荒田八幡神社
荒田八幡神社
荒田八幡神社は古くは高田神社といい、荒田村字一町田に鎮座し、熊野権現を祀っていたため、その森を権現の森といったが、のちに、すぐ西にある宝地院境内にあった八幡社を神仏混淆をさけて、明治31年(1898年)にここに合祀して、荒田八幡神社とされた。
神社近辺の土地は、周囲より一段と高く、この高台付近が都の重要な地であったと考えられる。荒田八幡神社の土地は、平清盛の弟・池大納言平頼盛の山荘であり、治承4年(1180年)6月3日の福原遷都の際には安徳天皇の行在所となった。いわゆる今日でいう皇居であり、現在、境内には安徳天皇行在所跡の碑が立っている。
この頼盛の別荘については、高倉天皇の「厳島御幸記」に「申(さる)の刻に福原に着かせ給う。…あした(あらたー荒田)という頼盛の家にて笠懸(かさかけ)、流鏑(やぶさめ)など仕うまつらせ、ご覧せらる。日暮れ帰らせ給う。」と記しているので広い邸内であったことがわかる。
邸内は一段高く、昭和13年(1938年)7月の神戸大水害の時にも附近一帯泥海のなかに島のように見えた。こうした日本の歴史の一端を担い、また神戸の史跡として重要な役割を果たし、「平家ゆかりの地」としても有名である。ところが昭和20年(1945年)3月の神戸大空襲のため社殿を焼失してしまい、仮社殿を再建し40年を経過したが、昭和60年(1985年)、現在の新社殿の建立をみている。
昭和55年(1980年)6月3日、神戸にとって歴史的意義のある福原遷都800年を迎え、神戸市及び郷土史家の手によって「福原遷都八百年記念碑」が建設された。 また、荒田八幡神社は厄除の神として知られ古くから兵庫県下一円より厄除大祭(1月18日、19日、20日)には参拝者で賑わっている。