三輪神社
美濃国神名帳に正二位美和大明神とある創立不詳の古社。社殿は、永禄年間に建立されたが、その後破損し、現在の本殿は元禄年間に再建されたものである。本殿は、昭和43年に岐阜市の重要文化財に指定されているほか、参道の石鳥居は昭和51年に市重要文化財、参道のスギの木は昭和51年に市の天然記念物にそれぞれ指定されている。
拝殿
本殿
美濃国神名帳に正二位美和大明神とある創立不詳の古社。社殿は、永禄年間に建立されたが、その後破損し、現在の本殿は元禄年間に再建されたものである。本殿は、昭和43年に岐阜市の重要文化財に指定されているほか、参道の石鳥居は昭和51年に市重要文化財、参道のスギの木は昭和51年に市の天然記念物にそれぞれ指定されている。
拝殿
本殿
創立年代は不詳である。古老の口伝によると、椋椅(くらはし)某が此の地にきて田畑を開墾し、谷水を使った。地名も「田谷」といい、通称「田谷宮」と里人等に親しまれた。部落の名も「くらはし」から藏柱と改名されたのである。
承久年間より江馬家の領主の庇護により石浦・田谷(上・下)・沖田・かじや・下垣内の各集落に神社を建立し守護してもらった。
元禄七年大垣藩主戸田采女正の検地の際八畝二十歩の除地がある。後年になるが、年代も不明であるが、石浦宮を除いて田谷宮神明神社に合併合祀されている。棟札等に「天明三年、本宮再建氏子中、二滝より舟橋まで不残」とあり、天保三年の棟札に氏子は六十軒と記されている。
石浦宮の神鏡には明治四年田谷、森合祭とあり、このとき合併合祀されたのであろう。
大雨見山(おおあまみやま)(標高1336m)の北西麓にあたる蔵柱(くらばしら)川沿いに石仏という地名があり、そこにある高さ約12mの仏像に似た石柱が「石仏」である。その付近には“鏡岩”、“仏器岩”、“獅子頭岩”といった名前のついた奇岩と称する岩が山すそにある。いずれも大雨見山層群の宮川谷層に属する火山岩類のうち、比較的軟らかく風化作用を受けやすい凝灰岩からなる。見る方向によっていろいろな形状に見えることからそれぞれに名称がつけられたものである。
高山市国府町から県道76号で上宝町に向かい,大坂峠(通称十三墓峠)を越え2km程下ったところに濃飛バスの「石仏前(いしぼとけまえ)」バス停がある。
バス停の奥に,カラ松の間から高さ12cm程のまるで仏様のような形をした岩肌が突出している。これが地名の由来の「石仏岩」で,足元には小さな祠(ほこら)が建てられ祀られている。周囲にも点々と岩肌が露出し,屏風岩(びょうぶいわ),駒掛岩(こまかけいわ),鏡岩,箪笥岩(たんすいわ)等と名付けられ,全体が「石仏と奇岩群」として高山市の天然記念物に指定されている。
「石仏と奇岩群」は,どのようにしてつくられたのであろうか?
今から6600万年前~6000万年前の中生代白亜紀最末期から新生代古第三紀にわたり,現在の大雨見山(国府,丹生川,上宝町にまたがる山)を中心に,約100㎢にわたって流紋岩質マグマによる火山活動が起こった。このときできた溶岩や凝灰岩,火砕流堆積物を主体とする地層をまとめて「大雨見山層群」という。「石仏と奇岩群」の岩石の本体は,大雨見山層群の流紋岩溶岩である。この溶岩は,中に青灰色の玉ズイ(石英の微小な結晶の集まり)を含んでいて,「球顆流紋岩(きゅうかりゅうもんがん)」という。溶岩の一部は大坂峠近くにも露出し,風化した部分から数cm~こぶし大程の玉ズイの塊を見つけることができる。
石仏岩は,6000万年という長い年月をかけ,風化や侵食を受けた球顆流紋岩が,偶然にも仏様の容姿になって現れたものである。
引用:飛騨地学研究会 寺門 隆治様
「DX(Digital Transformation)」は,2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授によって提唱された概念である.その内容は「進化し続けるテクノロジーが人々の生活を豊かにしていく」というもので,“進化したデジタル技術を浸透させることで人々の生活をより良いものへと変革すること”と解釈できる.
ただし,教育DXが及ぼすのは単なる「変革」ではなく,デジタル技術による破壊的な変革を意味する「デジタル・ディスラプション」.すなわち,既存の価値観や枠組みを根底から覆すような革新的なイノベーションをもたらすものであると捉えられている.
