飛騨匠伝説(郡上・立花六角堂)
旧郡上街道地蔵坂峠に建つ立花六角堂は、由緒書きによると応長元年(1311)飛騨の大工匠頭肥前権守藤原朝臣宗康が御堂を建て直したとある。堂の再建をめぐる物語を紹介しよう。「旅の大工が地蔵坂峠で休んでいると、突然霧が立ち込め、それまで何もなかった広場にお堂と、寂しそうに佇む坊様が見えた。麓の寺の住職に聞けば昔、泰(たい)澄(ちょう)という坊様が堂を建て旅人の安全を願ったが坊様が亡くなると朽ち果てたという。
それを聞くと大工は明日の昼までに堂を立てると峠へ戻って行った。翌日住職が峠に行くと既にお堂は出来上がっている。そこへ別の旅人がやってきて、素晴らしいお堂に感嘆しきり。事の仔細を聞くとさらに驚き住職と二人、堂に入ってながめるうちに扉がしまり閉じ込められてしまう。旅人は彫り物師で手早く木っ端でカラスを彫り上げ隙間から外へ放つと堂の屋根で鳴きはじめた。その声に空が暗くなるほどカラスが集まり何事かとやってきた村の衆に二人は救い出された。住職は先の大工は飛騨の匠、彫り師は左甚五郎ではないかと思ったという。」
建て直した大工は飛騨の匠藤原宗康、泰澄は養老元年(717)白山山上に三所権現を祀り、六角堂から長良川を遡(さかのぼ)る郡上市白鳥に白山中宮長滝寺を建て白山信仰の基を開いた人だ。長滝寺は文永八年(1271)火災で焼失するが、大講堂再建に藤原宗康は棟梁として関わり、六角堂とおなじ応長元年に成し遂げている。旧郡上街道は明治まで旅人が行きかう要路であり、白山へ参る人もまた此処を通ったと思うと、朽ちた六角堂の建て直しを願った泰澄が時をこえて宗康の前に現れた気持ちがよくわかる物語である。
(参考:定本 日本の民話18 美濃の民話第1集・第2集佐が坂の六角堂 編集 赤座憲久 1999年5月31日㈱未來社発行・白山中宮長滝寺の歴史 白山中宮長滝寺発行・六角地蔵堂由緒))
■写真説明
立花六角堂への登り口
登り口の上には東海北陸自動車道、長良川鉄道の橋梁がみえる
道は狭い山道となる
同上、六角堂へは左側の暗い山道を行く
道端の道標
六角堂への階段
階段上から、右が六角堂、奥は広場になっている
広場側から見た六角堂
同上
石垣上に地蔵が並ぶ
六角堂近景
軒下部分
正面
地蔵後方から六角堂を見下ろす
同上
広場から里を見下ろす
六角堂脇にある由緒書き
#左甚五郎
資料集
131_141_飛騨匠伝説(郡上・立花六角堂)