岸和田の史跡
岸和田の史跡
<金森家と岸和田の小出家>
金森宗和に「菊」という妹は、大阪府堺市郊外の陶器藩主の小出三尹(こいでみつただ・みつまさともいう)に嫁いでいる。菊は金森氏第2代・可重の娘。
三尹の子である小出有棟(宗)も、金森家から金森氏第3代重頼(しげより)の子「辻」を嫁に迎えた。さらに、宗和の子七之助は小出家から嫁を迎えている。
このように金森家と小出家とは深い姻戚関係にあったので、大坂夏の陣の際には可重が小出本家・岸和田城の加勢に軍勢を出している。また、三尹は宗和に茶道を学び、有棟も父より宗和流茶道を引き継いだ。二人とも宗和流茶道の流派の系統図に載っている。
<陶器藩>
中世に陶器城が設けられたが、慶長9年(1604年)、小出三尹(こいでみつまさ)がここを拠点(写真)として陶器藩1万石の初代藩主になっている。小出本家の甥・小出吉英が自分の所領を、叔父である三尹に陶器藩として1万石分与したのである。
<小出分家の菩提寺 高倉寺>
陶器藩小出氏の菩提寺は堺市高倉台にある真言宗の寺で、景雲2年(705)、高僧行基開創の古刹。高倉天皇(在位1168~1180)が当寺にお出ましになったことから高倉寺の名を賜ったという。応仁の乱や織田信長の焼き討ちなどで荒廃したが、その後真海僧正らが復興に努め、小出三伊が陶器藩主になると高倉寺に帰依して代々の祈願所とし、諸堂の修理や改築に尽力した。境内の廟墓には三尹、有棟ら代々の墓が建ち並んでいる。
高倉寺には当初四十九院の塔頭があったが、今日まで存続している唯一の坊舎が宝積院。この院に小出家の過去帳が有りそこには有棟の妻・辻の名前が記載され、本堂に位牌があるが、三尹の継室・菊の名前、位牌は無い。