文部科学省も,この教育DX時代に対応して令和2年12月23日に文部科学省デジタル化推進本部から「文部科学省におけるデジタル化推進プラン」を報告している.ここでは,「・・・ポスト・コロナ期のニューノーマルに的確に対応していくために必要なDXに係る取組を早急かつ一体的に推進していかなければならない局面を迎えている.」とし,次のように4つの具体的な方針を掲げている.
①GIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール構想による1人1台端末の活用をはじめとした学校 教育の充実
②大学におけるデジタル活用の推進
③生涯学習・社会教育におけるデジタル化の推進
④教育データの利活用による,個人の学び,教師の指導・支援の充実, EBPM等の推進
特に,①のGIGAスクール構想については,令和3年3月12日の「GIGAスクール構想の下で整備された1人1台端末の積極的な利活用等について(通知)」において,「文部科学省では,Society 5.0 時代を生きる全ての子供たちの可能性を引き出す個別最適な学びと協働的な学びを実現するためには,学校現場における ICT の積極的な活用が不可欠との観点から「GIGA スクール構想」を推進しているところであり,関係各位の御尽力により,本年4月から,全国のほとんどの義務教育段階の学校において,児童生徒の「1人1台端末」及び「高速大容量の通信環境」の下での新しい学びが本格的にスタートする見込みとなっている.」と述べている.また,“新たな学び”について,文部科学大臣がメッセージで,「1人1台端末環境は,もはや令和の時代における学校の「スタンダード」であり,特別なことではない.これまでの我が国の 150 年に及ぶ教育実践の蓄積の上に,最先端の ICT 教育を取り入れ,これまでの実践と ICT とのベストミックスを図っていくことにより,これからの学校教育は劇的に変わる.この“新たな学び”の技術革新は,多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びや創造性を育む学びにも寄与するものであり,特別な支援が必要な子供たちの可能性も大きく広げるものである.」と子供たち一人一人に個別最適化され,創造性を育む教育 ICT 環境の実現を求めている.ここでは,子供たち一人一人に個別最適化され,創造性を育む学びとは何か,その実現のための“新たな学び”とはどのような学びで,従来の学びとどのように異なるのかについて考える.
・子供たち一人一人に個別最適化され,創造性を育む学びとは何か,その実現のための“新たな学び”とはどのような学びで,従来の学びとどのように異なるのかについて考える.
教育DX(Digital Transformation)時代における“新たな学び”とは,教師がデジタル技術を活用し,学びのあり方やカリキュラムを革新させると同時に,教職員の業務や組織,プロセス,学校文化を革新し,時代に対応した教育を確立することである.
また,学びという側面から考えてみると教育DXの目的は,「個別最適な学びという“新たな学び”の実現」である.20世紀の学習観は,行動主義・認知主義の学習観を採用していた.しかし,21世紀に入り,学習観は「主体的・対話的な深い学びの実現」という構成主義・社会構成主義の学習観に移行した.
この変化から分かるように,教育が「全員に同じ教育」から「個々が持つ能力を最大限活かす教育」に変化している.また,デジタルツールを学びに活用することで,さらなるクリエイティブな学びの実現もDX時代における“新たな学び”の目的とされている.
政府が設置する教育再生実行会議が2021年6月3日に発表した第12次提言は,教育のデジタルトランスフォーメーション(DX)を鮮明に打ち出した.この提言「ポスト・コロナ期における新たな学びの在り方について」の中で「データ駆動型の教育への転換」が必要とし,教育データの利活用や対面授業とオンライン授業のハイブリッド化などを促している.ここでは,これらの教育のDX時代における “新たな学び”の在り方について考える.
学校DX戦略コーディネータの定義
“学校DX戦略コーディネータ”は、学校や教育機関においてデジタルトランスフォーメーション(DX)戦略の計画、実施、および評価をし、効果的に推進する役割を担う専門家
学校DX戦略コーディネータの主な職務や役割の定義
1.DX戦略の策定: 学校DX戦略コーディネータは、教育機関のデジタルトランスフォーメーションの方向性を決定し、具体的な戦略や目標を策定します。これは、教育プロセスの効率化、生徒の学習体験の向上、教育成果の最大化などを含むことがあります。
2.プロジェクト管理: DXプロジェクトの計画、予算、スケジュール、リソースの調整、および進行状況のモニタリングを担当します。さまざまな関係者と協力して、プロジェクトの成功を確保します。
3.デジタルツールとテクノロジーの導入: 教育分野における最新のデジタルツールやテクノロジーの選定と導入を調整し、教育プロセスや学習環境の向上を促進します。
4.ステークホルダー連携: 学校DX戦略コーディネータは、教師、学生、保護者、教育委員会、地域社会などのステークホルダーと連携し、DX戦略の成功に向けて協力します。
5.データ分析と評価: DXイニシアティブの成果を評価し、データに基づいて戦略の調整や改善を行います。教育成果や効率性の向上を追求します。
6.サイバーセキュリティ: デジタル教育環境においてセキュリティリスクを管理し、生徒のデータやプライバシーを守る役割も担います。
学校DX戦略コーディネータは、教育機関のDXプロセスを効果的に管理し、デジタル技術を活用して教育の品質と効率性を向上させる役割を果たします。
また、教育環境が変化し続ける中で、新しいテクノロジーやベストプラクティスについて常に最新情報を追跡し、戦略を適宜調整する必要があります。
子供たち一人一人に個別最適化され,創造性を育む学びとは何か,その実現のための“新たな学び”とはどのような学びで,従来の学びとどのように異なるのかについて考える.
