 | 測量学・実習 | 森田 | 沖縄女子短期大学からの編入対応(建築施工管理技士学科試験対応) | |
8 | 建築計画専門演習Ⅱ | 黒見 | 二級建築士学科対策 | |
9 | 建築法規専門演習Ⅱ | 森田 | 二級建築士学科対策 | |
10 | 構造力学基礎Ⅱ | 黒見 | 構造力学入門科目 |
3.令和7年度岐阜県私立大学地方創生推進事業の事業計画について
4.その他
提出文書様式
1.【大学教育推進会議】e-Learning_科目学修到達目標並びに課題様式(Word版)(6月30日〆切)
2.【大学教育推進会議】e-Learning推進部会_タキソノミーテーブル様式(Word版)(7月31日〆切)
3.【大学教育推進会議】e-Learning推進部会_科目ガイドブック様式(Word版)(8月29日〆切)
4.科目名_テキスト(様式)配付(Word版)(9月30日〆切)
5.科目名_プレゼン(様式)(pptx版)(10月31日〆切)
6.動画の作成(各講20分程度)(12月31日〆切)
動画作成の方法について
次回 第17回 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会
令和7年5月22日(木)13:30-14:30
第17回 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会
日時:令和7年5月22日(木)13:30-14:30
場所:本館中会議室
【大学教育推進会議】第15回e-Learning推進部会
1.令和7年度 e-Learning構築科目(15科目)について
- 令和7年度e-Learning構築計画:30科目
提出文書様式
① 【大学教育推進会議】e-Learning_科目学修到達目標並びに課題様式(Word版)(6月30日〆切)
② 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会_タキソノミーテーブル様式(Word版)(7月31日〆切)
③ 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会_科目ガイドブック様式(Word版)(8月29日〆切)
④ 科目名_テキスト(様式)配付(Word版)(9月30日〆切)
⑤ 科目名_プレゼン(様式)(pptx版)(10月31日〆切)
⑥ 動画の作成(各講20分程度)(12月31日〆切)
2.令和7年度岐阜県私立大学地方創生推進事業の事業計画について
- 令和7年度岐阜県私立大学地方創生推進事業 事業計画書
- DXで実現する地域のデジタル人材育成事業企画書(2025.5.3)
- DXで実現する地域のデジタル人材育成事業企画書(概要版)
- DXで実現する地域のデジタル人材育成事業企画書(2025.5.8)
- 科目学修到達目標並びに課題【AI(人工知能】概論【Ⅱ】~教員のための実践的データサイエンス入門~】
- 科目学修到達目標並びに課題【学校DX戦略コーディネータ概論【Ⅲ】~カリキュラム開発の理論と実践~】
- 科目学修到達目標並びに課題【AI(人工知能)概論【Ⅲ】~社会人のためのデータサイエンス~】
3.その他
資料
1.【大学教育推進会議】第17回e-Learning推進部会
2.DXで実現する地域のデジタル人材育成事業企画書(概要版)
次回 第18回 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会 令和7年8月7日(木)13:30-14:30 予定
第18回 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会
日時:令和7年8月7日(木)13:30-14:30
場所:本館中会議室
【大学教育推進会議】第15回e-Learning推進部会
1.令和7年度 e-Learning構築科目(15科目)について
- 令和7年度e-Learning構築計画:30科目
提出文書様式
① 【大学教育推進会議】e-Learning_科目学修到達目標並びに課題様式(Word版)(6月30日〆切)
② 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会_タキソノミーテーブル様式(Word版)(7月31日〆切)
③ 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会_科目ガイドブック様式(Word版)(8月29日〆切)
④ 科目名_テキスト(様式)配付(Word版)(9月30日〆切)
⑤ 科目名_プレゼン(様式)(pptx版)(10月31日〆切)
⑥ 動画の作成(各講20分程度)(12月31日〆切)
2.令和7年度岐阜県私立大学地方創生推進事業の事業計画について
3.その他
資料
次回 第19回 【大学教育推進会議】e-Learning推進部会 令和7年9月 日(木)13:30-14:30 予定
与那原の産業 セーイカ
セーイカとはソデイカの沖縄方言での呼び方であり、最初にソデイカ漁業が始まった久米島で、「せー(エビ)」に似た味がすることからこの名がついたといわれている。寿命は1年程度、外套長1m、体重は20kgにも達する巨大なカで、世界に一属一種の生物である。昼間は水深400~600mの深海で過ごし、夜間は餌を追って海面付近にまで浮上する。通常2個体ずつで遊泳する習性をもっている。撮影日には、当添漁港に600杯のセーイカがあがった。多い時には800~1000杯あがることもある。
イカは足が早いため、水揚げしてすぐに船の上で頭と足とにさばき、それぞれをひとつずつ包んで冷凍庫で保管しながら漁港に戻る。そのため、漁港につくと冷凍されたセーイカがベルトコンベアを渡して水産物荷さばき施設に移される。水産物荷さばき施設では、ベルトコンベアからおろされたセーイカを1包み毎に目方にのせて重さを記録する。その後、大きなコンテナにまとめて入れ、さらにコンテナごと大きな計りで総重量をはかり、二つ重ねてトラックへ運ぶ。
