沖縄の観光 海中道路
【Expression】
沖縄本島と4つの離島を結ぶ全長約5kmの堤防上の道路です。左右には海が広がりレジャースポットにもなっています。以前、離島の人々は本島まで干潮時に浅瀬を歩いて渡る“潮川渡い(スーカーワタイ)”や渡舟で渡っていました。現在、海中道路は本島と離島のアクセスとして重要な道路であり、車で巡る離島観光も支えています。
勝連城10代目按司の阿麻和利(最後の城主)は15世紀の琉球王国において勝連半島を勢力下に置いていた按司で、護佐丸・阿麻和利の乱により首里王府への反逆者とされているが、首里王府が編纂した歌集「おもろさうし」では、阿麻和利について肝高(きむたか/ちむたき、気高い/心豊かなどという意味)と表現され、現在でも市民に敬愛されている。
尚泰久王は王女 百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせており、その後、勝連城で起こる数々の出来事は組踊や現在版組踊にもなっている。
琉球最古の歌謡集「おもろさうし」には、勝連(現在の沖縄県うるま市勝連地区)を日本本土の鎌倉に例えた歌をはじめ、勝連の繁栄や、勝連地域に繁栄をもたらした10代目城主である阿麻和利を讃える歌謡(第12章47歌中12歌)が数多く残されている。
【真玉橋にまつわる怖い話『七色ムーティー』】
当時、木で造られた真玉橋は、大雨のたびに洪水で流されていた。そのため、1707年、尚貞王の時代に丈夫な石で造り替えることになった。
だが、建設中に大雨が降ると造りかけの橋が流され工事はなかなか進まなかった。困り果てた役人が、ユタ(民間霊媒師)をたずねると、「完成させたければ、子年生まれで七色の元結(七色ムーティー)をした女性を人柱にすることだ。」と告げられた。役人は告げられた女性をいたるところで探したが、条件にあった女性は見つけられなかった。
ある日、そのユタも子年生まれであることが役人の耳に入ったため、再びユタを尋ねると、ユタの元結が七色に輝いていた。ユタは「誰かが私を陥れようとしている」と訴えたが、聞き入れられず人柱として埋められてしまった。
(参考:豊見城市商工会とみぐすく,豊見城の民話「真玉橋の人柱伝説 ― 七色ムーティー」,http://www.tomi-shoko.or.jp/tomi_minwa,[アクセス 2023/11/03])*諸説あり
川平湾(かびらわん)は、沖縄県石垣市の石垣島北西部にある湾である。
地図
湾内の海は、光の加減や潮の満ち引きにより刻々とその色を変え、石垣島を代表する景勝地と評される。湾口をふさぐように横たわる小島(くじま)をはじめとする小さな島が湾内に点在し、海中には数多くの種類の造礁サンゴが群落を形成している。
1997年9月11日に「川平湾及び於茂登岳」として国の名勝に指定されている[1]。また、2007年8月1日に西表国立公園が拡張され西表石垣国立公園となった際に、第1種特別地域に指定されている[2]。
湾内のサンゴ礁の景観は観光用のグラスボートから鑑賞することができる。潮流が強いため遊泳は禁止されている。
琉球真珠による黒真珠の養殖でも知られているが[3]、近年急速な水質汚染ならびに汽水化が進行しており、早急な対策が望まれている。
川平湾全景
川平湾グラスボート
赤瓦屋根の家々、サンゴの石垣、白砂の道、屋根の上のシーサー、原色の花々が咲き、美しい沖縄の原風景に触れることができる島。島をゆっくりと巡れば、生活の中に生きづく伝統と文化を実感する。
平坦な島をのんびりと歩くのもいいし、サイクリングで島中をまわるのもいい。また水牛車にゆられながら、集落をまわるのもこの島ならでは。
水牛車から聴こえてくる全国的にも有名な「安里屋ユンタ」は、この島で歌い継がれてきたユンタが元歌になっている。そして島最大の行事「種子取祭」は、豊かな芸能を大切にする竹富島の人々の誇りと気概に溢れている。
2007年、竹富島の生活用具(喜宝院蒐集館)が、国指定重要有形民俗文化財に指定された。
水牛車観光(1)
水牛車観光(1)