・教育DX時代の社会の変化について説明できる.
・教育DX時代における新たな学びについて具体例を示して説明できる.
・従来の学びと教育DX時代における“新たな学び”との関係について説明できる.
1.教育DX(Digital Transformation)についてその効果と可能性について説明しなさい.
2.GIGAスクール構想について,具体例を挙げて説明しなさい.
② GIGA スクール構想の下で整備された1人1台端末の積極的な利活用等について(通知)
21世紀に求められる学力を育む新たな授業と評価について,背景や実践事例を紹介しながら考える.
・21世紀に求められる学力について説明できる.
・資質・能力を引き出す授業の条件を説明できる.
1.知識基盤社会に求められる学力について説明しなさい.
2.21世紀型スキルについて,具体例を挙げて説明しなさい.
3.評価の方法について具体例を挙げて説明しなさい.
4.変容的評価を行う指導案を作成しなさい.
① 社会の変化に対応する資質や能力を育成する教育課程編成の基本原理(報告書)
現在決まった答えのないグローバルな課題に対して,大人も子供も含めた重層的なコミュニティの中で,ICTを駆使して一人ひとりが自分の考えや知識を持ち寄り,交換して考えを深め,統合することで解を見出し,その先の課題を見据える社会へと,社会全体が転換しようとしている.ここでは,その情報社会とそれに応じて求められる資質や能力について考える.
・主体的・対話的な深い学びについて具体例を挙げて説明できる.
・アクティブ・ラーニングと主体的・対話的な深い学びについて説明できる.
・主体的・対話的な深い学びについて学習理論を示して説明できる.
1.主体的・対話的な深い学びの視点について,具体例を挙げて説明しなさい.
2.学力観の変遷について具体例を挙げて説明しなさい.
3.主体的.対話的な深い学びを実現するための視点を説明しなさい.
① 新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ~
授業の設計の考え方において,1960年代に米国の教育工学研究者のロバート・メーガー (Robert F. Mager)は,次の3つの質問をすることで,授業の目標と評価方法を定めることの重要性について考える.
・ロバート・メーガー (Robert F. Mager)の3つの質問について説明できる.
・学習目標とその明確化について具体例を挙げて説明できる.
1.ロバート・メーガー (Robert F. Mager)の3つの質問について説明しなさい.
2.学修目標とその明確化について具体例を挙げて説明しなさい.
授業設計の最初の段階で行う,学習目標の明確化について説明する.明確な学習目標の設定のあり方と,授業設計の検討すべき内容について考える.
・ブルームの教育目標分類について,行動目標による例を取り上げて説明できる.
・ガニェの学習成果の5分類について,具体例を挙げて説明できる.
・明確な学習目標について,具体的な単元において設定できる.
1.ブルームの教育目標分類について,行動目標による例を取り上げて説明しなさい.
2.ガニェの学習成果の5分類について,具体例を挙げて説明しなさい.
3.明確な学習目標について,具体的な単元において設定しなさい.
