郡上八幡の史跡
郡上八幡の史跡
金森氏第6代頼旹は元禄2年(1689)6月、第5代将軍綱吉の側用人(そばようにん)となったが同年8月解任され、元禄5年(1692)7月28日、出羽上ノ山へ転封を命ぜられた。しかし、それからわずか5年後の元禄10年(1697)美濃郡上八幡へ再転封となっている。
元文元年(1736)5月23日没、郡上における金森氏は頼旹の跡を孫の頼錦が継いだが、郡上宝暦騒動により、宝暦8年(1758)12月25日に改易となった。
郡上郡121か村(村高2万4千石)と越前国内で69か村(村高1万5千石)の合計3万9千石を治めることになった。宗祇水(頼錦遺構)、左京神社(金森左京屋敷跡)、郡上慈恩寺(金森家菩提寺)など金森氏に所縁のある遺構がある。