セーイカの身の繊維は柔らかいため調理もしやすく、刺身や寿司ネタだけでなく、最近はソーセージやチキアギ(沖縄の揚げかまぼこ)などの加工品も開発されている。ファーマーズマーケット与那原あがりはま市場などで購入することができる。
資料(メタデータ)
平和への願い 白梅之塔
白梅之塔は高嶺村真栄里(現在の糸満市真栄里)にある、沖縄県立第二高等女学校の慰霊塔である。沖縄戦で戦没した校長・職員・生徒および同窓会員、他の場所で戦死した学校関係者合わせて149名を合祀している。
八重瀬岳の第24師団第1野戦病院解散後、白梅学徒隊16人の学徒が戦地をさまよった末にたどり着いたのが、上の壕(眞山之塔裏)、下の壕(白梅之塔側)とよばれた真栄里の自然壕である。上の壕は食糧弾薬倉庫、下の壕は傷病兵の看護場所で、学徒らは負傷兵の手当てを手伝った。6月21日に下の壕が、翌22日に上の壕が米軍の激しい攻撃を受けた。
敗戦後の1948年1月に自然石の小さな碑を建立し、第1回の慰霊祭が執り行われた。「塔」とされているが、実物は琉球石灰岩でできた高さ数十センチの石碑である。その後、1951年8月に建て替えられ、再度、1992年6月に現在の慰霊塔に改修された。白梅同窓会が維持管理を行っている。現在も毎年6月23日の慰霊の日に例祭が執り行われている。
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沖縄の怖い話『仲西ヘーイ』
潮渡橋は、泊と那覇の間を流れる潮渡(すーわたい)川にかかる橋で、塩田潟原(かたばる)の上に明治42(1909年)に架けられた、長さ7間(約13m)の木橋だった(東恩納寛惇『南島風土記』)。
潟原は干潮時に徒歩で横断すると泊から若狭・那覇方面への近道になることから、人の往来の多かったようだ。現在の潮渡橋は那覇市前島のリッチモンドホテルのそばに移され、橋の上を国道58号線が通っている(位置は当時よりも南に移動)。
*潮渡川は安里川が崇元寺付近から分かれて久茂地川となり、その先の美栄橋付近から海に向かって別れて流れる川である。
【怖い話】
仲西は那覇市に伝わる妖怪で、夜になって那覇と泊の間にある塩田潟原にかかった潮渡橋で「仲西ヘーイ(仲西やーい)」とよぶと、「ヘーイ」と返事が返ってきて現れる。現在、潮渡橋はかつてあった場所から移動しており、昔のように呼んでも現れなくなったようである。
*違う内容の話がいくつか伝わっている。
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沖縄の有用植物 沖縄の薬草文化
沖縄は気候による温暖さや降水量の多さから多様な植物が生育しやすい環境であり、独特の生態系を育んでいる。特に、沖縄本島北部のヤンバル(山原)は「生物の宝庫」、八重山(諸島)は「東洋のガラパゴス」といわれている。また、琉球列島は地理的に日本本土と東南アジアの中央に位置している。日本本土、台湾、中国大陸、フィリピン、東南アジア、オーストラリアなど、様々な地域の植物が混ざり合った植物相で、約150種類の薬草が自生していることから「薬草の宝庫」ともいわれている。
日本では薬草は『古事記』や『日本書紀』にも登場し、古くから健康を支える存在として治療や儀式に利用されてきた。沖縄の薬草文化は、干ばつや台風などの自然災害にたびたび見舞われてきた沖縄において、厳しい環境と上手く付き合う知恵のひとつとして、野菜や薬草を巧みに取り入れて薬餌効果を優先する「養生食」のなかで育まれてきたと考えられる。
沖縄には、グァバ(蕃石榴〔ばんじろう〕、沖縄の方言で ばんしるー)、ウコン(鬱金〔うこん〕、沖縄の方言で うっちん)、クミスクチン(別名ねこのひげ)の三大薬草があり、葉や茎などを乾燥させ、煎じて服用する。現在ではグァバはジュースとしても販売されており、南国のフルーツジュースとして馴染みがある。またウコンはウコン茶(ウッチン茶)としてペットボトルや缶での販売がある。
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沖縄の生活文化 花ブロック
■沖縄独自の建築資材 花ブロック
花ブロックとは沖縄の建築に使用される装飾的なコンクリートブロックをさし、沖縄独自の建築材料である。主に外壁に用いられ、透かし模様が施されている。これにより通気性を保ちながら沖縄の強い日差しを遮る機能があり、また、その透かし部分から朝昼夕と時々の光が差し込み、夜は内側からの光の陰影を楽しめるというデザイン性ももちわせている。
周囲の自然や環境を大切にさりげなく生活に取り込む沖縄のあたたかさが感じられる。
沖縄県のある初期の花ブロックを利用した有名な建築としては、1958年に建築された聖クララ修道院(与那原町与那原)、1981年に建築された名護市市役所(名護市港)などがある。
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沖縄の有用植物 サトウキビ
サトウキビは、琉球王朝時代、儀間真常(1557-1644)により中国福建省からその栽培方法と製糖方法が伝えられた。現在では沖縄県の全耕地面積の約5割がその栽培に使われており、県内農家の約7割が栽培に従事している(令和4年度 沖縄県農林水産部調査)。サトウキビは強風や日照りに強く高温多湿を好むため、台風の多い沖縄でも栽培することができる。
栽培・製糖・加工・販売による雇用機会の確保など、沖縄の地域経済を支える主要農産物である。
サトウキビは沖縄方言でウージとよばれ、沖縄の特産品でもある黒糖は、郷土料理や菓子、土産品など、幅広く使われており、古くからの沖縄の慣習や生活文化に深く根付いている。
野外博物館である琉球村(沖縄県恩納村)には、サーター車(砂糖車)が展示されている。サーター車は牛や馬に砂糖車を引かせてサトウキビを絞る歯車のことで、古くから黒砂糖を作る製糖方法であり、儀間真常によって中国から伝えられたもののひとつである。
近年では、サトウキビのしぼり汁から取り除かれた糖蜜はバイオエタノールの原料や家畜のエサに、搾りかす(バガス)は製糖工場の燃料や次のサトウキビ栽培の肥料に使用されるなど、持続可能なエネルギーや資源として注目されている。