※なお、本講座は大学院科目【遠隔教育特講】の内容と重複しております。
1.【e-Learning】学校DX戦略コーディネータ特論(Ⅰ):学習到達目標
川平湾(かびらわん)は、沖縄県石垣市の石垣島北西部にある湾である。
地図
湾内の海は、光の加減や潮の満ち引きにより刻々とその色を変え、石垣島を代表する景勝地と評される。湾口をふさぐように横たわる小島(くじま)をはじめとする小さな島が湾内に点在し、海中には数多くの種類の造礁サンゴが群落を形成している。
1997年9月11日に「川平湾及び於茂登岳」として国の名勝に指定されている[1]。また、2007年8月1日に西表国立公園が拡張され西表石垣国立公園となった際に、第1種特別地域に指定されている[2]。
湾内のサンゴ礁の景観は観光用のグラスボートから鑑賞することができる。潮流が強いため遊泳は禁止されている。
琉球真珠による黒真珠の養殖でも知られているが[3]、近年急速な水質汚染ならびに汽水化が進行しており、早急な対策が望まれている。
川平湾全景
川平湾グラスボート
赤瓦屋根の家々、サンゴの石垣、白砂の道、屋根の上のシーサー、原色の花々が咲き、美しい沖縄の原風景に触れることができる島。島をゆっくりと巡れば、生活の中に生きづく伝統と文化を実感する。
平坦な島をのんびりと歩くのもいいし、サイクリングで島中をまわるのもいい。また水牛車にゆられながら、集落をまわるのもこの島ならでは。
水牛車から聴こえてくる全国的にも有名な「安里屋ユンタ」は、この島で歌い継がれてきたユンタが元歌になっている。そして島最大の行事「種子取祭」は、豊かな芸能を大切にする竹富島の人々の誇りと気概に溢れている。
2007年、竹富島の生活用具(喜宝院蒐集館)が、国指定重要有形民俗文化財に指定された。
水牛車観光(1)
水牛車観光(1)
遠照寺(おんしょうじ)は、長野県伊那市高遠町山室にある日蓮宗の寺院。山号は妙朝山。牡丹寺として知られる。釈迦堂と堂内の多宝小塔は重要文化財。旧本山は、身延山久遠寺。潮師法縁。
歴史
寺伝によれば最澄が東国教化のために伊那谷を通った折りに(詳しくは『叡山大師伝』)教えに浴し、弘仁11年(820)(1955年文部省による解体調査修理の折り、屋根裏より「弘仁十一年薬師堂建之」の矢羽根が発見された)現在の釈迦堂の場所に前身である薬師堂が建てられた時が草創とされる。伝承では、最澄自作の漆黒の薬師如来を安置したという。以来、天台宗寺院として発展し、天福元年(1233年)現在地より1キロメートルほど南、原妙堂の地に天台宗谷室山天福寺が開かれた。『三義村誌』には「碩徳名僧相継ぎ諸人の渇仰最も盛んにして輜素の精髄之に集まり近郷最稀なる著名の巨刹にして二百四十一年を経るも、文正六年十一月伽藍悉く祝融の厄に遭ふ。然るに、文明五年(1473)身延山11世行学院日朝上人、この地に駐錫を垂れ住僧権律師某を教誡す。師本化の慈光に浴し豁然として改宗し名を日用と賜わり遠照寺第1世として、道場を薬師堂の許に創し一寺を建立し、日朝上人を開山と仰ぎ日蓮宗妙朝山遠照寺を開く」(要約)とある。
2019年7月、三年余に渡る日蓮宗宗門史跡調査により、釈迦堂は日蓮宗「宗門最古の法華堂」として認定され、境内全域が「宗門史跡」の指定を受ける。
これまで釈迦堂の建立は、1955年の文部省による解体調査修理の折りに須弥壇壇腹裏板、来迎壁裏面に発見された墨書から天文7年(1538年)とされて来たが、今般の調査において、新築建物に落書きがされるはずはなく、堂内多宝塔が文亀2年(1502年)であること、新たに発見された明応5年(1496年)朝師堂建立の墨書(朝師堂前机内墨書)等により、建立年代は40年以上さかのぼり、文明6年(1474年)から明応4年(1495年)の間と改められた。
近年は牡丹の名所(180種類2000株)として知られ、花の時期(5月中旬~6月初旬)には多くの参拝者が訪れる。
2020年、薬師堂建立から数えて開創1200年を迎え、「いのちに合掌(いのりを)」に加え新たに「美しい山里の寺づくり」を掲げ、境内伽藍の整備、地域と共に生きる開かれた寺づくりへの取り組みがはじめられている。
那覇市金城町なはしきんじょうちょうにある「金城町石畳道」は長さ300mあり、琉球石灰岩が敷かれた石畳道で首里城から続いています。尚真王しょうしんおうの時代(1477~1526)に首里城から南部へ行く道として造られたそうです。戦争で一部なくなり300mしか残っていませんが、両脇に沖縄の古民家があり、風情ある場所です。この石畳道は沖縄県指定文化財です。石畳沿いの家では普通に生活していますので、騒いだりしないようにマナーをお守りください。
銘文引用
この石畳は、旧首里城守礼門南脇にあった石門(いしじょう)から識名(しきな)、国場(こくば)、真玉橋(まだんばし)を経て南部へ至る重要な道の一部だった。
首里の主要な道が石畳道に改造された16世紀のはじめ、1522年(尚真王46)年ごろにこの石畳道は造られたと推定されている。
全長300m、道幅やく4m。敷石は大小の琉球石灰岩を組み合わせた「乱れ敷き」で、石の表面には適度な加工が施されていたが、長い年月で摩耗している。急な勾配のところでは石の表面に滑り止めの横線の刻みを入れたり、階段をつけたりしている。沿道の石垣は、琉球石灰岩を用い、主に沖縄独持の石積みの手法である「あいかた積み」で積まれており、石畳と調和して城下町の風情を残している。